大学四年生
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学年が一つ上がり私たちは就活生になった。朋也と宗像くんは教員試験に向け更に勉強に熱を入れており、かくいう私も卒業論文のテーマを固めつつ面接の準備に追われている。
「本当にお邪魔させてもらって良かったの?」
「ああ、みょうじさんがいてくれた方が助かる。」
「助かる?」
「芹澤が大人しくなるだろう。」
「人のこと猫みてぇに言うな否定はしにゃいけど。」
しかし今日は忙しない日々の束の間の休息。勉強会をしている二人のところに呼び出され、晩ごはんをご一緒することになった。場所は居心地が良いと噂に聞いていた宗像くんのお部屋。すっかり馴染んでしまっている朋也が我が物顔で冷蔵庫の中を覗き、早速冷えたビールを取り出している。
「んじゃ乾杯しよーぜ乾杯。」
「お酒の準備だけは早い……。」
「なまえちゃん固ぇこと言わねぇの。」
ぷしゅ、と勢いよく缶を開けた朋也にやれやれと首を横に振る。私たちが囲んでいるテーブルにあるのは宗像くん特製のお鍋で、朋也は以前食べたことがあるらしかった。GWも間近だというのにお鍋、とはその場の誰もが思っていたことだったが口には出さない。用意が楽で十分な栄養を摂れ、加えて複数人での食事に適しているものと言えば鍋以外にはないからだ。
「いただきます。」
みんなで乾杯を済ませたあと各々好きなように具材を取る。全員の器に汁が注がれたところで両手を合わせ、作ってくれた宗像くんに感謝を述べてからほかほかのつみれを一口齧った。
「おいしい……!」
「それは良かった。」
「え、すごいおいしいこれ。結構生姜入れてる?」
「ああ、体の調子が良くなるから重宝してるんだ。」
「後でレシピ教えてもらっても良い?」
「勿論、簡単だから芹澤でも作れるよ。」
「お前何気に俺の評価低いの何?」
二人で盛り上がっていると朋也が眉間に皺を寄せる。彼と宗像くんの軽口はお互いを信頼している証拠なのだろう。宗像くんも冗談を言ったりするのだなと内心意外に思いながらくたくたになった春菊を箸でつまんだ。
「なまえさん明日にゃんか用事あんの?」
「あー、特にはないけど図書館には行くつもり。別に何時とかは決めてないけど。」
「んじゃ今日遅くまで飲める?」
「いや宗像くんに迷惑だし片づけ終わったらお暇するよ?」
「にゃぁんで!」
「前に終電逃してタクシーで帰ってきたの誰でしたっけ。」
「それは言わねぇ約束でしょぉ……。」
駄々をこねる朋也と頑なな私のやり取りを見て宗像くんがくつくつと喉を鳴らす。「俺は別にいてくれても構わない」と美しすぎる微笑をもらってしまったが、さすがにここで雑魚寝するわけにもいかないのでやはり遅くなりすぎない時間に帰ることにした。
「みょうじさん、卒論の方は順調?」
「うーん、ぼちぼちかな。今参考文献集めに勤しんでるところ。それまとめ終わったらあとは文字打つだけって感じ。」
「真面目だよな~。」
二本目を飲み終わった朋也が缶を潰しながらとろんとした目でこちらを見る。私からしたら毎日のように勉強会を開いている君たちも相当真面目なのだが。特に朋也は掛け持ちバイトの合間を縫って勉学に勤しんでいるわけだし。本人は不真面目なつもりでいるのかもしれないがやはりこの二人は根っこの部分がとてもよく似ている。宗像くんの隣で居心地良さそうにくつろいでいる彼に、全く素直じゃないなと苦笑を漏らした。
「二人はどう?試験いけそう……の前に教育実習か。」
「あ"~~、もう間近に迫ってんだよな……!」
「芹澤なら大丈夫だろ。」
「いーやもうまじでやべぇって……試験もやべぇのに教育実習……無理なんですけど……。」
深い溜息を吐きながら項垂れる朋也に宗像くんが首を傾げた。恐らく彼に緊張という概念はなく、単純に朋也の実力だけを見て是か非か判断しているのだろう。その評価は当然朋也にとってもありがたいものなのだろうが、本番直前にして尚ぶれない鋼のメンタルが癪に障るというのもそれなりに頷ける感情ではあった。
