瓶詰めこぼれ話
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「失礼します。」
「おーみょうじ!イレイザーならあっちで話してんぜ!」
「ありがとうございます。」
放課後の職員室。相澤先生のところへ今後の相談に来たところ聞き覚えのある声が響いた。やけにプレゼントマイクと仲の良いあの人とは初対面ではない。格好悪くも入学試験の時に助けられた、命の恩人。
「あれ。」
彼女がこちらに近づいてきて止まる。俺と先生を交互に見比べては目をぱちくりとさせ不思議そうに首を傾げた。まあそりゃそうだよな。俺普通科だし。
「お、どうした。」
「稽古つけてもらいたくて相談に来ました。」
「あーそうか。近接な。」
「うん。じゃなかった、はい。」
今軽くため口きかなかったか。クラスの担任といえど相澤先生相手にそれは命知らずもいいとこだろ。意外な大胆さが彼女の儚げな印象とかけ離れていて混乱する。動揺していることを悟られないように考え込んでいるとふと整った顔と目が合い頭を下げられた。とりあえずここで無視するのも気が引けるので後ろめたさを覚えながらもお辞儀を返す。
「久しぶりだね。」
「……その節はどうも。」
何となく挨拶の流れになるが正直あまり話したくはない。自分を守る術も知らずに女の子に助けられたなんて過去、思い出したくもなかった。
「なんだお前ら知り合いか。」
「入試の時にちょっと……。」
「それならちょうどいい。」
先ほどまで考え込んでいた相澤先生がおもむろに準備を始めて立ち上がった。俺も彼女も訳が分からない。先生は全くこっちの様子を気にすることなくさっさと職員室を出て行こうとする。ヒーロー科ってこんなに説明しないものなのか。改めて壁にぶつかりながら急いでその背中を追いかけた。
辿り着いたのは無人のグラウンド。ごつごつとした岩場だらけのただ広い訓練施設だ。初めて入った。
「お前ら、今からここで鬼ごっこな。」
「はい?」
今から。体操着を身に着けているといっても急な展開すぎて頭が追いついてこない。というか、え。鬼ごっこってこの人と二人で。最悪だろ向こうも気まずいだろうし。知り合いの意味を誤解しているだろうイレイザーヘッドにほんの少し不満が募る。
「体育祭の結果を加味して俺が心操の面倒を見ることになった。」
「え、心操くんがA組になるかもってことですか。」
「組はわからん。ヒーロー科に編入するかもってことだ。だがそのためにはまだ圧倒的に基礎体力が足りない。」
「……自覚してます。」
「で、お前は近接を克服したい。」
「はい。」
何となくだが先生の言いたいことはわかる。二人分の稽古をつけるとなると時間割くのも難しいだろうしまとめて訓練できるならかなり効率的で合理的だ。でも。
「だから鬼ごっこだ。鬼は心操。一度でもみょうじに触れたら心操の勝ちだ。みょうじも逃げてるうちに体の使い方を覚えられる。」
「一石二鳥ですね。」
「そういうことだ。個性は使うなよ。」
俺の気持ちはどうなるんだ。とか贅沢なことは口が裂けても言えないけど。すぐに納得してしまった彼女はもうすでに逃げるコースを考えているようでますます気分が重くなってくる。
個性使用ありならともかく地力での体力勝負だぞ。いくらヒーロー科相手でも俺だってそれなりに鍛えてる男だ。負けるとは思えない。もしかして俺に自信をつけさせるためにわざと勝ちの場を用意してくれてるとか。そういう接待みたいなの必要ないんだけど。
「よろしくね。全力で大丈夫だよ。」
「あ、ああ。よろしく……。」
相澤先生に促され何故か握手することになる。握った彼女の手は温かくて、そしてとても小さかった。力入れたら壊れそう。こんな華奢な身体で爆豪と戦ってたのか。
「はいじゃあスタート。とりあえず15分。」
「結構長い。」
ヒーロー科の人間との初めての訓練。緊張で呼吸が少し浅い。大丈夫だ落ち着け。不満を零した彼女とは反対に制限時間の15分が長いのか短いのかもわからないまま鬼ごっこは始まった。
鬼である俺は5秒数えて彼女を捕まえに行く。これ俺に有利すぎないか。まだスタート地点からそんなに離れていない彼女の背中。すぐに決着をつけてやろうと一気に駆け出せば彼女は岩場を利用して身軽に崖を登っていった。
「……嘘だろ。」
あっという間にその姿は遠ざかっていく。俺は不安定な足場に悪戦苦闘しながら必死で崖の上を目指した。もうすでに汗がすごい。彼女はまるで余裕なようで俺が追いつくまでの時間で髪を一つに結んでいた。
「っは、」
ようやく崖を登り切り再び彼女の背中を追いかける。ぐっと手を伸ばしたけれど近くの岩場に逃げられた。でもその先は行き止まり。向こうに見えてる岩場は距離がありすぎて個性使用なしなら多分届かない。勝負ありだ。
「くっそ……!」
ポニーテールを掴む前に彼女がその場を踏み切った。嘘だろ、ここから跳ぶのかよ。空中で一回転した彼女は見事に隣の岩場に着地。さっきまで楽勝だとか思ってた自分に無性に腹が立ってくる。
「っは、まじかよ……。」
