瓶詰めこぼれ話
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職場体験最後の夜、自室で事務仕事をしていると扉の前に気配を感じた。どうやらうろうろと行ったり来たりしては入るか否かを迷っている。なまえに違いない。何故だか直感的にそう思った。
「……どうした。」
「わあ!」
ゆっくりとドアを開けたのだかやはり驚かせてしまった。彼女はあたふたと目を泳がせ額に汗を滲ませている。
「いえ、ちょっと……。質問が……?」
「入りたまえ。」
部屋の中へと招いて来客用の椅子に座らせる。ケトルで湯を沸かせて紅茶を淹れればなまえはその香りに段々と落ち着きを取り戻してきた。
「それで、何が知りたいんだい。」
「ああ、あの……!」
回りくどいのが嫌いなわけではないがここは単刀直入に聞いた方が良いだろう。昔からこの子は甘えることと頼ることが苦手だ。今ですら自身の胸の内を打ち明けるのを躊躇っている。私は彼女の向かいの椅子に腰かけどう声を掛けるのが正解だろうかと思案しながら紅茶に口をつけた。
「言いにくい事かい。」
「……!いえ、その。……ベストジーニストさんにとって、父ってどんな人でしたか?」
なまえは意を決したように私に尋ねた。あまりに予想外の質問で一瞬虚を突かれる。彼女の父親が亡くなって半年以上。ようやく死を受け入れ藻掻き始めたということだろうか。
「君のお父上?そうだね、世間の評判と違わず清く正しく強い素晴らしいヒーローだったと思うが。」
「そう、ですか。」
本当のことをそのまま口にすればなまえはそれを呑み込んで考え込む素振りを見せた。彼女の欲しかった言葉は一体何だというのだろう。傍から眺めていても二人は仲睦まじい親子だったように思うが。
「ああ。それに君をとても大切にしていた。」
「え?」
私の目に映していた現実だけを伝えているはずだが彼女は心底怪訝な顔をした。聞き返されてこちらが内心動揺してしまう程に。
何故だ。君の父は賢く気高く、そして家族を大切にしていただろう。現場に連れてきた時もいつも君を愛おし気に見つめていただろう。彼女の何がお父上を疑わせているのか。私にはそれがさっぱりわからなかった。
「……意外そうだな。」
「えっ。」
「君が何を思ってこんなことを聞いてきたのかはわからないが、少なくとも私にはそう見えた。」
なまえは「そうですか」と小さく呟いたきりぼーっとティーカップを覗いたまま動かなくなった。今何を考えているのか。まだあどけない瞳に何を映しているのか。その心を推し量ることは到底できなかった。
彼女が他人に上手く甘えられない理由はヒーローになるための高い向上心故だと勝手に思っていたがそうではないのかもしれない。今高校生という幼さの中で悩ましく感じている気持ちの一端に大きすぎる父の影を見ている。そんな気がしてならなかった。
どこか胸が詰まってそれ以上追及することはしなかった。見返りがなくとも側にいてくれる大人はいるのだと、泣きそうな表情の彼女を安心させてやりたかった。
それから紅茶を飲み終わるまで何を話すでもなく無言で時を過ごした。こういう時間が今のなまえにとっては必要なのだろう。そんな風に思い余計な口出しをすることは避けた。
年頃の娘がいたらこんな感じだろうか。くだらぬ想像をしてしまって自分自身に苦笑する。ああしかし、この子がそれを望むなら。父親の優しさに触れたいと願っているのなら。頭を撫でようかと伸ばしかけた手をすんでのところで引っ込める。
恐らくまだ、その時ではない。礼を言って部屋を後にしたなまえの背中が脳裏に焼きついて離れなかった。