休戦
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「んううう……!」
個性の使いすぎでくらくらになりながら自分の上空に雲を作っていく。だけどあの時よりかなり狭い範囲で小雨程度しか雫は落ちてこなかった。火事場の馬鹿力とはよく言ったものだなあ。
「トルネード!もっと意識集中させて!チャージも気抜かない!」
すぐにマンダレイさんから活が飛んでくる。私は「はぁい」と力なく返事をして再び両腕に力を込めた。もっと早く雨を降らせられるようにならないと、攻撃には使えない。
私たちはプッシーキャッツさん指導の下圧縮訓練を受けている真っ最中。現在ヒーロー科は周辺の警備協力要請があるまで寮で待機となっているため、敷地内で可能な限りの底上げをしようということになったのだ。戦いはまたいつ始まるかわからない。未来に備えて、せめて少しでも個性を伸ばしておかなくちゃならない。
各々が新技を編み出したり個性上限を上げたりしている中、私は上空で雨雲を作っていた。雨を降らせるだけの雲を集めるにはかなり空気を凝縮させなければならず、相当にエネルギーがいる。しかももっと広範囲に、とか一瞬で特定の場所に、とか条件をつければつけるほど難易度が上がって開始一時間ですでに体はヘロヘロだった。これをちゃんとした技として使える日が来るのだろうかと不安になってくる。
いや、来るのかじゃない。絶対モノにするんだ。次の戦いまでに絶対。弱気な心を振り払って意識を上に集中させる。さっきよりも強い雨がパラパラと私の顔に降り注いだ。
「お疲れ。」
個性の使いすぎで血が出てきてしまったので鼻を押さえながら一度寮の中に戻ると、そこには水分補給中の瀬呂くんがいた。よりにもよって彼にこんな姿を見られるなんて。恥ずかしくなって俯けば「ティッシュいる?」とすぐさま2、3枚持ってきてくれる。
「……ありがとう。」
「いーってこと。みょうじ何か鬼気迫る感じですげーね。」
瀬呂くんがぽんぽんと頭を撫でてくれる。こんな風に二人きりで話をするのはいつぶりだろうか。戦いの日からそう何日も経っていないはずなのに、何故だか随分久しぶりな気がした。
「それは、瀬呂くんもというか……みんな、同じじゃない?」
社会が変わってしまってからというもの明らかに私たちの熱量は変わった。もっと真剣に、もっと身近に、私たちは敵と向き合わなければならない。誰もがそう感じたのだ。あの、凄惨な現場で。
「……そりゃそーだな。ヒーローとしてまだ全然足んねえってわかったんだもんな。」
瀬呂くんはコップの中のお茶を飲み干して遠い目をした。彼はきっと今、守れなかった命のことを考えている。その心情を察するのはあまりに容易だった。
私は自分の血を拭いてから顔を洗った。再び外に出ようとすると、瀬呂くんが玄関で待ってくれている。「行こうか」と扉を開けようとすれば彼が私の手をふわりと包んだ。
「え……。」
驚いてそちらを見ると心配そうに眉を下げる彼。複雑な表情のまま、じっとこちらを覗き込む。
「緑谷のこと、あんま責任感じ過ぎねーのよ。」
心の中を読まれたみたいでどきりとした。そう、確かに緑谷くんが雄英を離れてからというものずっとモヤモヤとした気持ちが纏わりついていたのだ。もっとちゃんと話をできていれば、もっと私が強ければ彼は一緒に戦う道を選んでくれただろうか。そんなことばかりが頭の中を渦巻いて眠れなかった。私の顔色が悪いことに、瀬呂くんはやっぱり気づいてくれていた。
「……うん、ありがとう。ちょっと力抜けたかも。」
「そりゃよかった。」
いつも通りに目を細める彼に安心している自分がいる。私が笑って見せると彼は「んじゃ行くか」と扉を開けた。訓練のために走っていく大きな背中は、とても心強いものだった。
