内通者
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緑谷くんが寝てしまってすぐ他のメンバーも解散となった。自室に戻り今は勉強机に腰かけている。
今日は色々ありすぎて疲れてるだろうからすぐに眠気が来てもいいはずなのにどういうわけか寝られない。頬杖をつきながらぼんやりしていると不意にあるものが目に入った。
アクセサリー入れの前に飾ってあるリップ。これはクリスマスに瀬呂くんからもらったものだ。次のデートの時につけようと思って大事に取ってある。だけど悲しいかなしばらくその予定はなさそうだ。
「せっかくのプレゼントなのにな……。」
部屋のインテリアの一部になってしまっているのがもったいない。しばらくうーんと唸りながらそれを眺めた末、私は思い立って鏡を取り出しそっとリップのパッケージを開けた。
明日、一日これつけとくっていうのはやっぱり変だろうか。本当に何でもない日だし見つかればみんなにからかわれるかも。だけどいつまでもしまっておくのもなあ。あと本音を言えば瀬呂くんの反応、見てみたいし。
「喜んで、くれるかな。」
ぽつりと呟いたその時ふわりと笑う彼の顔が浮かんだ。そう、だよね。きっと瀬呂くんなら褒めてくれる。それでいつもみたいに、優しく頭を撫でてくれる。自分の中で勝手に納得して気づけばいつの間にかリップの蓋を外していた。
鏡を見ながらするりと唇をなぞる。すごい、発色いい。他はノーメイクだけど濃すぎないから変に浮いてないし普段使いもしやすいかも。
「……よし。」
決心がついた。明日はリップのためにナチュラルメイクでいってみよう。誰かに茶化されてもいいや。瀬呂くんが笑ってくれるならそれで。
「落とさなきゃ。」
試し塗りできて満足。そろそろ布団に入らなければとクレンジングシートを探していると突然コンコンと部屋の扉が鳴った。誰だろうこんな時間に。
「はー……い。」
「お、良かった起きて……。」
お互い顔を合わせた途端無言になってしまう。ドアを開けるとそこに立っていたのは他でもない瀬呂くんで。まずいと思った時にはもう遅かった。
私を見て驚き顔で言葉を失くした彼は確実にリップの存在に気づいている。ああ、あと一足早く落としていれば。恥ずかしさで全身が熱くなって思わず俯くと彼はすぐにいつも通りの表情に戻り「ちょっと話せる?」と穏やかに言った。
「ど、どうぞ。」
せめてリップについて一言でも触れてくれれば。スルーされたことに少なからず落ち込む。半ば泣きそうになりながら部屋の中に招くと彼は「さんきゅ」と指定したクッションに座った。私もそのまま隣に腰かけたけれど密室で二人きりという状況は随分久しぶり。それを今さらながらに自覚してぐっと緊張が高まった。
「どうしたの?」
「ん、ちょっと無性に会いたくなって。」
さっきも会ってたのに。彼の返答にどうしようもなく嬉しくなり私が頬を緩めると瀬呂くんは小さく「かわい」と零した。
「ずっと上鳴のうるせー声聞いてたから癒し求めたくなっちゃったのかね。」
「ふふ、上鳴くん?」
聞けば共同スペースから男子棟に戻る最中ずっと「俺ら成長したと思わね!?」とはしゃいでたらしい。恐らく緑谷くんを連れ戻せた上に自分たちで避難者を説得できたという事実が彼の上機嫌の理由。そうでなくても上鳴くんは最近「入学したての頃なんかさぁ」と一年前を振り返ることが多くなっている。
「やっぱ日々の訓練が大事なんだよなとかしみじみ言ってて何でお前そんなおセンチになってんのって俺らも呆れてた。」
「気持ちはわかるけどね。進級留め置かれてるとはいえやっと21人揃って春迎えられたんだし。」
きっとクラス全員にとって今日はとても大切な日になったはず。緑谷くんが雄英に戻ってきてどこか感慨深くなってしまうのは私も同じだった。瀬呂くんは「そーね」と笑ってこちらを覗きこむ。
「まあ俺も人のこと言えねぇっつーかあいつに触発されて色々思い出しちゃってて。んで余計みょうじに会いたくなったのよ。」
「え。」
「俺の雄英の思い出ってみょうじから始まってっからね。」
「あ、そういえば私もそうかも……。」
瀬呂くんと初めて話したのは入試当日。0ポイント敵の暴走に巻き込まれた人たちを一緒に助けたのがきっかけで仲良くなった。思えばあの時からずっと彼は隣にいてくれた。
