休戦
設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「お、目開いた!」
「13号!起きました!」
よっぽど疲れていたのだろう。緑谷くんは移動の間中ずっと障子くんの腕の中で眠り込んでいた。
うっすらと意識を取り戻したらしい彼はまだぼんやりとした様子で。それにいち早く気づいた切島くんと上鳴くんが私たちを引率してくれていた13号先生の名前を呼んだ。彼女はすぐに駆けつけてくれ、寝ぼけ眼の緑谷くんを心配そうに覗きこむ。
「ああ良かった!聞こえるかい緑谷くん。」
「……はい。」
先生の問いかけに何とか返事をした緑谷くん。彼から戦う意思がなくなっていることに私たちもひとまず安堵した。
「今現在ほとんどの民間人は各地避難所に移動してくれてる。まだ外に残ってるのは脱ヒーロー派の自警団とダツゴクに乗じて暴徒と化した過激派。」
覚醒し切っていない緑谷くんに13号先生が軽く現状報告をする。脱ヒーロー派も疲弊してきており避難所に入る人が増えていること。過激派は多くが徒党化している分動きは追いやすいこと。避難が進んでどちらに対しても人員を割けるようになった今なら緑谷くんが外でしてきた人助けは他のヒーローや警察が肩代わりできる範疇になっていること。
緑谷くんは回らない頭に情報を入れながら、聳え立つ壁に書かれた文字を見て目を見開いた。障子くんに手を借りて地面に下り立ち、信じられないといった様子で自分が今いる場所の名前を口にする。
「ゆ……雄……英……?」
驚くのも無理はなかった。彼はまだここが盤石すぎる砦になっていることを知らない。まさかAFOに狙われている自分が本当に連れ戻されるなんて思ってもみなかったのだろう。
「雄英バリア発動中。この壁も機能のごく一部に過ぎねぇって。」
「システム聞いたらマジ腰抜かすよ‼士傑とガッチャンコするって‼」
瀬呂くんと透ちゃんが要塞仕様に変化した学校についての説明をしてくれる。緑谷くんは聞いているのかいないのか。覇気のない瞳で壁の向こうを見つめていた。
自分が戻ればどうなるか。このあと何が起きるのか。きっと彼はもう想像できてしまっている。
「戻るのは……ダメなんだ。」
力なく呟いた緑谷くんにぎゅっと心臓が痛くなる。彼の不安も心配も手に取るように分かった。私ですら日常的に心ない言葉を掛けられているのだ。ましてや死柄木が狙っているという張本人。市民に受け入れられるわけがないと諦めてしまうのも当然だった。
先生たちは避難者を上手く説得できただろうか。いや、望みは薄いと思っておいた方がいい。不理解、不寛容。何れもあと一歩。近寄る事の出来なかった人々の歩み。それを乗り越えられるかどうかは、私たちに掛かっている。
「中が騒がしい。」
13号先生に続いて雄英バリアをくぐる。視界に飛び込んできたのは校舎へ向かう道を埋め尽くすほどの人の群れ。耳を劈くような怒号が私たちA組の前に立ちはだかった。
「その少年を雄英に入れるなー‼」
「噂されてる死柄木が狙った少年ってそいつだろ‼」
避難者が雨の中傘を差しながら叫んでいる。私たちを阻むために列をなしている人までいて、まるでデモのような様子に唖然としてしまう。
「おい、校長の説明があったじゃないか。我々の安全は保障されるって……。」
「納得できるか‼できたのか!?安全だと言われたから家を空けて避難してきたのに!何故爆弾を入れるんだ‼」
「雄英じゃなくていいだろ‼匿うなら他でやれ!」
何も拒絶ばかりじゃない。緑谷くんが雄英に戻ることに理解を示してくれる人たちは少なからずいる。けれど追い出したいという人が大多数だ。怒りは伝播し、不安は広がっていく。緑谷くんは市民の人たちの本心を改めて目の当たりにし、諦めた顔でくるりと背を向けた。