ヒーロー科すごすぎだろ。俺が崖を下りようと迂回してる間に彼女はさっさと緩やかな斜面を下っていった。まあ相澤先生が接待訓練なんかするはずないよな。当たり前のことに今さら気づいて渇いた笑いが漏れてくる。
結局その後も捕まえることなく15分が経過した。ぜえぜえと肩で息をして汗も止まらない。酸欠で死にそうだ。対して彼女は軽く息が上がってる程度。体力底なしか。改めて目指す道の険しさを思い知って打ちのめされる。
「終わりだ。どうだった。」
「はあっ……、死ぬかと、思い、ました……。」
言葉を発することもままならない。これが普通にこなせる日がくるんだろうかと思わず気が遠くなりそうなことを考えた。心配そうにこちらを見つめる彼女の視線が、たまらなく嫌だ。
「私も結構きつかったです。」
「みょうじも体力向上するだろうな。」
「よっし。」
きついとか嘘だろっていうのは喉の奥に仕舞い込む。圧倒的な実力差を見せつけられるのは二回目であまりの情けなさに吐き気がした。
「今日は様子見でここまでだ。これからテスト期間で時間が無くなるだろうが、夏休みはみょうじも付き合ってもらうぞ。」
「わかりました。」
夏休みも二人でやるのか。というかこれからずっと……?勘弁してくれと内心頭を抱えながら「解散」と言ってすたすた歩いていく先生を見送る。強引すぎるだろ。俺たち二人で取り残されてどうすればいいのかと地面に倒れ込む。
「平気?」
汗だくで仰向けになっていると声をかけられた。上から物言われるのは好きじゃないけど彼女から嫌味な感じはしない。
「……平気。付き合わせちゃって悪いね。」
「なんで。お互いwin-winの訓練なんだから気遣わないでよ。」
「win-winねえ……。」
どこがだよ。あれだけ体力あるなら俺なんかに付き合わなくたって問題ないはずだ。不服が伝わってしまったのか彼女は俺の隣にすとんと腰かけ妙に真剣な顔でこちらを見た。
「心操くん強いよね。」
「馬鹿にしてる?」
「違う違う。」
一瞬皮肉かと思ってじろりと睨んでしまったがどうやらそうじゃないらしい。慌てた様子で訂正する彼女は体育祭のときより幾分か気安くなっていた。
「いや、体育祭の時も思ったんだけどね。不遇な立場にいるからってふてくされずにちゃんと努力してさ。憧れを目指してなりたい自分にまっすぐ向かっていけるのって、なかなかできないなって。」
「……そんなの、ヒーロー科の奴みんなそうだろ。」
正直何を言ってるんだ、と思った。憧れを実現させるために夢に向かって突き進むのなんてヒーロー科全員やってることだろ。俺に限った話じゃない。けれども彼女は困ったみたいに笑って「うーんどうだろ。人によるかなぁ」と頬を掻いた。
「えっと、普通科から編入するのって多分すごく努力がいると思うんだよね。で、それってすごく強くなりたいっていう意思がないと続けられない。その強い意志をちゃんと持ち続けて、なりたい自分になろうとしてる心操くんはすごいなって話です。私はそれができるようになったの、つい最近だから。」
最近、ってどういうことだろう。えらく含みのある言い方だ。大きな目標もそれに伴うくらいの実力にも恵まれてて眩しくて。悩みなんてなさそうに見えるヒーロー科所属の生徒、元No.4の娘。そんな人間が俺に向かってすごいと言う。俺が持ってるものなんて全部手に入れてそうなのに。
でもそうか。忘れがちだけどヒーローも人間だ。そりゃ悩むよな。こんなちっぽけな俺ですら悩んでるんだから。
「……そう。」
小さく呟いて地面に視線を落とす。いつの間にか彼女に対する気まずさや薄暗い気持ちはなくなっていた。みょうじなまえだって俺と同じ高校生なんだ。もちろん他のヒーロー科の生徒も。俺の目指すべき標でもっと身近な存在。一気に憑き物が落ちた気がして深く息を吐く。
「俺のこと怖くないの。」
「え、なんで。」
「個性知ってるだろ。洗脳されるかもとか思わないの。」
そんな風に思う人じゃないってことはもう知ってる。それでも一応聞いておきたかった。敵向きだと揶揄され続けたこの個性。それが彼女の目にどう映っているのか。単純に興味が湧いた。
「全然。」
「え。」
「だってここで洗脳する意味わかんないもん。」
予想通りというか予想以上というか、彼女はあっけらかんと即答した。そこには偏見も何もない。澄んだ空のような言葉に自然と口元が緩む。
「はは、確かに。」
心からの笑顔をヒーロー科に見せたのは初めてだ。圧倒的光。個人戦のときも思ってたけどやっぱ本気でヒーロー目指してる奴って性根が違う。
「ヒーロー科ってみんなそうなの?緑谷もそんな感じだった。」
「うーん、それも人による。」
苦笑する彼女がどこかの悪人面を思い浮かべてるのがわかってしまって再び吹き出す。人による、か。そうだよな。どんな人間がヒーロー目指してたって誰にも咎める権利はないんだ。
「俺、心操人使。改めてよろしく。」
「みょうじなまえです。よろしくね。」
もう一度握手を交わす。今度は自分からみょうじに手を差し出していた。いつか肩を並べられるように。そしていつか、追い越せるように。目の前の笑顔に俄然やる気が湧いてきて視界は随分とクリアになっていた。