私にはすぐ側に味方がいてくれる。頼りない私を支えてくれて、明るい方向に引っ張ってくれる人がたくさんいる。
じゃあ、緑谷くんは?今一番大変な思いをして一人で戦っている緑谷くんのことは、一体誰が支えてくれるんだろう。誰がその手を取って光の中へ連れ出してくれるんだろう。そう思うとぎゅっと胸が痛んだ。
「……しっかりしろ。」
自分自身に言い聞かせて顔を上げる。私たちが掴むんだ。だからもっと、強くなるんだ。彼にとってのヒーローになれるように。
頬を叩いて気合を入れた。もう一度みんなで笑い合える未来のために、私はクラスの輪の中へと駆け出した。
一日中動き回って体はもうくたくただった。みんな眠そうに目をこすりながら寮へと戻っていく。「風呂入んのめんどくせェ……」とぼやいている上鳴くんにこっそり同意していると、ふと後ろから私の名前を呼ぶ声。
「みょうじ、ちょっといい?」
振り返ると同じく圧縮訓練を受けていた回原くん。周りにはいつの間にかA組のみんなもB組のみんなもいなくなっていて、寮の前で私たちは二人きりだった。すっかり陽が落ちてしまって空は暗い。部屋から漏れてくる灯りが彼の整った顔を照らしていた。
「うん、大丈夫だよ。」
「悪いな、疲れてるとこ。」
回原くんは所在なさげに視線を彷徨わせた。不思議な緊張感が二人の間に漂う。何だか私も落ち着かなくなりながら、彼に呼び止められた理由を頭の中で探していた。
「ううん、どうしたの?」
「あ、いや……話、したくて。」
あまり歯切れのいい返事ではなかった。彼に促されて私たちは共同スペースの窓から見えない位置へと移動する。回原くんはベンチに座ろうとはしなかったので、腰を落ち着けてする話じゃないのだろうかとますます謎が深まった。
夜の静けさの中何度も彼が息を吸い込む音を聞く。もしかしたら、勇気を出してくれているのかも。何故だかそんな気がして私は黙ってその様子を見つめていた。
「みょうじが……荼毘の炎にやられて、重傷で運ばれたって、聞いた時……。」
「うん。」
ぽつりぽつりと話し始めた彼の邪魔をしないよう、必要最低限の相槌を打つ。回原くんの表情はどこか苦しそうで、心配してくれていたんだと一目でわかった。
「……俺、すげえ怖かったよ。本当は合宿の時も、大丈夫だったかってちゃんと……聞きたかった。でもあの時はまだ仲良くもなかったし、そもそもさっさとガスでやられた俺にそんなこと言う資格あるのかよとか、思って……。」
「そんな、あの時は奇襲だったし仕方ないよ。」
合宿での敵襲撃の際、B組のみんなは事態を把握する前にガスを撒かれていた。あの状況では防御なんてできない。私が言葉を続けようとすると、回原くんは「そういう優しさがみょうじのいいとこだよな」と言って寂しげに笑った。
「話戻すけど、治療が終わってもみょうじが目覚まさないってA組の連中から聞いた時にさ、死ぬほど後悔したんだよ。まだ全然仲良くなれてねえしまだ何も伝えられてねえのにって。もっと話したいこといっぱいあったのにって。万が一のこととか考えちまって気狂いそうだった。」
大事な人を思うかのような発言に鼓動が速くなる。回原くんの声色はとても真剣で、溢れる気持ちをまっすぐ伝えようとしてくれている姿に段々と体温が上がっていった。
「そんで、みょうじの意識戻ったって知った時はすげえほっとしてさ。退院して歩いてるとこ見ただけで泣きそうだった。本当は今日も……つーか今も、ずっと泣きそうなんだよ。」
「かっこ悪いだろ」と苦笑する彼に思い切り首を振る。真面目な顔で私を見つめてくれている彼がかっこ悪いなんて、そんなことはあるはずがなかった。回原くんがずっと私を気にかけてくれていたことが、とても嬉しかった。
「……俺は、俺自身のことをかっこ悪いと思うけど、でも、どんだけかっこ悪くても勝ち目がなくても、ちゃんと言わなきゃって……一生会えなくなる前に、言える時に伝えとかなきゃって、今回の件でそう思った。」
