大学三年生
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結局次の週もその次の週も、芹澤くんは講義にやって来なかった。喧嘩紛いの別れ方をしたのだから当然だ。意外と真面目な彼のこと、今さらどの面下げて会えば良いのかと後ろめたく思っている節があるのだろう。いくつか投げかけてみたラインも一向に返ってくる様子はなく、正直お手上げというのが現状だった。
あの時どうするべきだったのか。私は何を言うべきだったのか。考えれば考えるほど自己嫌悪に陥って気分が沈む。無意識のため息を零す度にあの日の泣き出しそうな彼の目が浮かんで、胸がぎゅっと締めつけられた。
それでも日々は容赦なく過ぎ、段々と試験も近くなってくる。例え喪失感に苛まれようと自分のこなすべきことは変わらず、私もレポートの課題に追われていた。ここのところは大学内の図書館に訪れ、必要になりそうな文献を数冊ピックアップすると共に文章を作る毎日だ。今も参考史料を求めて館内エレベーターのボタンを押し、重たい扉が開くのを大人しく待っている。
「おはよう、みょうじさん。」
上の階から下りてきたばかりの箱に乗り込もうと一歩踏み出したその時、不意に後ろから声を掛けられた。突然の挨拶に目を丸くして振り返ればそこにはいつもと同じ笑顔で佇む宗像くん。「俺も地下に用があるんだ」と隣に肩を並べられ曖昧に視線が交わった瞬間、重々しい音を響かせながら扉が閉まった。
「おはよう、宗像くんもレポート?」
「ああ、ついでに個人的な探し物。」
「それは……家業、が関係してたりとか。」
「……そうかもしれないな。」
二人きりの狭い空間でふと気になっていたことを口にした。宗像くんの謎の家業。普段の自分なら決して聞かない彼の核心。何故急に立ち入りたくなってしまったのか、己の中で理由は明白だった。
姿を見せなくなった彼のために少しでも何かできることがあれば、なんて。思い上がりも甚だしい。先に私が宗像くんの真実に辿り着いたと知れば、彼はもっとずっと深く傷つくだろうに。
「……ごめん、変なこと聞いた。忘れて。」
罪悪感に駆られすぐに謝罪すると宗像くんは「良いんだ」と思い詰めた表情で呟いた。その憂いを帯びた横顔はここではないどこかを見つめていて、彼の胸の内を無理矢理抉じ開けようとした自分を改めて恥じる。
「そういえば、最近芹澤とは会えてる?」
ゆっくりと動きを止めたエレベーターが目的の階に到着したことを告げる。私たちは気まずさを誤魔化すように揃って一歩踏み出し、先程までの会話をなかったことにした。
「ううん、授業来ないんだよね。」
「やっぱりそうか。ゼミにも来てない。」
努めて冷静に首を振れば宗像くんはやれやれと肩を竦めた。透き通る海のような彼の瞳から心配の色は窺えない。しかしそれでも、彼に落ちる寂しさの影はいつもよりも数段濃くなっている気がした。
「……ラインも全然返って来ないから、大丈夫なのかなって思ってて。」
二人の歪な関係に介入して良いものかどうか。一瞬躊躇うも今回ばかりは私も当事者だと思い直す。芹澤くんが欠席を続けている原因は宗像くんだけじゃない。責任の一端を担う身として現状報告をすれば、宗像くんはまるでその単語を初めて聞いたかのように「ライン?」と首を傾げながら繰り返した。
「え、うんライン……何か心当たりあった?」
「……いや、しばらくスマホを見ていなかったなと思って。」
「……成る程。」
「家に置いたままだから充電が切れてるかもしれないな。」
困ったように眉を下げた彼に思わず渇いた笑いが漏れる。携帯は携帯しないと意味を成さないよと喉まで出かかったが説教できる間柄でもないため黙っておいた。既読すら付かないとむくれていた芹澤くんが聞いたらきっと驚愕した後憤怒の形相になるだろう。それはそれで見てみたい気もするが。
「芹澤くんから連絡来てるかもよ?」
一番奥の棚に着いてお目当ての本を探していれば、背の高い宗像くんが先に見つけて取り出してくれた。手渡されたそれを開き中身を確認していると、彼が「どうだろう」と艶やかな髪を耳に掛ける。
「君の言葉も聞き入れないくらいだからな。俺が何か言ったところであいつが反応するかどうか。」
その穏やかな声が上から降ってきた瞬間耳を疑った。宗像くんが本気で、至極当然にそう言ってのけたから。自己評価が低いだなんてそんな安い言葉では到底表現できるはずもない。あの日芹澤くんの様子がおかしかったのは間違いなく宗像くんとの会話が原因だ。そんなこと直接聞かなくたってわかる。芹澤くんがどれだけ宗像くんを大切に思っているのかも。彼の態度から、視線から、会話の節々から羨ましくなるような熱量で伝わってくる。それなのに。
宗像くんは一体いつから、こんなにも諦めてしまったのだろう。
「駄目だよ。」
「え?」
「私じゃ駄目だよ。」
私と宗像くん。どん底に落ちて困っている時に彼がどちらを選ぶかなんてわかり切っている。無条件に頼れる相手。弱い自分を晒け出せる相手。芹澤くんにとって宗像くんは、唯一偽らずにいられる存在なのだ。
私の強い口調に宗像くんは少し面食らっているようだった。ここで引くわけにはいかないと顔を逸らさずにいると彼もまたじっと私を見つめ動かなくなる。
「芹澤くんを動かせるのなんて宗像くんしかいない。」
はっきりと断言した私を前にこの時彼が何を考えていたのか。それを量ることはできなかったが、その代わり透き通る青が微かに揺らめいた。
「……ありがとう。」
ひどく重みの乗った感謝が地下に響いた。どういう意味の、などという野暮な質問は憚られ、ただひらりと手を振りながら「どういたしまして」と笑ってみせる。それが芹澤くんの真似だということに宗像くんも気づいてくれていた。
「それじゃあ……俺はこっちに用があるから。」
「うん、またね。」
探している文献のために彼が別の棚へと消えていく。その背中は以前より随分人間らしく思えた。