「世話になった子に話しかけにいったらすげー可愛くてさ。ぜってー雄英受かりたいって試験終わってから思ったもん。」
「え、う、私は話しやすくてヒーロっぽい人だなって。でもあの時は名前聞きそびれちゃったから後悔して。だからまた会えますようにってお祈りしてた。」
直球過ぎる褒め言葉にどもりながらも私も彼の印象を話せば瀬呂くんは「そうそれ!」とさっきより大きな声を上げた。
「俺ももっと色んなこと聞いときゃ良かったって家帰ってしばらく落ち込んでた。でも入学したらみょうじとまさかの同じクラスでしかも俺のこと覚えてくれてるって奇跡。まじで学校生活薔薇色じゃんって内心ガッツポーズだったのよ。」
「私も再会できて嬉しかったよ?席も隣だしこんなことあるんだなって思ってた。」
教室で座席表見た時は爆豪くんと緑谷くんの間に挟まれてることに気取られちゃってたけど。初期爆豪くん本当に怖かったからなあ。それも今となってはいい思い出だけど。
「な、正直運命感じてたわ。でも俺初めはみょうじに対してとんでもない勘違いしちゃってたからね。」
「勘違い?」
きょとんと首を傾げると瀬呂くんは眉を下げながら苦笑した。何のことだかわからない私は彼の心の内に少しドキドキしながらじっと次の言葉を待つ。
「いや実力あんのに何故か控えめなとことか儚げな印象とかも相まってさ。ヒーロー科と言えど女の子なんだからやっぱ俺が守んないととか自惚れてたわけ。したらUSJの襲撃よ。ワープに俺巻き込まねーよう掴もうとした手引っ込めるし誰よりも前線に立って先生や梅雨ちゃん守ろうとするし。脳無相手にぼろぼろんなってくみょうじ見てやっと気づいたの。俺まだ全然駄目じゃんって。俺の方がみょうじに守られてんじゃんって。そこが一個の転機になったっつーか。もっと強くなろって思ったきっかけ。」
いつも以上に饒舌な彼から語られたのは初めて知る事実ばかりで。思わずぽかんとしてしまう。そんなこと考えてたなんて全然知らなかった。退院した次の日震える手で私を抱きしめてくれた瀬呂くん。あの時彼は大きな決意をしたあとだったんだ。
「で、もう一個の転機は体育祭。」
「体育祭……。」
これは私の転機でもある。緑谷くんのおかげで自分の気持ちや父にされてきたことに気づいて。ちゃんと夢や過去と向き合わなきゃって考え方も変わって。いわばヒーローとしての一歩を踏み出したのが体育祭だ。
「体育祭からみょうじが何か変わったのはわかってたけどね?轟の空気まで柔らかくなってるもんだから正直焦ったわけよ。幼馴染だつってもちょっと前まで仲悪かったはずの二人が名前呼びんなってるし?まさかクラス一のイケメンに先越されると思ってなかったからこりゃ俺も行動起こさねーとやべーかもって。」
「あ、あはは……焦凍くん極端なとこあるからね……。」
あれは私も冷や汗だらだらだったなあ。和解した次の日から急に距離感近くなるし三奈ちゃんと透ちゃんには「付き合ってんの!?」って詰め寄られるし。混乱を招いた当の本人は何もなかったみたいに自分の席座ってるからこっちだけに矛先向いちゃって大変だった。
渇いた笑いを漏らすと瀬呂くんは不意に手を重ねた。急な触れ合いに肩が跳ねたけれどそのまま話を続ける彼を見て落ち着きを取り戻す。
「そんで勇気出してデート誘ってみたらみょうじがオッケーくれてさ。ただでさえ普段から可愛いのに当日すげーお洒落してきてくれてそれがあり得ねえくらい可愛くて。俺もう死んでもいいって思ったもん。」
「う、あれはほんとみんなのおかげで……でも、瀬呂くんにそう思ってもらえてたのならよかった、です。」
「はは、敬語。可愛い。」
照れると敬語になる癖はなかなか直らない。瀬呂くんからの可愛いの応酬でさらに顔を赤くしていると繋いでいる手にぎゅうと力が込められた。
「あん時親父さんのことまで話してくれたじゃん?そんでああやっぱもっとみょうじのことちゃんと知りてーなって改めて思った。」
彼が私に向き合おうとしてくれていたことに胸がいっぱいになる。私ももっともっと、たくさん瀬呂くんを知りたい。
「ま、ちょっとは特別になれたかもって浮かれてたらみょうじサン合宿で大怪我しちゃって進展どころじゃなくなったんだけどね。」
「め、面目ない……。」
そういや合宿襲撃って初デートの直後だった。無我夢中で戦ったのに結局爆豪くんは攫われてしまって。まだ覚悟が足りなかった私はひどく取り乱した。
