大学三年生
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ほとんどひと月ぶりの再会、というのは想像以上にハードルが高いものだった。特にとんでもなく幼稚な感情で一方的に喧嘩をふっかけ、意味もなく彼女を傷つけてしまった俺にとっては。自業自得とはまさにこのことである。教室を目指す足が異様に重く先程からずっと心臓が痛い。正直どの面下げて会えば良いのかという気持ちは変わらないしこのまま踵を返したくなってしまっているのも事実だ。ただ、ここで逃げてしまえば俺の人生は今後一生始まらない気がした。
許してもらえないかもしれないのは百も承知。すでに嫌われている可能性だってある。が、しかし。俺の手を取ろうとしてくれていた彼女に今度こそ報いたいのだ。傷つけたことを謝りたい。これ以上彼女の前で自分を偽りたくない。そうして真正面から向き合った上で、情けなくみっともない俺を知ってもらった上で、聞いてほしい言葉があった。
何度か教室の前を右往左往したあと俺はついに意を決して扉を開けた。一番手前の机にレジュメが置かれてあるのは以前と同じで、ぎこちない動作になりながらも何とかそれを取る。あまり賑やかとは言えない空間に妙な緊張感を覚えていると、その時視界の端に彼女が映った。
いつもの席で本を読むために目を伏せている。彼女の定位置が変わっていないことに俺は不甲斐なくも泣きそうになった。ぐっと歯を食いしばり急いで隣の空席を目指す。ゴールへと辿り着いた俺が棒立ちのまま座れずにいると、彼女はゆっくりと顔を上げて俺を見た。
「っあ、の、俺……。」
途端に呼吸が浅くなる。指先は冷たいし声は小さく震えていた。嗚呼くそ、みっともねえ。けど。人の優しさに甘えて自分の気持ちを誤魔化すのはもう沢山だ。
「……ごめ、ん。」
ぽつりと零した俺の謝罪に彼女からの反応はない。ほとほと呆れられただろうか。今更になって拒絶されるのが怖くなり堪えるように汗ばんだ拳を握る。すると少しの沈黙のあと、彼女は自身の鞄へと手を伸ばし中から何かを取り出した。
「え、これ……。」
「芹澤くんがいなかった間の講義内容。」
机に置かれたのは薄ピンク色のUSBで思わず目を丸くする。あんなひどいことを言ってあんなひどい別れ方をして。その後彼女の心配全てを無下に扱ったこの俺に。一体何故そこまでしてくれるのか。
「……っ。」
「ちなみにレジュメもコピーしてあります。」
あまりの衝撃に言葉を失う。俺は彼女を見くびっていた。許してくれるどころの話ではない。最初から彼女は俺を諦めるつもりなんかなかった。俺がここに帰ってくると、帰ってこられる筈だと信じてくれていたのだ。からからに渇ききっていた俺が気づかなかっただけで、彼女は無条件にずっと水を与え続けてくれていた。その聖母のような優しさを何と形容すべきかと問われれば、もうこれ以外にはなかった。
「……はは、愛じゃん。」
草太不在時に彼女から言われた台詞を思い出し苦笑を浮かべる。すると飾り気のない「愛だよ」が間髪入れず耳に届き、強張っていた肩の力がゆるりと抜けた。
「芹澤くん、おかえり。」
「……ただいま。遅くなってごめん。」
漸く椅子を引く気になり彼女の隣に腰を下ろす。USBを鞄のポケットに丁寧に閉まったあと、俺はその目を覗き込んだ。
「な、一個だけお願いあんだけど良い?」
「ん、何?」
あくまで普段通りに接してくれる彼女はどこまで成熟した人間なのだろう。不思議そうに小首を傾げる仕草がたまらなく愛しくなり胸の昂りが収まらない。駄目だこれ。だってもうこんなに好きだ。再会早々一方的な我が儘など言語道断。しかし今しかない気がした。
「今週末、俺の助手席に乗ってもらえませんか。」
筆箱からペンを取り出していた彼女が俺の一言によって手を止める。ゆっくりと視線を交わらせたその瞳は俺を映して一瞬潤み、それから弧を描く唇と共にやんわり細まった。
「喜んで。」
力強く頷いた彼女に「っしゃ!」と喜びを爆発させれば「私も嬉しい」ととびきりの笑顔が返ってくる。それはまるで窓から差し込む光のようで、俺は終わる筈のない夜がようやく明けたことを知った。