黙って立ち去ろうとする彼の服を反射的に掴む。それと同時に伸びたのは、優しい笑顔で緑谷くんに微笑む彼女の手だった。
「大丈夫。」
いつものように朗らかに笑ってお茶子ちゃんが緑谷くんを引き留める。私も彼女に同意するように頷いて見せた。ぽかんと緑谷くんの口が開く。
飯田くんが、爆豪くんが、私たち全員が紡いだ糸。もう絶対に緑谷くんを離しはしない。誰にも私たちは離されない。緑谷くんが明日を笑えるよう、彼女は詰め寄る群衆をしっかりと見据えた。
「その少年をここに入れないでくれー‼」
「死柄木が来る‼」
「雄英は安心と安全を保証するんじゃなかったのか!」
入れるなと出ていけが交互に飛び交う。私や焦凍くんも、こんな風に思われてるんだろうか。そう考えると怖くて膝が震えた。
「OFAってのは脳無なんだろ……!?」
「怖い……!」
「他所へやれ!」
「また隠ぺいしてやり過ごそうってのか!?」
反対している人もそうでない人も、誰もが暗い顔で眉を顰めていた。先生たちが説得しきれなかったことに悔しさを滲ませる瀬呂くん。私はそんな彼の陰にそっと隠れた。
火に油を注いではいけない。瞬時に悟って咄嗟に取った反射的な行動。焦凍くんもエンデヴァーさんとホークスさんと一緒に敷地の外で待機していた。
燈矢さんの暴露により世間からの風当たりは強い。これ以上緑谷くんに石が投げられないよう、私たちはひっそりと息をひそめるしかなかった。彼に大丈夫だなんて頷いておきながら情けない。友達のピンチなのに、私は声を上げることすらままならない。
「理解を示してくれる人もいた。けれどすべては拭い去れない。」
13号先生の言葉に思わず俯く。何とか彼らを宥めようとひざしくんが拡声器を使って呼びかけるけれど熱くなりすぎている人たちには意味がなかった。得体の知れない恐怖は冷静な思考を奪ってしまう。市民とヒーローの間にある隔たりが、じわじわと私たちの首を絞めていた。
「聞き入れ難い話だろう。こと教員からでは。提言したのは私だ。」
「ジニさん!」
喉が枯れそうになっているひざしくんの肩にベストジーニストさんがぽんと手を置いた。市民の人たちの意識は一気に彼へと向き、行き場のない気持ちをジーニストさんにぶつける。
「ジーニスト……‼私たちはあなたの言葉を信じてここへ来た‼」
「ああ!校長から説明があったように!雄英は今最も安全な場所でありあなた方の命を第一に考えている!」
ジーニストさんはトップ3の代表として緑谷くんを庇ってくれる。信頼できるヒーローである彼の言葉なら。私は祈るようにその背中を見つめた。
「我々は先手を打つべく緑谷出久を囮に敵の居場所をつきとめる作戦を取った!だが充分な捜査網を敷けず成果はごく僅かしか得られなかった!緑谷出久は敵の狙いであると同時にこちらの最高戦力の一角!これ以上の摩耗は致命的な損失になる!確かに最善ではない‼次善に他ならない!不安因子を快く思わないのは承知の上でこの最も安全な場所で彼を休ませてほしい!いつでも戦えるように、彼には万全でいてもらわねばならないのです!」
彼の訴えに一瞬その場が静まり返る。もしかしてわかってくれただろうか。そう思ったのも束の間。納得なんてするはずのない避難者がヒーローに向かって顔を引きつらせる。
「あんたら失敗したから……そもそも日本は無法になっちまったんだぞ。んでまた失敗したからしわ寄せを受け入れろって、あんた、そう言ってんだぞ……!?」
誰からともなく、怒りは爆発した。
「ふざけるな!」
「それでヒーローのつもりなのか‼」
「勘弁してくれ‼俺たちはただ、安心して眠らせてほしいだけだ‼」
