内通者
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私たちがやってきたのは仮説要塞トロイア。セメントス先生、パワーローダー先生、エクトプラズム先生のおかげで超短期施工が可能となった堅牢な建物だ。雄英バリアには及ばないにしても警備は万全。ちょっとやそっとの襲撃では崩れないこの場所で私たちはしばし体を休めていた。
「あれ緑谷と麗日じゃねぇ?」
「ほんとだ。何話してるんだろう。」
自室のベランダにもたれかかりながらぼんやり外を眺めていると隣の瀬呂くんが下を指さした。視線をやればそこにはどこか寂し気な顔で荒れ果てた街を見下ろす緑谷くんとお茶子ちゃん。どんな会話をしてるのかは聞き取れないけど二人の真剣な表情からきっと大事なことなんだろうなと結論づける。
それぞれが今、何を考えているのか。何を思っているのか。その全てを量ることはできないにしても目指すべき場所はみんな同じな気がした。
「……瀬呂くん。」
「ん?」
「前に私の初恋の人の話したことあったでしょ。」
「あー、相澤先生と同級生っていう?」
「うん。あの時は濁しちゃったけど、今ちゃんと話しときたいなと思って。」
決戦前で気持ちが昂っているんだろうか。何故だか彼には聞いてほしかった。私の大好きな人のこと。AFOを許せないと憎む最大の理由。
じっと彼の返事を待っていると瀬呂くんは「どーぞ」と優しく笑って私の手を取った。するりと指が絡められて恋人繋ぎ。鼓動は速くなりながらも包み込むような温かさに安心する。
「ありがとう。……昔ね、お父さんが雄英の特別講師をしてたことがあって。その頃私もよく遊びに行ってたんだよね。」
「あ、それで相澤先生とも知り合いに?」
「そうなの。休み時間とか生徒の人がかまってくれるんだよね。その中でも特に良くしてくれたのが消太くんとひざしくんと……それに、白雲朧くんっていう二人の親友。」
彼と初めて会った時の衝撃を思い出す。弾けるような笑顔で「可愛いなあ!」と頭をわしゃわしゃしてくれて、その眩しさに一瞬で心を射抜かれた。私に初めての感情をくれた大切な人。もう二度と会えないのがこんなにも寂しい。感傷に浸りながらも「犬じゃないんだぞ」と呆れている消太くんまで一緒に浮かんできて私はふ、と頬を緩めた。
「それがみょうじの初恋の人?」
「うん。明るくて優しくてかっこよくてね。ザ・ヒーローって感じの本当に素敵な人だったの。」
「うわ妬ける。」
ぎゅっと握る手に力がこめられ熱が上がる。瀬呂くんはそんな私の反応を楽し気に見つめて「それで?」と続きを促した。
「えっと、それで……いつも笑顔で楽しそうな朧くんに憧れて、次の授業はいつあるんだって毎日毎日お父さんに聞いたりして。」
「はは、かわい。」
「微笑ましいよね。……でも、そうやって指折り数えて会えるのを心待ちにしてた時に、その……。」
突然言葉を詰まらせた私に瀬呂くんが心配そうな視線を向ける。それでも催促せず静かに待っていてくれる彼に「ありがとう」と涙声でお礼を言った。
「……朧くんが亡くなったのは、本当に急だった。消太くんと同じインターン先で、敵と交戦中に建物の倒壊に巻き込まれたって……しばらくしてから教えてもらったの。」
「そっ、か。」
「うん。あの頃はまだ人が死ぬっていうのがどういうことかよくわかってなかったんだけど、もう二度と会えないってことは何となく理解してて。すごく悲しくて寂しくてつらかった。」
幼いながらに感じた喪失の痛みはきっとこの先も一生忘れることはない。消太くんたちと同じように夢を見て必死でヒーローを目指していた朧くん。彼の進むはずだった未来はあんなにも簡単に崩れ去ってしまった。
だから、だからこそ。せめてその体は安らかに天に昇っていてほしいと、そう思っていた。途方もない悪意に私は深く息を吐く。
「瀬呂くん、黒霧が脳無だっていうのは知ってるよね?」
全く脈絡のない問いかけにさすがの彼も面食らっていた。わけがわからないといった様子で一瞬目を泳がせたあと「知ってるけど……?」と困惑した答えが返ってくる。
「そうだよね。」
彼の肩に頭を預けた私は空に浮かんでいる雲を見上げた。あんな風に誰にも縛られずに自由に笑っている彼は、もうこの世界のどこにもいない。
「……黒霧の……ベースになった個性因子、朧くんのものなの。」
「は……?」
「朧くんの遺体が……どこかで回収されらしいの。AFOによって。」
あまりに悍ましい事実。私が告げた衝撃的な内容に彼は言葉を失った。家族の元に返されるはずだった朧くんの体はいつの間にかAFOの手元に渡っていた。ヒーローそのものだったはずの彼は薄ら寒い笑みを浮かべた巨悪に作り替えられ敵連合の一員となった。腹の底がぐつぐつと煮える。
「私は朧くんの体を勝手にめちゃくちゃにしたあいつを許さない。青山くんを……ずっと恐怖で支配してたあいつを、許さない。」
悔しさを滲ませながら唇を噛むと瀬呂くんがするりと私の髪を撫でた。その手つきはとても優しくて、憎しみに溺れてしまいそうな自分を光の中へと連れ戻してくれる。
