大学三年生
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夏の終わり、一か月の欠勤を気まずく思いながらもなまえと一緒にバイト先である池袋のバーを訪れた。俺が金のために夜の街で働いていたことをすでに彼女は何となく察していたようで、打ち明けた際は特に驚きもせずただ優しく笑ってくれた。「もう危ない橋渡っちゃ駄目だよ」とまるで小さな子供を諭すかのように頭を撫でられ、その手の温かさにほんの少しだけ泣きそうになった。素直に頷けば「話してくれてありがとう」と逆に彼女からお礼を言われ、その瞬間背中がふっと軽くなった気がした。
「……ここ?」
「ここ、だったんだけど……。」
「なくなってるね。」
「まじか……。」
雑居ビルの五階に辿り着くと店は消えていた。嵌め殺しの窓から二人で中を覗き込むも狭い店内には何もなく、酒や食器が並んでいたはずの棚もすっかり空になっている。ドアにべたべたと貼られていたチラシさえ一枚たりとも残っておらず、最早そこに店があったかどうかも疑わしくなってくる程の静けさだった。
ぐるりと周囲を見回してみれば、今いる雑居ビルにも近くの建物にも随分空きテナントが増えている。俺がひと月留守にするだけでウィルスは街をも呑み込んでしまうのか。人の世の儚さを改めて思い知らされ、ちっぽけな存在の自分に何となく足が竦んだ。
「……こんなあっけなくなくなんだな。」
バイトを辞めるつもりで少々緊張しながら赴いたというのに拍子抜けだ。隣の彼女が呆然としている俺の背中をぽんぽんと軽く叩き、「帰ろっか」と呟いた。
「新しい仕事探さねえとなぁ。」
「車手放す気はないんでしょ?」
「そりゃまあなまえちゃんとドライブできなくなっちゃうしぃ~?」
「ふふ、確かにそれは困る。」
俺の軽口に目を細めた彼女が「学生課に行ってみなよ」と有益な情報をくれる。学生課か。確かにあそこなら真っ当な勤め先を提案してくれるだろう。「いやほんと神様仏様なまえ様」と大袈裟に頭を下げれば「よしよし」と犬みたいに頭を撫でられ、そうして俺たちは互いの手を絡めながら同じ家に帰った。
それから俺はなまえのアドバイス通り学生課に通い詰めた。夜職と比べるとどれも時給は低いものばかりだったが、それなりに条件の良い家庭教師のアルバイトを手に入れとりあえず事なきを得た。以前から時々続けていた配達のバイトと合わせればぎりぎり生活は成り立っていきそうで、何とか車を手放すという選択肢は選ばずに済んだ。それにしたって相変わらず金はないのだが。
「私のことは気にしなくていいよ。一緒にいられるだけで嬉しいし。」
俺が奢ろうとする度なまえはそう言って半分出してくれようとする。この前のドライブだって次の日ガソリン代について聞いてきた。律儀で誠実な性格のため記念日のプレゼントなんかも言葉だけで充分だと釘を刺されそうだ。でもまあしかし、男としてそんな体たらくではあまりに格好がつかない。
「あ、すんません。コマ数もうちょい増やせます?」
新しいバイト先に電話し受け持ちの授業を上限まで入れる。どれだけ金欠でもどれだけ忙しくても。好きな子の喜ぶ顔を想像すれば馬鹿な男は何だって頑張れてしまうのだ。無論心配を掛けない程度に加減はする。
「自分のこと大切にしなきゃ駄目だよ。」
頭で彼女の凛とした声が響いた。その優しさから逃げ出すような真似はもうしない。俺は「わかってるよ」と独り言を零し、誰もいない車内でエンジンを掛けた。