瓶詰めこぼれ話
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もう随分時間も遅いというのに自分の部屋に戻る気にはなれなかった。ソファで膝を抱えてただ時計の針の音だけを聞いている。社会の情勢がどんどん悪くなっていく中、こんな風に夜を過ごすことが多くなった。
強いヒーローがあの方を倒してくれれば。あの方さえいなくなれば。雄英に入って何度も何度も同じことを願った。けれどそんな僕の思いはいまだに叶う兆しが見えない。
僕はこのまま一生あの方の言いなりになって生きていくのだろうか。みんなのことを騙し続けて。偽りの笑顔を貼りつけて。罪悪感に押し潰されそうになってぐっと唇をかみしめる。
一体何でこうなってしまったんだろう。みんなと一緒にヒーローになりたいという気持ちは、本物だったはずなのに。
「……青山くん?」
突然名前を呼ばれて思わずびくりと肩が跳ねた。まさかこんな時間に人が来るなんて。平静を装って声の主を確認し、いつも通り「やあ☆」と気丈にウィンクを投げかける。
「珍しいね。青山くんいつも早寝でしょ。」
「ウィ☆ちょっと今日は寝られなくてね。君もなのかいっ?」
「そうなの。誰もいないかもと思って下りてきたから青山くんがいてくれて良かったよ。」
にこにこと笑っているみょうじさんは微塵も僕のことを疑っていない。緑谷くんもそうだけど、こうして根っからのヒーローである彼女たちに話しかけられるだけで僕の心は鉛のように重くなった。どうして君たちはそんな風にまっすぐ前だけを見ていられるんだろう。
「青山くんはヨロイムシャさんのところでインターンなんだよね。」
「そうさっ。日々鍛錬で僕のキラキラも勢いを増してるよ☆」
「透ちゃんとのコンビ技もすごいもんね。負けてらんないなあ。」
「僕はお腹の調子との戦いでもあるけどね!」
話し相手になってほしいと頼まれ大人しく頷くと彼女は僕の隣に腰かけた。インターンの話題でその場を凌いでいると僕みたいに個性使用に限界のあるみょうじさんが拳を握って意気込んで見せる。
「私ももっと個性上限上げられるように頑張んないと。」
ああどうして。僕と君ではこんなにも違う。僕は君のようには煌めけない。個性の使いすぎで体調に支障を来すところも、自分の後ろにいる大きすぎる存在に翻弄されているところも同じなはずなのに。僕が、僕だけがこんなにも汚れている。
「君はもう充分じゃないのかい?最近は血もでてないだろ?」
「うーん確かに結構キャパ広がってはいるんだけど。自分的にはもうちょっといけるかなって思ってるんだよね。」
現状に満足せず上を目指している彼女に思わず胸が締めつけられた。入学当初、あまり前に出て行かなかった君とは話が合うんじゃないかって思ってたんだ。君も、誰かに言われてこの学校に入っただけなんじゃないかって。僕の気持ちを分かってくれるんじゃないかって。
でも違った。君は強くなった。ずるくて弱い僕だけが取り残されてこんなところで膝を抱えて蹲っている。
泣きそうになって口を閉じると彼女が心配そうにこちらを覗きこんだ。やめてくれ。僕に君からの善意を受け取る資格なんてない。
「……君は、変わったよねっ。」
「え。」
気づけばそんなことを口走っていた。あまり深入りしすぎるとばれてしまうかもしれないのに。どうしても、君に聞きたかった。僕と同じだったはずの、僕とは違う君に。
「前はそんなに上昇志向が高くなかった☆どんな心境の変化があったんだい!?」
唐突な質問にぽかんとしているみょうじさん。怪訝に思われただろうか。背中に冷や汗が滲むけれど、僕の頭の中で何かが教えてほしいと叫んでいた。
「……あ、えっと。何て言ったらいいのかな……。色々と自分の中で決着がついたというか、大丈夫かもって思えるようになったんだよね、最近。」