自分の感情に呑まれちゃ駄目だ。さっきよりいくらかクリアになった頭で私は改めて瀬呂くんに向き直った。
「群訝・蛇腔戦の時死柄木が……ヒーローは他人をたすける為に家族を傷つけるって……その言葉がすごく耳に残ったの。燈矢さ……ううん、荼毘の誘いにもほんの一瞬だけ、心が揺れた。この手を取ったらどうなるんだろうって、考えてる自分がいて。……だから青山くんのこと知った時、もしかしたらあそこにいたのは私だったかもって思って怖かった。お父さんのことに気づいて何もかも嫌になって全てを投げ出してたら、連合としてみんなと戦う未来もあったんじゃないかって……。」
考えたくはないけれどそうなる可能性があったのも否定できない。父親というヒーローにされてきた仕打ちを自覚したあの時瀬呂くんが、みんながいなかったら。想像するだけで身が竦む。
「きっとクラスのみんなより少しだけ、私は連合の気持ちがわかってしまう。それがとても……嫌だった。でも、私は敵にはならなかったし内通者にもなってない。そういう未来もあったかもって薄暗い思いを抱えてはいても、私はそうしなかった。その差が何かって聞かれたら、それはもう、引き留めてくれるみんながいたからとしか言いようがないよ。」
真っ直ぐ瀬呂くんを見つめると彼はにっと口角を上げた。瀬呂くんのおかげで、みんなのおかげで私はヒーローでいられる。"そちら側"には行かないと彼らの手を振り払うことができる。これは自らの意思だと胸を張って明るい方向へ歩いて行けるんだ。
「私はほんの少しだけど敵側の気持ちがわかる。だから、だからこそちゃんと正面からぶつかりたい。そうすれば手を、差し伸べることだってできるかもしれない。そんなの理想論だってわかってる。それでも、世界の悪意からもAFOからも自分のしがらみからも彼らを解放して、みんなで笑い合える世の中にしたいって、そう思っちゃうの。救われた私は救われなかった彼らを救いたいって思っちゃうの。傲慢だって言われるかもだけど……でも、誰かの手を取れるっていう万に一つの可能性を諦めたくない。この戦い、私はもしもの私と向き合って、しっかり勝ちに行くよ。」
思っていたことを全て言い終えると瀬呂くんはゆっくり私の腰を引いた。抱き留められた私は彼の体にすっぽりと収まり頬に手を添えられる。
「……みょうじはすぐに無茶すっから正直あんまこういうこと言いたくないんだけど。」
距離の近さに戸惑ってると彼の整った顔が近づいてくる。どうしようと思い切り目を瞑った瞬間瀬呂くんはちゅっと私のおでこにキスを落とした。
「でもま、自分の思うようにやんのが一番だから。後悔しねー戦い方して?んでちゃんと瀬呂くんのとこ戻ってきてくれるって約束すること。わかった?」
彼が小指を差し出してきて私もそろりと自分のものを絡める。何だかあやされてるみたいだと思いながらも「わかった」と火照った体で頷けば「ん、いい子」と今度は唇を塞がれた。
「だ、誰かに見られたら……!」
「緑谷たちも部屋戻ったみたいだし大丈夫。だからなまえの可愛い顔もっと見せて?」
「!」
あわあわしてたら突然下の名前を呼ばれてまるで沸騰するかのように熱が上がる。本当に不意打ちでこういうことするから瀬呂くんはずるい。
「な、俺の名前も呼んで。」
しっかり私をホールドしたままで小首を傾げてくる瀬呂くんに眩暈がする。期待のこもった視線に耐えきれずに目を伏せると彼は「呼んでくんないの?」と耳元で囁いた。
「……は、範太、くん……?」
「……っ。」
恥ずかしさで死にそうになりながらも瀬呂くんの押しに負けてその名前を呼んでみれば彼が急に固まって動かなくなる。あれ、何かさっきまでの余裕な表情と違う。もしやと思ってもう一度「範太くん?」と呼ぶと彼は自分の口元を抑えて頬を赤く染めた。
「いや……これ、結構食らうわ。」
どうやら彼も照れてしまっているらしい。珍しい反応に楽しくなってきて「範太くん」を連呼すると瀬呂くんは降参と言わんばかりに声を上げた。
「あー!もう駄目。可愛すぎんの禁止。」
「呼べって言ったの範太くんなのに……。」
「いやほんと申し訳ございませんでした。動揺すっから当分名前呼びは二人だけの時にしてください……。」
上鳴くんたちに赤くなってるのを見られるのが嫌みたいで瀬呂くんは懇願するように私に体重を預けた。私はその背中に腕を回してよしよしとさする。いつもと逆の構図に自然と笑みが零れた。
「……なまえチャン意外と小悪魔。」
「え、それに関しては範太くんを通して学んだと言っても過言じゃないと思うけど。」
「自業自得じゃん俺……。」
困ったように項垂れる彼はとても可愛い。何だかさらに仲良くなれてる気がして体だけじゃなく心も温まった。
「……範太くん。」
「ん?」
「勝とうね。」
柔らかで愛しい時間をこれで最後になんてさせたりしない。範太くんは黙って私の手を取り無言の肯定を返してくれた。
もう誰からも何も奪わせない。すぐそこに迫る黒い影を見据えながら私たちはしばらくくっついて離れなかった。