二人の間を風がすり抜ける。回原くんの熱のこもった視線に、私は息をするのも忘れていた。
「好きだ、みょうじ。」
まるで世界から他の音がなくなったみたい。たった一言、彼の言葉だけが耳に残って離れなかった。回原くんの頬が赤い。その目は私に愛しいと告げていた。
「こんな時だけど……いやこんな時だから、言わなきゃいけねえって、ずっと考えてた。もうなりふり構ってらんねえくらいみょうじのこと好きなんだよ、俺。」
回原くんが一歩私の方へと近づく。真っ白だった頭がそこでようやく現実に引き戻された。
「返事、聞いてもいいか。」
近くなる距離に戸惑いながらも顔が逸らせない。火が出るほど熱くなっているのを悟られないように、私は小さく息を吐いた。彼がぶつけてくれた誠実な思いから、逃げるわけにはいかない。
「……ごめんなさい。」
謝罪を口にすると彼は「やっぱりな」と言って困ったように笑った。私の答えを最初から知っていたみたいだった。
「お付き合いはできないけど……その、回原くんは強くてかっこよくて、本当に尊敬できる大事な友だち。だから、」
「わかってる。これからも今まで通り仲良くしてくれってことだろ?」
今度は先回りされてしまった。本当に私の返事が全て予想されている。そうか、彼は傷つくとわかっていながら最大限の勇気を出してここまで会いに来てくれたんだ。思わず泣きそうになるのを、ぐっと堪える。
「好きになってくれて、ありがとう。」
震える声でそう絞り出せば、彼は怖々と手を伸ばしとても控えめに私の頭を撫でた。
「俺の方こそ、自分勝手な告白聞いてくれてありがとな。おかげですっきりした。」
わざと明るい笑顔を作ってくれる回原くん。その姿はやっぱり優しくて、そしてとてもかっこよかった。
「引き留めて悪かったな。気つけて帰れよ。」
「じゃあ」と短く別れの挨拶をした彼は、すぐに後ろを向いてB組の寮の方へと歩き出してしまった。だからその時彼がどんな顔をしていたのか、私にはわからない。
「……ありがとう。」
彼に聞こえないようにもう一度小さく呟く。回原くんの背中が見えなくなっても、しばらく私はその場から動けなった。辺りはもう真っ暗だというのに寒さも感じない。好きだと言われた嬉しさと彼の気持ちに応えられず傷つけてしまった悲しさがぐちゃぐちゃになって気づけば地面に大きな雫が落ちていた。
寮の玄関が開く音がする。未だにコスチューム姿の私に響香が駆け寄ってきた。きっと心配して探しに来てくれたのだろう。
「なまえ、何やって……どうしたの。」
私の涙に気づいて響香が固まる。持ってきてくれていた上着がふわりと肩に掛けられ私は彼女に抱き着いた。
「……きょ、か。」
「うん?」
「難しいね、恋愛って。」
その一言ですべてを察してくれたらしい響香は私の背中に両腕を回した。ぎゅっと力が込められ、今さら自分の体が冷え切ってしまっていることに気づく。
「断ったのは私なのに……何で、傷ついてるんだろ……っずるいよね。」
彼女がぽんぽんと背中を撫でてくれるものだから涙が止まらなくなる。人から告白を受けてこんなにも感情が揺さぶられたのは初めてだった。それだけ彼の思いが真剣だったからなのだろうか。
「……色々考え込むのはお風呂入ってから、いいね。」
姉が妹を諭すように響香は私の頬を包み込んだ。寮の中にいた彼女の手は温かくてじんわり熱が伝わってくる。
「話、聞いてもらっていい……?」
「当たり前じゃん」と言って響香が目を細める。明日も朝から訓練なのに申し訳ないと思いつつも今は彼女の優しさに甘えていたかった。
響香に腕を引かれながらお風呂を目指して歩みを進める。その間もずっと回原くんの顔が浮かんで、「好きだ」という声がリフレインのように繰り返されていた。