この恐怖を、先の見えない不安を、やるせなさを。彼らは私たちヒーローにぶつけるしかない。人々の不満が波のように押し寄せてきて呑み込まれそうだった。胸を抉るような言葉の数々に呼吸が浅くなり、途端に吐き気が襲ってくる。
「う、」
慌てて口元を抑えたところでぐらりと視界が傾いた。瀬呂くんが私の肩を抱きとめようと手を伸ばしたその瞬間、空中に飛び上がる彼女を見た。
群衆の視線が一斉にお茶子ちゃんの方に集まる。ひざしくんから拡声器を奪ったらしい彼女は無重力を使って学校の屋上へと着地した。
彼女がこれから何を伝えるつもりなのか。それは私たちにもわからない。
「お茶子ちゃん……。」
体を支えてくれている瀬呂くんと一緒に雨に濡れている彼女を見上げる。私たちは特に何かを交わすこともなく、ただじっとお茶子ちゃんの言葉を待った。
『デ……緑谷出久は、特別な力を持っています……‼』
拡声器のスイッチを入れた彼女は思い切り息を吸って話し始めた。たった一人の、大切な人を守るために。
「だからそんな奴が休みたいからってここに来るなよって話だろうが!」
『違う!迷惑かけないようここを出て行ったんです‼連れ戻したのは私たちです!』
避難者からの反論に彼女も負けじと応戦する。とにかくみんなに冷静になってもらわなければ話すらできない。平行線を終わらせるために、私たちは茨の道を突き進むしかないのだ。
『彼の力は……!あの……特別で!AFOに討ち勝つ為の力です!だから狙われる!だから行かなきゃいけない‼そうやって出て行った彼が今どんな姿か、見えていますか!?』
お茶子ちゃんの叫びに押し黙る人々。バツが悪そうに緑谷くんの方をちらりと見た彼らの目には、ボロボロの格好で憔悴しきった学生が映っていた。
ヒーローが一人の人間であること。当たり前のはずなのに私たちですら忘れてしまいそうになる、揺るぎない事実。
『この現状を一番どうにかしたいと願って!いつ襲われるかも分からない道を進む人間の姿を、見てくれませんか!?』
みんなの笑顔を守るために、戦って戦って。たった一人で傷ついていった緑谷くんは、どれだけ大きな力を持っていても不死身のスーパーマンなんかじゃない。楽しいことがあれば笑うし辛いことがあれば泣くことだってある。感情のある人間で、私たちと同じ高校生なのだ。お茶子ちゃんの必死の呼びかけに気づけば涙が頬を伝っていた。
『特別な力はあっても‼特別な人なんていません‼』
緑谷くんを絶対に救けたい。彼女の強い気持ちが全身から溢れていた。
どれだけ説明を重ねても、どれだけ強固なシステムがあっても。死への恐怖というのは残ってしまうだろう。それを緑谷くん本人がいくら大丈夫ですと訴えたところできっと聞き入れてはもらえない。だから。
彼が拭えないものは私たちが拭う。さっきの爆豪くんの言葉をお茶子ちゃんが今、まさに体現してくれている。
「……ボロボロじゃん。」
「弱そう……。」
傷だらけの緑谷くんを見て我に返った人たちが口々に零しながら眉を下げた。遠くから見ていた異形のお姉さんが、彼らに聞こえるようにぽつりと呟く。
「……戦ってたんだ。私を助けてくれた後も、ずっと戦ってたんだ……。」
緑谷くんはずっと、ここにいる人たちの明日を守るために自分を犠牲にしてきたのだ。それをようやく理解した避難者からどよめきが起こった。擁護の声が大きくなりそうな雰囲気に、受け入れ反対派の一人がぎりと歯噛みする。
「……っ……見たら……何だよ……!?まさか……俺たちまで泥に塗れろっていうのかぁ!?」
民衆の敵意は今ヒーローに向けられている。その溝を消し去るための希望の一手。お茶子ちゃんは精一杯の気持ちを込めて彼らに吠えた。
『泥に塗れるのはヒーローだけです‼泥を払う暇を下さい‼』
ぼろぼろと大粒の涙が溢れる。前の方にいる飯田くんが隣の彼に呼びかけた。
