大学三年生
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学食で草太と気まずく別れた翌日、つまり彼女をひどく傷つけてしまった翌日。俺は体調を崩したと嘘を吐きバイトを休んだ。流行病を装い電話口でごほごほと咳を絡め、夜の街の先輩である大石という男から半ば強引に暇をもらう。年中馬車馬のように働いている俺に自由時間を与えたとてすることなどなかったが、とにかく今は一人になりたかった。孤独になりたかった。賑やかな店内で薄情な笑顔を貼りつけ接客なんかしていたならば、地の果てまでも追いかけてきそうなのだ。あの水の底のような青い瞳が。
それからの二週間、俺はほとんど部屋に引き籠もりひたすら自堕落に過ごした。ネットの動画を際限なく眺め、腹が減ると備蓄してあった米と缶詰を適当に食べ、オンラインの講義では画面も音もミュートにして裏でゲームをやった。意外にもこれまで皆勤賞だった出席が必要な授業とゼミも、教授に何の報告もせず心のままにさぼった。
勿論草太とみょうじさんにはその間一度も会わなかったし会おうともしなかった。特にみょうじさんからは謝罪と心配の連絡が何度も届いていたが全部無視した。謝ってもらう理由も心配される資格も皆無だというのに、何で俺なんかをそんなに気に掛けるんだ。ラインの通知が表示される度に理不尽な苛立ちが募り、己の身勝手さが浮き彫りになればなる程足元がぐらついて罪悪感に押し潰されそうだった。
大学もバイトも続けるつもりではあったし友人関係を手放すつもりもなかったが、それに費やす気力が今はどうしても湧いてこなかった。そのくせ体は元気だったから、孤独になるのも飽きてきた頃暇潰しも兼ねてスマホにマッチングアプリをインストールした。彼女から心理的に距離を取りたかったのもあるかもしれない。しかし目についたプロフィールにひたすら「いいね」を送っても悲しいかなほとんどマッチしなかった。
段々と不貞腐れてきていっそアプリを削除してしまおうかと考え始めたその日の夜、俺は一人の女性から返信をもらいすぐに食事の約束を取りつけた。気を紛らわせてくれさえすれば正直誰でも良い。渋谷の小綺麗なイタリアンレストランで対面したその人は、垂れ目がちで優しそうな雰囲気の美人だった。
「芹澤くん、めっちゃ若いよね。いくつ?」
「二十一っす。」
「嘘でしょー!私たち一回りも離れてるよ!」
「え、じゃあ真菜さんって三十過ぎ?ぜんぜん見えねえ!」
ワインのボトルを二人で空け、互いに酔っぱらってきたところで二軒目のバーに移動しカクテルとウィスキーで更に酔った。すでに頭はふわふわしており正常に呂律が回っているとも思えない。ただ何となく楽しくて嫌なことを思考の外に追い出してしまえる。その薄情な心地良さが、俺にとって束の間の救いだった。
「きみさー、そんなチャラついてて先生になんてなれんの?」
「チャラいのは関係ないっしょ。」
彼女にせがまれて俺はへらへらと笑いながら教育学部と書かれた学生証を見せた。そういえばみょうじさんも初めて会った時俺が教師志望ってのに驚いてたっけか。あれ、何で今そんなこと思い出すんだ。
「俺、弟妹が多いから、子供に何かを教えるのって得意なんすよ。相手の出来が悪くても気になんないし。むしろそっちのが好きだし。」
「おお、意外にいいヤツだにゃー朋也くん。」
真菜さんもまた同じく呂律の怪しくなった口調で俺の背中を撫で回しながら笑う。しかし不思議とその色気に胸を高鳴らせることはなかった。
「でもなー、最近なんかちょっとにゃー……。」
彼女の語尾を真似して続きの言葉を探す。アルコールのせいでやけに近くに見えている、ぼんやりと発光するような白い頬に向かって俺はここ最近の悩みを打ち明けた。
「にゃんか不安な時とかさー……、寂しい時とか、真菜さんってどうしてんの?」
ぼんやりしながらも縋るような気持ちで返事を待っていると、彼女は「えー?」と天井に息を吐きかけながら低い声で笑った。
「寂しい時なんてないけどな、私は。」
すげえ、と素直に俺は思った。草太は、あれからずっと連絡をくれていない。送ったラインにも既読は付かない。寂しい時なんてない。そういう人間もいるのだ。すげえ。もしかして俺がおかしいのか。俺だけが無駄に寂しがっているのか。じゃあ、彼女は。
彼女は今、寂しくないだろうか。途端にまた凄まじい罪悪感が襲ってきて目の前が真っ暗になった気がした。
それからどれくらい経ったのか。バーの店員に肩を強く揺すられ、いつの間にかカウンターに突っ伏して眠ってしまっていたことに気づいた。一度見回してみたが店内には俺以外誰一人いない。支払いはお連れさんが済ませましたよ、と無愛想な店員が教えてくれた。
礼とお詫びを伝えなければと、二日酔いの吐き気と頭痛の中でアプリを起動する。しかしどこを探しても彼女のアカウントは見つからず、俺はそこで初めて自分がブロックされていることを知った。本名も他の連絡手段も、何一つ彼女に繋がるものは残されていない。寂しさを埋める行為は更なる寂しさを呼び寄せるだけだと、その瞬間痛いほど実感した。
「……くそ。」
重たい体を引きずり家路を辿りながら情けなくも無性に会いたいと思った。それが一夜を共に過ごした彼女に対してのものなのか、いつだって頭の隅にちらつく俺を包み込んでくれるような笑顔を求めてのものなのか。今は判別がつかなかった。ただ明確であるのは、あの水の底のような瞳に向けた気持ちではないということだけだ。まるで自分に言い聞かせるように、確固たる抵抗を胸の内で繰り返す。
俺が会いたいのはお前じゃない。
がんがんと痛みが響く頭の中で草太が俺の名前を呼んだ。あいつのことなんて気にしているわけがない。矮小な自分を誤魔化すために、俺はそう信じていたかった。