日記
設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「っひ、う。」
「大丈夫、俺に合わせてゆっくり息吸って。」
部屋に入ってきてすぐさま私を支えてくれた彼が優しく背中をさすってくれる。欲しかった温かさに強張っていた体が少しだけ緩み、私はようやく酸素を取り込むことができた。
「そ、じょーず。」
瀬呂くんは何を聞くでもなく、私が彼の胸に縋るのを許してくれた。涙で服が濡れているのにも嫌な顔一つせず、ただ背中に回している手を上下にゆっくり動かし呼吸を元に戻してくれる。
「……ごめ、ん……ありが、とう。」
「ん、ちょっとは落ち着いた?」
詰まりながらも言葉を発せば彼は指で私の涙を拭いながら頭を撫でた。
「日記を……読んでて……。」
滲んだ視界のままポツリと零せば彼はすでに事態が呑み込めているようだった。机の上に開かれている日記にちらりと目を遣ったあとまたすぐに私に向き直ってくれる。
「……泣いちゃうようなこと、書いてた?」
気遣うように聞いてくれる彼にさらに涙が込み上げてくる。色んな情報が一気に押し寄せて潰れてしまいそうだった。
「わ、私……ちょっと、混乱し、ちゃって。」
「うん。」
「おと、さん、に……愛を、愛して、くれてたってちゃんと……わかったのに……っ。」
父は確かに家族を愛していた。それなのにいつの間にか、どうしてこんな風になってしまったんだろう。
「私、やっぱり、望むままにされてたんだって、わかっちゃ……って……。」
父のエンデヴァーさんに対する気持ちも、初めは本当に尊敬や友情だけだったのかもしれない。それが轟家がおかしくなるにつれて、友を助けたいという思いが膨れ上がるにつれて変貌してしまった。エンデヴァーさんが後に引けなくなって焦凍くんに傾倒していったように、父も彼を助けたい一心に憑りつかれて私をヒーローにさせようとのめり込んだ。人を思いやる心は本来ならもっと柔らかいはずなのに、それがまるで呪いのように父を縛った。彼が大切なものを見失ってしまうほどに。
それから私はまとまらないながらも父の日記に書いてあったことを瀬呂くんに全部話した。もちろん焦凍くんの家のことはぼかしながら。エンデヴァーさんに父の気持ちが向かっていたことと轟家が複雑な事情を抱えてるということは隠すことができなかったけど。
支離滅裂な私の話を瀬呂くんは頷きながらずっと聞いてくれていた。いつも以上に真剣な彼の目にじんわり心が溶かされていく。
「……勝手だな。」
全て話し終わったあと、瀬呂くんが最初に口にしたのは父への非難だった。その声は少し怒気をはらんでいる気さえした。
「自分の出来なかったことを理由も言わずにみょうじの肩にのせたってのは、俺は気に食わない。」
きっぱり言い切った彼に、心底安心してる自分がいた。
「まーでもこれは俺の意見だから。みょうじは読んでどう思った?」
目の前の彼に問われて私は回らない頭で思考を巡らせた。事実を受け取ることに精一杯でまだ整理はつかないけれど、自分の心の声はちゃんと聞かなきゃいけないと思った。
「おとう、さんが、家族を大切に思ってくれてたのは……分かって、嬉しかった。でも、だから……なんでこうなっちゃったんだろうって……。エンデヴァー、さんに、恨みとかは全然……なくて。なんで、お父さんが……そういう選択をとったのかな、って……。」
母に話すことはできなかったのだろうか。エンデヴァーさんに直接打ち明けることはできなかったのだろうか。たった一言、力になりたいと言えばよかったはずなのに。父もエンデヴァーさんも、どうして一人で苦しむ道を辿ってしまったのか。
「……愛して、くれてることがわかって、私も……前みたいにお父さんを愛したい、のに、それでも……やっぱり勝手に私の未来を決めちゃったことが……許せないの。」
今の本当の気持ちを素直に吐き出す。日記を読み終わったあと、父のことを手放しで好きだと言えればどんなに良かっただろう。こうなることは初めから分かっていたはずなのに、それでもどうしたって悲しい。父に対して許せないと思ってしまうことがこんなにも苦しい。
瀬呂くんは私の髪を優しく撫でながらゆっくり口を開いた。私は彼の胸に顔を寄せ、聞き逃さないようしっかり耳を傾ける。
「これ瀬呂くんの主観だから。違うなって思ったら忘れてほしいんだけど。日記の内容聞いてさ、俺も親父さんは本当にちゃんとみょうじのこと愛してたんだなと思ったよ。どっかで歯車が狂って間違った形になっちゃったかもしんねえけど、そこにみょうじを大事に思う気持ちはあったんだって、正直ほっとした。」
彼の思いが胸に響く。私だけじゃなくて、他の誰かに父に愛されてるという事実を認めてもらえて嬉しかった。職場体験の時素直に受け取れなかったベストジーニストさんの「君を大切にしていた」という言葉が脳裏に蘇ってくる。
