内通者
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すっかり陽が落ちたあと私は一人で外に出ていた。日中緑谷くんとお茶子ちゃんが話していた場所に立ち、暗闇の中で街を見下ろす。変わり果ててしまったこの景色に再び光が灯るかどうかは明日の私たちにかかっている。
大丈夫、それぞれがそれぞれに努力を重ねてきたんだもん。きっと上手くいく。私たちの希望は確かに紡がれている。すうと冷たい空気を肺に溜めて不安や恐怖の混じった息を吐いた。
「……夜一人で出歩くな。」
不意に声が降ってきて振り返るとそこには焦凍くんの姿があった。彼はゆっくりとこちらまで歩いて来て私と肩を並べる。荒廃した街を見つめる瞳は悲しそうで、彼が今誰のことを思い浮かべているのか何となくわかった気がした。
「いくら雄英の管轄下とはいえ全く危険がないわけじゃねぇ。」
「……うん、そうだね。ごめん。」
謝りながらも足は動かない。焦凍くんも部屋に戻ろうとは言い出さなくて私たちは無言で風を受けていた。少し寒さも感じるけれどもうしばらくこの凄惨な光景を目に焼きつけておきたかった。戦う理由を忘れないように。
「燈矢兄の好きなモン、なまえは何だと思う。」
唐突な質問に一瞬虚を突かれた。だけど横を見ると彼の顔は真剣そのもので。連合の一員になってしまった兄を思う優しさが滲み出ているみたいだった。
「何だろ。焦凍くんがお蕎麦好きだから……燈矢さんはうどんかなぁ。」
私が答えると焦凍くんはきょとんとしたあと頬を緩めた。夜の闇に彼の笑みが溶けてさっきよりも穏やかな空気が流れる。
「そうか、やっぱうどんなんだな。爆豪も同じこと言ってた。」
「え、本当に?」
「ああ。絶対煮えたぎったうどんだって。」
爆豪くんがそういう冗談言うの何か意外。彼なりの励ましなんだろうか。改めて口にはしなくてもみんな焦凍くんの心の内は痛いくらいに察しているはずだから。不器用な気遣いに思わず私もつられて笑った。
「焦凍くん、またおうち呼んでくれる?その時はさ、みんなでうどん食べようよ。燈矢さんも一緒に。轟家全員揃って。」
恐らくそれはあり得ない未来。荼毘が確保されたら彼の身柄は拘束されタルタロスのように厳重な警備が敷かれた施設に移送されるだろう。世界中を恐怖に陥れた連合の一員なのだ。出所して再会することはおろか、今後生きてる内に面会することすらも叶わないかもしれない。
それでも、私たちは絵空事を語る。希望の灯火を消してしまわないように。まるで何かを手繰り寄せるように。
「……ああ。なまえが来てくれたらみんな喜ぶ。」
焦凍くんはふっと目を細めた。彼もまた、自分たち家族を諦めたくないと思っている。弟の声は必ず兄に届くはずだと信じて明日、彼自身の戦いに臨むんだ。
「なあ、なまえ。」
「ん?」
話が一区切りしたところで遠くを見つめていた彼がこちらに向き直った。真っ直ぐな視線に私も自然と背筋が伸びる。
焦凍くん、相変わらず綺麗だなあ。どことない緊張感が漂いながらもあまりにも端正な顔立ちにしみじみする。私の名前を呼んでから黙ってしまった焦凍くんが今何を考えているのかは量ることができなくて、ただ彼と一緒に夜の静けさを聞いていた。
沈黙を破るのは私じゃないよね。何故か直感的にそう思ってじっと次の言葉を待つ。透き通る白い肌に目を奪われそうになったその時、意を決したように彼の口が小さく動いた。
「好きだ。」
甘い響きが空へと昇っていき残されたのは風の音だけだった。ずっと気づいていた彼からの好意。決戦の前日というこの場面で一体どれほどの勇気をもって伝えてくれたのか。想像するだけで胸が苦しい。
私は目を瞑ってゆっくりとその三文字を噛みしめた。何か言わなきゃいけないのに喉の奥が詰まって声を発することすら叶わない。涙を見られないように俯くと焦凍くんは優しく私の頭を撫でた。
「泣かせたくて言ったわけじゃねえ。返事はもう、わかってる。」
驚いて顔を上げると彼は困ったように微笑んだ。
「瀬呂と付き合ってるんだよな。」
「何、で……。」
「芦戸たちが話してんの聞いた。」
そうか、焦凍くんはもうとっくに知ってて。私が気持ちに応じられないって気づいてて。それでも、その思いを捨てずにいてくれたんだ。
彼が私を落ちつかせようと髪を耳にかけてくれる。吸い込まれそうなほどに美しい焦凍くんの瞳はまるで夜の海みたいだった。
「……っごめ、私、」
「ああ。」
「しょ、とくんのこと、ほんとに、大事で……大好きで、大切な……っお友だちで……!」
「ああ。」
「これから、も、ずっと……一緒に、い、たい……っ。」
「ああ、俺もだ。」
私の都合の良い言葉を急かさず、責めることなくただただ受け入れてくれる焦凍くん。どうして彼はこんなにも優しいんだろう。どうして私は優しい彼を傷つけてしまってるんだろう。色んな感情がぐちゃぐちゃになって上手く息ができない。
涙が頬を伝ってぽたぽたと地面に染みを作った。焦凍くんは指で私の目尻を拭い、大丈夫だと言うみたいに笑って見せた。
「俺たちの関係はこれからも変わらねえ。燈矢兄と戦う前に言っときたかっただけだ、気にしないでくれ。なまえの気持ちが聞けて良かった。」
彼に宥められながらどこまでも甘やかされていると実感する。焦凍くんのまっすぐな思いを拒否しておきながら変わらず幼馴染を続けていたいだなんて。突き放すよりずっと残酷なことを私は彼に強いてしまっている。じわじわとまた涙が浮かんできてそれが焦凍くんの温かい手を濡らした。
「なまえ、聞いてくれ。本当に俺は傷ついてない。むしろ自分の中でケジメつけられてすっきりしてるくれえだ。今後友だち続けんのもなまえに頼まれたからじゃねえ。俺がしたいからそうする。俺が一緒にいたいからいるんだ。なまえが泣くことなんて一つもない。」
私の肩を掴みしっかりと言い聞かせるみたいに語り掛けてくれる焦凍くん。罪悪感で押し潰されそうだった心が少しだけ軽くなった。鼻をすすって頷くと彼がほっと息を吐いて表情を緩める。
「……焦凍くん。好きになってくれてありがとう。」
震える声で頭を下げると彼の体温が私を包んだ。「悪い今だけ」と呟いた彼がぎゅうとその腕に力を込める。
「……なまえが、ずっと俺のこと気にかけてくれてんの嬉しかった。ありがとう。」
耳元で聞こえた彼の感謝も潤んでいる気がした。私は焦凍くんの背中をそっとさすり、星空の下で二人のこれまでを思い返した。
一度は離れてしまった距離。でも今、こうして触れられるほど近くにいる。どれだけ遠回りをしたとしても諦めなければ心が通じ合う瞬間はきっとくる。私と焦凍くんのように。きっと、燈矢さんも。
二人の目の前に聳え立っているのは高い高い壁かもしれない。だけど、紆余曲折を経て手を取り合えた私たちなら。
お互いの熱を胸に刻む。何一つ隠し事のなくなった私たちはすでに明日を迎える準備はできていた。
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