「お前焦る時とかねぇのかよ。」
「?あるに決まってるだろう。何を言っているんだ。」
「俺が変な奴みてぇに言うのやめろ??」
「ま、まあまあ……。」
噛み合っているのか噛み合っていないのか。喧嘩腰になってきた会話に割って入ると両者とも一気にお酒を飲み干した。同時に缶をへこませ息を吐いた二人はそれから顔を見合わせて笑い、男の子ってよくわからないなと私は一人肩を竦める。彼らの友情の形は彼らにしか理解できないのだ。しかし二人の独特な絆に嫉妬心や疎外感などはなく、むしろその楽し気なやり取りに何故だかこちらも目尻が下がった。
締めの雑炊を平らげ使い終わった器をシンクへと運ぶ。朋也はアルコールが眠気の方に影響してしまったらしく、ごろんと床に転がり健やかな寝息を立てていた。一通り机の上を片づけたあと私は宗像くんの隣に並び、流れ作業で彼が洗ってくれた食器を丁寧に拭く。
「ごめんね、朋也寝ちゃって。」
「大丈夫、芹澤はいつもあんな感じだから。」
「め、面目ない……。ちゃんと回収して帰るので。」
「はは、あれくらい自由でいてくれた方が俺も気を遣わずに済む。」
身を縮めて朋也の普段の振る舞いを詫びれば心の広い彼は何でもないみたいに許してくれた。どうやら恋人の気ままな態度を好ましくさえ感じてくれているようで、一先ずほっと胸を撫で下ろす。彼らの関係は一見朋也だけが宗像くんに寄りかかっているようにも思えるが、実のところはそうではないらしかった。宗像くんもまた、朋也のことを誰よりも必要としているのだ。何の煩わしさもなく一緒にいられ、自分を取り繕わなくていい。近すぎる距離間で無遠慮に立ち入って来られることは、彼にとって救いなのかもしれなかった。
「夏が終わる頃、またしばらく留守にすると思う。」
水を止めるために蛇口をひねりながら、宗像くんはぽつりと呟いた。夏が終わる頃というのは一次試験と二次試験の間ということだろうか。そんな大切な時期にと、朋也の怒る顔が目に浮かぶ。
「今回は……朋也にも教えてあげてね。」
「ああ、直前に言うよ。」
濡れた手を拭き乾いた食器を重ねていく。部屋の端で大の字になって寝ている彼にちらりと視線を遣れば、宗像くんは承知の意を込めて穏やかに目を細めた。悪戯を企む子供のような、それでいて寂しさも香る笑顔だった。
「本当に大丈夫?」
「うん平気。ほら朋也自分で歩いて。」
「え~もぉ帰んの~?」
「ごめんね、お邪魔しました。」
「ああ、気をつけて。」
玄関で朋也に無理矢理靴を履かせふにゃふにゃしている背中を叩く。まだ寝ぼけ眼の彼の手を引き扉を開けると、少し肌寒い風が横をすり抜け部屋の中へと入っていった。
「お鍋ご馳走様でした、ありがとう。」
「こっちこそ。またいつでも来てくれ。近いうちにバイト先にも寄らせてもらうよ。」
おやすみを言い合って宗像くんと別れ、自分よりも一回り以上大きな体を引きずり帰路に着く。朋也の一歩一歩に注意しながら階段を下りるのは至難の業で、地面を歩けるようになるまでには中々時間がかかりそうだった。
「朋也くーん、楽しかった?」
「へへ、すっげぇ楽しかった。」
ふにゃりとだらしなく頬を緩め「にゃあ」と鳴いた彼に腰を抱かれる。介抱しながら駅を目指している最中空には半分になった月が出ていて、いつもより夜道が明るく感じた。
朋也と宗像くん。きっと二人はお互いがお互いに甘えているのだろう。どれ程不器用でわかりづらくとも、それは確かな事実だった。
「いつか話してもらえると良いねえ。」
私の一人言は酔っ払いの彼には聞こえていない。陽気に鼻歌を歌う朋也につられ私も流行のフレーズを口ずさんだ。私たちが宗像くんの全てを知るのは、もっとずっと未来のこと。今はまだ、気軽に手を差し伸べられはしないのだ。
ここではないどこかを見つめる影の落ちた横顔がいやにはっきりと頭に残っている。綺麗な瞳に滲む青は私たちを拒み続け、決して彼を救うことを許してくれなかった。