「病院でやっと目覚ましたと思ったらいきなり私はヒーローになれないなんて言うし。正直何でそこまで自信ねーのかわかんなかったよ。俺ん中でのみょうじは緑谷と一緒で頭より体が先に動いちまう生粋のヒーローだったからさ。」
ずっとここからは踏み込まないと一定の線引きをしてくれてた瀬呂くんがあの日初めて私の気持ちを無視して強引に肩を掴んだ。もし彼の言葉がなかったら。あのまま手を離されてたら。私はヒーロー側ではいられなかったかもしれない。自分のオリジンすら思い出せなかったかもしれない。
本当に、感謝してもしきれないのだ。
「現にあのあと神野行っちゃったもんね……。」
「ほんとにそれ。焚きつけるようなこと言ったかもってすげー後悔してたから。でもまあそのおかげでまたみょうじと距離縮まった気するし結果オーライなんだけど。」
控えめに過去の無茶について言及すれば険しい顔が返ってくる。瀬呂くんにがっつり怒られたのなんて後にも先にもあれくらいだもんなあ。めちゃくちゃ怖かった。何より彼に嫌われてしまったかもってことが。最終的には瀬呂くんの寛大な心のおかげで丸く収まったけど、軽く10年くらい寿命は縮んだ気がする。
「あん時さ、今後はもっと強引に行くつってたじゃん。」
「あ、うん。そうだったね。」
「でもわりとすぐ考え改めたのよ。攻めんの今じゃねーなと思って。」
そういえば彼はお説教の最後そんなことを言っていた。私はこれから寮生活が始まるのに心臓持つだろうかとこっそり心配してたのだ。だけどそれからはっきりとしたアピールはなく、文化祭後には私が大丈夫になるまで待つと宣言もしてくれた。一体何でなんだろう。
疑問が顔に出てたのか瀬呂くんはこちらを見てふっと笑った。
「ほら、ナイトアイのことあったでしょ。あれでみょうじ、俺に決意表明してくれたじゃん?そん時ああ待たなきゃなって思ったのよ。ヒーローとしてもっとちゃんとしたいし親父さんのこともけじめつけたいんだろうなって気づいてさ。これはみょうじの中で答えが出るまでは意地でも我慢しなきゃって、俺も腹括った。」
「……知らなかった。」
「ま、わざわざ言うことでもないし?」
次から次へと明かされる瀬呂くんの本心。これ全部呑み込んで側にい続けてくれていたのか。優しすぎる彼の気遣いに涙が滲みそうになる。
「そういうわけなんで文化祭でほっぺにちゅーしちゃった時はまじで焦ったけどね。自分でも気持ち抑えらんなくてさ。耳郎には怒られるしどうしようかと思った。」
「え、響香?」
「手出すなんて聞いてないけどって激詰めされて瀬呂くん泣いちゃうとこだったわ。」
「さっきからずっと初耳すぎる……。」
本来なら照れてしまうであろうキスの話題も響香の名前が出てきてそっちに興味が持っていかれる。お風呂で相談したあとまさか瀬呂くん本人に直撃してたとは。やっぱり彼女はどこまでいっても私のお姉ちゃんだ。ぷんぷん怒っている響香の姿が簡単に想像できてしまいふにゃりと口元が緩む。
「挙句の果てに伝え方間違ってみょうじ泣かせちゃって。確かに我慢するって突き放すことじゃねーよなってはっとした。俺は俺なりのやり方で側にいりゃいいじゃんって。むしろそっちの方が俺らには合ってそうだったし。」
「あれは何て言うか……ショック、だったんだよね。瀬呂くんとなら何だって嫌じゃないのに、瀬呂くんはそうじゃないのかもって不安になっちゃって。」
「うわ本当にごめん。多分俺に余裕がなかった。」
情けないと項垂れる彼にぶんぶんと首を振る。だって瀬呂くんは私の気持ちをどうにか汲み取ろうとしてくれていたはずで。謝られることなんて一つもない。
「んでまあみょうじはあのあとも轟の家行ったり日記読んだりして親父さんとのことにきっちり決着つけたわけじゃん。正直俺は親父さんの意志には反対だし何勝手なこと言ってんだってすげー腹も立ったけど。」
ストレートな感情表現に笑いそうになる。こうやってあっけらかんと言ってくれるところありがたいなあ。変に空気が重くならなくてすむから一緒にいて楽なのだ。彼の飄々とした性格と物言いはいつも私を救ってくれる。
「あの時瀬呂くんが怒ってくれてすごく嬉しかった。それに混乱して頭ぐちゃぐちゃだったけど全部私の気持ちだから無理にどれか捨てることないって言ってくれたでしょ。あの言葉があったから私折り合いつけられたの。瀬呂くんのおかげで急に前が開けた気がして。」
