瓶詰めこぼれ話
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轟燈矢だと名乗る目の前の敵。俺はそいつの独白を聞きながら現実を受け入れられずにいた。本当に荼毘が燈矢兄なのか。そもそもどうやってあの火事から生き延びたんだ。どうやって今日まで生きてきたんだ。どくどくと脈打つ心臓に吐き気を催し呼吸をすることすらままならない。呆然自失で奴を見上げている俺たち親子はその場から一歩も動けなかった。
『そして元No.4ヒーローのタイフーン。』
親父、ホークス、ベストジーニスト。錚々たるトップヒーローに刃が向けられる中次の標的になったのはなまえの親父さんだった。突然出てきた名前に空中に浮かんでいる彼女の肩がびくりと揺れる。一体何を言われるのかと怯えたその表情を見てやめろと叫びたかったが喉に蓋をしたかのように一言も発することはできなかった。
『彼は我が家の事情を知っていたというのに一度だって手を差し伸べなかった。エンデヴァーからの暴力に泣きながら耐え忍んでいる子どもを見殺しにしたんです。嫌われるのが怖くて自分の保身のために親友の間違いを正さなかった。彼が一言言ってくれていれば僕はこうはならなかったかもしれないのに。清く正しく強いヒーローなんて、彼が塗り固めて作った偽物でしかない。』
あの頃、親父が余計にいかれちまった頃。唐突に引っ越しをして会いにも来てくれないみょうじ家を俺は内心恨んでいた。俺の家に出入りしながら一向に助けてくれないなまえの父親に違和感を覚えたことも一度や二度じゃなかった。そうか、あれはやはりわざと手を差し伸べなかったのか。体育祭のあとごめんと繰り返し謝ってくれたなまえの姿がよみがえる。
『そして彼もまた、より大きな力欲しさにまだ右も左もわからない娘をヒーローになるよう仕立て上げて行った。彼女の意志に関係なく無理強いをして自分の夢を押しつけた。子どもの感情を奪い、自らの思い通りの人間になるようコントロールしていったんです。そして皆さんもご存知の通りまんまと娘は雄英に入っている。利己的に強大な個性を欲する化け物、タイフーンに夢を塗り替えられたなんてまるで気づくことなく。』
ぞわりと身の毛がよだち思わず息を呑んだ。夢を塗り替えられた。自分の意志に関係なく。意味が分からない。なまえはずっとヒーローになりたかったんじゃないのか?親父さんに憧れて幼い頃からヒーローを目指してたんじゃないのか?いやでも確かに、なまえの口からどんなヒーローになりたいだとかどういうきっかけでヒーローを目指したとかそんな話。雄英に入るまで一度も。
わかりたくないことがわかりそうになって意識的に思考を止める。何で今まで気づいてやれなかった。荼毘の、燈矢兄の恨みの対象は親父だけじゃなかったこと。順風満帆で幸せそうだったなまえの家も俺たちと同じだったってこと。その歪さを、俺たちには見せまいとなまえが一人必死に隠してきてくれたこと。
それほどまでに守りたかったものをこれほどの大衆の前で晒されて。今彼女は一体どんな気持ちでいるのだろうか。考えるだけで涙が込み上げそうだった。こんなこと何度繰り返せばいい。俺はいつも大切なことを見逃す。
「お前も父親に狂わされた一人だろ!?ヒーローになりたいなんて微塵も思ってねえ顔してたもんなあ!いい機会だ、今ならこっちに入れてやる。ヒーローに救ってもらえなかった者同士、仲良くやろうぜ!?」
荼毘が両腕を大きく広げなまえに向かって叫ぶ。予想外の連合への誘いに何故か動揺してしまう自分がいた。
なまえがその手を取るはずがない。首を縦に振るはずがない。懇願にも似た気持ちで空中を見上げたがなまえは微動だにせず青い顔で俯いていた。その額には汗が滲んでいる。
「……なまえ?」
どうして何も言い返さない。鼓動が加速し体は鉛のように重い。不安に耐え切れずその名前を呼べば焦りを含んだ彼女と目が合った。定まらないその瞳が悲しそうにゆらゆらと揺れる。
嫌な沈黙に膝をつきそうになったがその瞬間彼女の手首がきらりと光った。今朝からつけていたと思われる綺麗なアクセサリー。それに意識を奪われた彼女は数秒でみるみる顔色が戻っていく。
ああ、瀬呂にもらったのか。何故だかそう思った。
それからなまえは大きく深呼吸をしてゆっくり自分を立て直した。もう大丈夫。俺たちにまで言い聞かせているような強い口調で荼毘をきっと睨みつける。
「行かない。私はもう自分の意志でヒーローを目指してるから。」
なまえからその言葉を聞けて、今ここにいる俺が救われた気がした。決して迷わない。揺さぶられない。俺たちは一人のヒーローとしてあいつに負けるわけにはいかない。途端に足に力が入る。
「そうか、そいつは残念だなァ。」
荼毘は少しも残念そうな素振りを見せずに口角を上げた。結局仲間集めなんてものは建前でこちらの動揺を誘っていただけなのだろう。まあ俺たち親子にとっては充分過ぎる揺さぶりだったけどな。
『僕は許せなかった!後ろ暗い人間性に正義という名の蓋をして‼あまつさえヒーローを名乗り‼人々を欺き続けている!よく考えてほしい!彼らが守っているのは自分だ!皆さんは醜い人間の保身と自己肯定の道具にされているだけだ!』
肉親の叫びががんがんと頭に響く。こんな風にツケが回ってくるなんて一体誰が想像しただろう。これまであいつがしてきたことは許されねえが燈矢兄だってこの家の被害者だ。出来ることなら、再会できるなら。その悲しみを知る余地すらなかったことを謝りたいと思っていたのに。
「今日まで元気でいてくれてありがとうエンデヴァー‼」
大型敵の手から飛び下りた燈矢兄が俺たちめがけて青い炎を構える。倒せるか。いや倒すしかない。同じ思いを抱えているなまえを一人で戦わせるわけにはいかない。
隣には未だ棒立ちのNo.1。迫りくる脅威と家族の確執に一層の覚悟を決めながら反撃の炎を腕に灯した。