少しの沈黙のあと口を開いた彼女は慎重に言葉を選びながら返事をくれた。
自分の中での決着。僕にもいつか答えが出る日が来るんだろうか。その時僕は生きているんだろうか。ぼんやりと恐ろしい未来を想像して「そっか」とだけ呟けば彼女は何故かほっと胸を撫でおろした。
「それじゃあ、君はお父上がヒーローだったことを煩わしく思ったりするかい?」
あともう一つだけ。そう自分に言い聞かせて一番知りたかったことを問いかける。僕はオジサマ、彼女は父親。大き過ぎる影から彼女がどう抜け出したのか。彼女は僕の想像通り父親に怯えて生きてきたのか。じっとその目を見つめると彼女は困惑の表情で眉を下げた。
「どうして?」
「だって、父親がヒーローだと周りから色々言われるだろう?君は望んでそこに生まれたわけじゃないのに。自分じゃどうにもできない運命を恨んだりはしないのかい?」
「それは……。」
言い淀む彼女は何を考えているのだろう。こんな私的な話を僕にしていいものか迷っているのかもしれない。それでもどうか、答えてほしい。
僕だって望んで無個性に生まれたわけじゃなかった。雄英での手引きだって両親を守るためにどうしようもなかった。どれだけ運命を恨んだって恨み足りない。
「……恨んでる時期も、あったよ。」
どくりと心臓が音を立てる。この高鳴りは喜びか安堵か。彼女に薄暗い感情があるという事実に救われている自分がいた。
「というか今でもちょっとある。けど……。」
「けど?」
縋りつくように彼女に詰め寄る。どうか僕を一人にしないでくれ。僕の手を取って大丈夫だよと抱きしめてくれ。勝手な期待ばかりが頭に浮かんで胃の奥から本音が溢れてしまいそうだった。
「その運命から逃げたくないと思ったの。それを背負って生きていくって、もっと強くなりたいって……思わせてくれた人がいたの。」
「……っ。」
まるで頬を張られたような衝撃。僕の醜い願望は一瞬で彼女の強さに打ち砕かれた。
やっぱりどうひっくり返ったって僕と彼女は同じじゃない。運命に立ち向かえる彼女は賢く気高く、まさしく本物のヒーローだ。だから彼女の側には共に歩んでくれる人が集まる。でも。
僕の隣には誰もいない。引き戻された現実に愕然とした。
「……そっか、やっぱりかっこいいね君は☆」
もう一秒でもここにはいられない。早急に自室へ帰ろうと僕は何とかいつもの調子で会話を続けた。
「青山くんもかっこいいよ?」
「知ってるさ☆」
「ええ……。」
必死で取り繕って明るくウィンクを投げてみる。さっきの質問とのギャップに戸惑いながらも彼女はふわりと笑ってくれて僕はずっと泣きそうだった。
「さて、そろそろ僕は寝るよ。君もあまり夜更かししちゃ駄目だからね!?」
「あ、うん。相手してくれてありがとね。」
「お安い御用さっ。」
涙を堪えて勢い良く立ち上がる。作り物の笑顔でおやすみと背を向け急ぎ足で男子棟へと歩みを進めた。
どうして。どうして。どうしてこんなことになってしまったんだろう。何も持たずに生まれてくるというのはこれほどまでに重い罪だったのだろうか。
階段を駆け上がろうとして思わずぴたりと足を止める。振り向くと迷いなんてあるはずもない彼女と目が合った。
「……僕にも、そんな風に思わせてくれる人が現れたら……。」
「え?」
「何でもないっ☆」
思いの丈を呑み込んで今度こそその場を後にする。幸い最後の言葉は彼女には聞こえていなかったようで引き留められることはなかった。けれど。
どうせなら聞こえてしまえばよかったのに。頬を伝う涙を拭うこともままならない。後ろから追いかけてきてくれる彼女はどこにも存在なんてしてなくて、真っ暗な部屋の中で声を押し殺して泣いた。
神様どうか。もう少しだけ僕をみんなと一緒にいさせて。そんな夢幻を星に願って迫りくる恐怖に身を縮めていた。