「緑谷くん。麗日くんは今、戦っている。」
ヒーローだとか市民だとかもうそんなのは関係なくて。お茶子ちゃんはただ全ての人に笑ってもらいたいんだ。ここに避難している人たちにも、緑谷くんにも。心の底から笑ってほしいだけなんだ。
それがあまりに彼女らしくて。鮮烈なほど優しいヒーローから私は目が離せなかった。
「麗日さん!」
緑谷くんの大きな瞳からも涙が零れる。誰かの笑顔のために一生懸命になれる強さは、きっと彼女が緑谷くんから学んだものだ。やっぱりどんな時でも思いは繋がれている。二人がこれまで育んできた絆に感服する他なかった。
『今!この場で安心させる事は……ごめんなさいっ!できません‼私たちも不安だからです‼皆さんと同じ隣人なんです!だからっ……‼力を貸してください‼共に明日を笑えるように……皆さんの力で!どうか!彼が隣でっ!休んで……備えることを、許してくれませんか‼』
お茶子ちゃんの熱が、誰かを救けるという意思が、びりびりと伝わってくる。緑谷くんのことが好きで、ずっと側で彼を見てきたからこそ言える言葉。それに胸を打たれているのはきっと私たちだけじゃない。
『緑谷出久は、力の責任を全うしようとしているだけの、まだたくさん学ぶことのある!普通の高校生なんです‼』
彼の重すぎる運命を少しでも軽くできたら。そのために一人でも多くの人と、手と手を取り合えたら。どうかお茶子ちゃんの夢が叶いますようにと心の底から願う。
「でも、『ここを!』
口を挿もうとした人の声を彼女の叫びがかき消した。
『彼の!ヒーローアカデミアでいさせて下さい‼』
緑谷くんはとうとう泣き崩れて膝をついた。抑えきれずに嗚咽が漏れ洪水のように涙は止まらない。そんな彼の姿を見て駆け出した人影が二つ。ボロボロの彼へとまっすぐに伸びたのは、まだあどけない小さな手だった。
「緑谷兄ちゃん‼」
さっきの異形のお姉さんと緑谷くんとお揃いの真っ赤な靴を履いた洸汰くん。二人が緑谷くんの元へ駆けつけたその時、急に目の前が開けたように感じた。
根津校長の言っていたあと一歩。それがたった今、一人のヒーローへと届いた。お茶子ちゃんの思いが、近寄ることの出来なかった人々の歩みに橋を渡した。緑谷くんの辛さに寄り添い温かい手を差し伸べたのは、以前彼が命を懸けて守った彼らだったのだ。
「ごめんね……!僕っ……恐くて動けなかったんだ!ごめんよ!ごめん!でも!あのお姉ちゃんが頑張って話してて、僕、行かなきゃって……!兄ちゃんみたいにならなきゃって……‼だから僕……。」
洸汰くんは涙でぐしょぐしょになりながらもにっと口角を上げた。あの時彼が、緑谷くんにそうしてもらったみたいに。
「来たよ!だからもう泣かないで大丈夫だよ!」
「洸……汰くん……‼」
彼の勇気に緑谷くんも顔を上げる。すると異形のお姉さんも緑谷くんをそっと抱き上げ地面へと立たせてくれた。
「雄英の人だったんだね。」
「お姉さん……!」
「異形は入れられないって……何か所か避難所断られちゃってね……。結局雄英がいいって事になったの。でも君にまた会えたからラッキーだ。あの時はありがとう。泣き虫ヒーローさん。」
彼女もポロポロと泣きながら笑った。緑谷くんのためにと駆け出した二人が、ぎゅっと彼に抱き着く。
ヒーローが救った人たちが巡り巡ってヒーローを救けてくれる。こんなに嬉しいことが、他にあるだろうか。
「ヒステリックに糾弾する前に、話ぐれぇ聞いてもいいんじゃねぇのか……?」
群衆の中の一人が緑谷くんを庇うように反対派の人の前に出た。
「その兄ちゃんはここに常駐するって訳でもねぇんだろ!?物資も人材も足りねぇ今、兄ちゃんがすり減る事なく休めるのがここしかねぇってこったろ!?そういう説明だったよなヒーローさんよ!?」