きっとあの日私の人生はもう一度始まった。色んな景色が前よりもっと輝いて見えた。父のことを必要以上に憎むことがなくなって、また一歩ヒーローにも近づけた。ずっと隣で支えてくれていた彼が、彼こそが、この全てをくれたのだ。
「だから、ちゃんと言わなきゃって。もう一人で歩けるようになったから大丈夫だよって。恥ずかしくても声が震えても、瀬呂くんはずっと待っててくれたから。」
決戦当日、精一杯の勇気を出して気持ちを伝えた。驚いた瀬呂くんの顔、赤い耳。今も鮮明に覚えてる。
「俺あれですげー気合入ったもん。絶対二人揃って帰って来なきゃなって。舞い上がりそうんなるほど浮かれちゃってはいたけど。」
あの時みたいにまた。もう一度。おどける彼をじっと見つめる。
今だ。今、言わなきゃ。どくどくとうるさいくらいの鼓動を感じながら、やっとの思いで口を開いた。
「っでも、あのあと……色々あって。有耶無耶になっちゃってて、その。それでもあの、私、気持ち変わってなくて。あの……あのね瀬呂くん。」
「待って。」
いよいよという瞬間にストップをかけられる。驚いて「え」と声を漏らすと瀬呂くんはそっと私の頬に触れた。
「こんな時くらい俺から言わせて?」
さっきまで思い出を振り返っていたはずなのに彼の一言でがらりと空気が変わる。私はこくこくと頷くしかなかった。恥ずかしくて仕方がないのに段々と近づいてくるその顔から視線が逸らせない。
「これ、すげー似合ってる。可愛い。」
瀬呂くんが唇を指しながら目を細める。欲しかった言葉をこのタイミングでくれるなんて。本当に、どこまでもずるい。
「好き。」
耳元でそう聞こえたかと思えば重なる唇。熱くて溶けてしまいそう。私はぎゅっと目を瞑って彼の背中に手を回した。ぽろぽろと涙が零れて頬を伝う。
「私も、瀬呂くんが好き。」
唇が離れて返事を告げると途端に抱きしめられる力が強くなった。耐えきれなくなって鼻をすすれば彼の柔らかい笑い声。
ああ、好き。誰よりも何よりも、瀬呂くんのことが好き。溜まっていた思いが込み上げてますます涙が止まらない。
「もしかして俺のためにリップつけてくれてた?」
「……うん。」
「はー、もう可愛すぎ。まじで嬉しい。」
再び私を覗きこんだ瀬呂くんはこれまでで一番かっこよくて。思わずぼんやり見惚れているとおでこをぴたりとくっつけられる。
「な、もっかいしよ?」
何を、なんて聞く暇もなくキスが落とされる。好きな人と触れ合うのってこんなにも幸せなことなのか。近くで香る彼の匂いにくらくらと眩暈を起こしそうになる。
「っん、う。」
さっきよりもずっと長いキス。上手く呼吸ができなくて酸欠になる前に私は彼の胸を軽く押した。
「……ごめん、がっつきすぎたな。」
「う、や、あの、嬉しい……。」
「俺も。」
ようやく息ができるようになったけれど彼の手は私の腰に回されたまま。真っ赤な顔で俯けばするりと髪を撫でられた。
「このままここいたら何かしちゃいそう。」
「そっ、れは困るかも……。」
「かもなの?」
「あ、いや……ま、まだ心の準備が。」
「はは、ジョーダン。」
彼の爆弾発言に体を強張らせていると瀬呂くん自身がいつも通りの雰囲気に戻してくれる。私はほっと胸を撫でおろして目尻の涙を拭った。
「ま、冗談ではねーか。さすがに付き合って初日に手出したりしないけど。」
「……手、出されてはいるような?」
「あ、それ言っちゃう?」
ケラケラ笑う彼につられて頬が緩む。私の心をうるさくするのも落ち着かせてくれるのもいつだって瀬呂くん。ずっと焦がれてやまなかった人とキス、しちゃったんだなあ。さっきのをまた思い出してしまい火を噴くように体が熱い。
「んじゃとりあえず、はい。」
目の前に瀬呂くんの手が差し出される。どういう意図のものかわからなかったけど何だか反射的にそれを掴んだ。
「これからよろしくの握手。」
「な、なるほど。」
何その発想可愛い。口を突いて出そうになるのを何とか堪える。握り返した私の手を彼の両手がそっと包み込んだ。じんわりと温かさが広がるのが心地いい。
「……瀬呂くん。」
「ん?」
「あの、よろしく、お願いします。」
「こちらこそ。不束な者ですが。」
お互いにぺこりと頭を下げどちらからともなく笑う。私たちはおよそ一年の片思いに終わりを告げ、この日彼氏彼女になった。