「でもみょうじは、自分のされてきたことに対して怒る権利がある。たとえ愛があったとしても親の勝手な都合で振り回されたことに変わりはねーし。だから愛があったから許さなくちゃとか、そういうんじゃねえよ。てか俺は許せねーもん。みょうじの感情無視して夢託したこと。」
私の代わりに憤ってくれる瀬呂くん。重たい荷物を一緒に背負ってくれようとする彼に心が軽くなっていく。
「親父さんに愛されてた実感と親父さんを許せない気持ちと、それでも親父さんのことが好きな気持ち。全部別々に持ってていいと俺は思うけどね。無理に手放す必要なんてねーよ。だってそれがみょうじなまえが生きてきた証だろ?」
別々に持ってていい。そう言われた瞬間胸に詰まっていたものがストンと落ちた。
そっか。愛してくれてたから愛し返さなきゃとか、許せないから好きな感情を捨てなきゃとか、そういうことじゃないんだ。嬉しかったり苦しかったりするのも全部私の気持ちで、それが矛盾してたって一方を無理矢理消すことなんてないんだ。自分の中で整理がつくまで、ううん、一生つかなくても抱えたまま生きていっていいんだ。
どれか一つを選ばなきゃと思ってたから、なんだかすごく楽になった。
「瀬呂くん、すごい……。」
「お?なんかいーこと言った?」
思わず感動を口にすれば彼はいつもの調子でおどけて見せた。自然と口元が緩む。やっぱり瀬呂くんはいつだって私を照らしてくれる。
「そういやみょうじはどうやってこの日記手に入れたの?」
一息ついてさっきより穏やかな雰囲気になったところで瀬呂くんが素朴な疑問をぶつけてきた。ホークスさんにもらったなんて言えないから曖昧に誤魔化してたんだっけ。
「えっと、知り合いの……ヒーローの人にもらって……。」
嘘は言ってない。さすがにNo.2のことは伏せておいた方がいいかなと思って名前は出さなかった。
「お父さんが、時が来たら私に渡してほしいって言ってたんだって。」
「今がその時ってこと?」
「うーん、わかんない。私も同じこと聞いたけどその人も知らないって言ってたから。」
まあホークスさんの場合知ってたのに教えてくれなかったって可能性も十分あり得るけど。彼の顔が浮かんで苦笑していると瀬呂くんは何か考え込むような仕草をした。
「何で親父さん、これをみょうじに見せたかったんだろうな。」
それは私もずっと不思議に思っていたことだった。大量にある日記の核心に辿り着いたはずなのに、結局父がこの日記を渡したかった理由はわからない。一体何を伝えようとしたというのだろう。
「……これ、予想でしかないんだけど……っていうか私の願望も入ってるんだけどね。」
「うん。」
「罪悪感が、あったのかなあって。」
そう呟くと瀬呂くんはハッとした表情になった。「そうか」と頷きながら納得した様子で自分の口許に手を当てる。
ホークスさんに日記を預けていたということは、父本人からはきっと私に手渡す気はなかったのだろう。多分彼は、彼が死んだあとにこれが私の手元にやってくることを望んでいた。もしかしたら、懺悔の意味を込めて。あるいは、友を救いたい自分の意志を繋ぐために。
どちらが真実かはわからないしどちらでもないかもしれない。けれど私は何となく、どっちの気持ちも半分ずつ入っていたんじゃないかと思う。彼もまた私と同じ、どっちつかずの感情に苛まれたただの人間だったのだろうから。
瀬呂くんに話を聞いてもらったあとだからこそ、こういう考えに至ることができた。父を一人の人間として客観的に見ることができるというのはとても新鮮で、なぜだかとても嬉しかった。
「瀬呂くん。」
「ん?」
「ありがとう。」
改めてお礼を言うと彼はやんわり目を細めた。どきりと胸が高鳴る。
「良い顔んなったね、みょうじサン。」
私の頬を軽く撫でた彼に見つめられ、今さらながら距離が近いことに気づく。急に熱が上がってきて私はおずおずと体を離した。
「あ、残念。もうちょい堪能したかったのに。」
「え、う。次の機会に……。」
「待って次の機会について詳しく聞きてーんだけど。」
「か、勘弁してください。」
真面目な顔して詰め寄ってくるから思わず後ずさってしまう。そんな私を見て瀬呂くんは悪戯っぽく笑った。
「元気になったみたいで良かったよ。」
いつものようにポンと頭に乗ってくる大きな手。さっきまでの重い心が彼のおかげで浮上していく。父のことを考えるたびに立ち込めていたモヤモヤがいつの間にか消えていた。
父が私を愛してくれていたこと。これは揺るぎない事実。この先彼を完全に許すことはないかもしれない。それでも。彼がくれた愛だけは胸の中にちゃんとしまっておこう。優しさも葛藤も憎悪も、全部が彼が生きた証で、私が生きる証だから。
改めて父と向き合って、新しい日々が始まった気がした。
4/4ページ