周りに聞こえる大きな声で校長先生に問いかける。それに対して根津校長は静かに頷き肯定の意を示した。
「士傑じゃダメなのか!?同等の設備なんだろ!?」
「でも……そしたら士傑で同じ事が……。」
さっきまでとは違う。みんな、ちゃんと考えながらしゃべってくれている。市民の人たちが少しずつヒーローに目を向けてくれることがわかって心が温かくなる。
「俺ぁよう。こうなるまで気付かんかったよ。」
さっき庇ってくれた人がまた口を開く。避難者を諭すように語る彼の声色は私たちにとってとても優しいものだった。
「かつてオールマイトっつう不世出の男がヒーローを示したよ。皆そいつを擦った!囃し立てた!そうしてく内に、いつの間にか皆そこに込められた魂を忘れちまってたんだ。だが舞台は取っ払われちまった。失敗を重ねて金も名誉も望めねぇ。ヒーローと呼ばれた大勢の人間が投げ出した。そン中で今残って戦う連中は、何のために戦ってるんだ?今戦ってる連中まで排斥していって俺たちに何が残る!?どうやってこれまで通り暮らす!?辛ぇのはわかる!けど冷静になろうや!」
彼は今いるヒーローたちの苦労を理解した上で労わってくれていた。不理解・不寛容が今後何も生み出さないことにも気づいていた。彼の発した次の問いかけに、その場がしんと静まり返る。
「俺たち、いつまで客でいるつもりだ?」
混乱の中にある社会でヒーローだけに責任を押しつけず立ち上がろうとしてくれてる人がいる。それが知れただけでも、もう気持ちは充分だった。さっきまで私たちに食い下がっていた人が、彼の言葉を受けてぽつりと呟く。もうそこに激しさはなかった。
「ふ、複数の個性を操る……ボロ切れのような男が噂になってる。敵の扇動役とも、真のヒーローとも言われてる……。」
彼だって不安に押し潰されそうなだけなのだ。不安だから、心配だから緑谷くんを排除したかった。そう思っていたはずなのに、彼もまた一歩こちらに歩みを進めようとしてくれている。
「答えろよ。おまえがここで休んだら、俺たち元の暮らしに戻るのかよ?」
緑谷くんは流れる涙をそのままに、真っ直ぐ彼を見つめた。
「皆が一緒にいてくれるから……全部、取り戻します。」
緑谷くんの、お茶子ちゃんの、私たちの思いが繋がった瞬間だった。あれほど彼を糾弾していた人が、雨に濡れている緑谷くんへと傘を差し出す。市民は自らの意思であと一歩を踏み出した。
それをきっかけに次々と他の避難者たちが私たちの下へ集まってくれる。誰かが誰かのことを思う世の中というのは、こんなに明るいものだったのか。数分前までは想像もしてなかった光景にまた胸が熱くなる。
「ほら、あなたも。」
「え……。」
目の前に差し出された傘を私は一瞬手に取れなかった。まさか自分にまで声を掛けてくれる人がいるだなんて。その年配の女性は私に向かってにっこりと笑った。
「体育祭の時からあなたのファンなのよ。タイフーンのことも、ずっと応援していたわ。」
「……っありがとう、ございます……!」
私の味方はヒーローだけじゃなかった。まるで許されたみたいに肩の力が抜けていく。泣いてしまって上手く返事できない私の代わりに、隣の瀬呂くんがそっとその傘を取った。
「良かったな、みょうじ。」
「う、ん……!」
相合傘の状態でぽんと頭を撫でられる。年配の女性は「あらあら」と言って私たちを微笑ましそうに見ていた。
前の方にいる緑谷くんの周りには大勢の人がいる。涙を拭きながら笑っている彼の姿に、ようやく緑谷くんが帰ってきたのだと実感した。
空はまだ晴れていない。けれど、雄英内には眩い光が差し込んでいる気がした。またみんなで笑い合える未来。夢に見ていた光景は、確かに今この手の中にあった。
20/20ページ