日記
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休日の夜、お風呂でさっぱりしたあと自室に戻っていると三奈ちゃんに呼び止められた。
「今から耳郎の部屋で女子会やるんだけどなまえも来ない?」
普段なら二つ返事で行くと答える素敵なお誘い。だけど今日は首を振った。
「ごめん、仕上げたい課題があるからやめとくね。また誘って。」
「そっかあ~、頑張ってね!」
「ありがとう。三奈ちゃんも女子会楽しんで。」
お互いおやすみと別れの挨拶をして再び自分の部屋を目指す。いつもと同じはずの階段が妙に長く感じた。
ドライヤーで髪を乾かしてあとは寝るだけ。明日もお休みだし幸い今週末はインターンの予定もない。だから大丈夫。私は机の前に座って一つ息を吐いた。
大晦日からずっと読むことを避けてきた父の日記。先日の爆豪くんのおかげで覚悟が決まった。逃げずに自分と向き合う。私は震える手を胸の前でぎゅっと握りしめたあと、ようやく重たい表紙を開いた。
『またオールマイトがNo.1を維持した。炎司が、どんどん追い込まれている。私もまたNo.6止まりだ。早く炎司の隣に行きたい。』
前回は怖くなってこの日付までで読むのをやめてしまった。私はゆっくりと次のページをめくる。心臓がずっとうるさくて何だかいつもより体が冷たかった。
『妻に子どもができた。久しぶりに炎司と話をしたが、報告を喜んでくれた。』
2、3ページ進んだところで初めて私の話題が出てきた。緊張からごくりと喉が鳴る。
『妻のつわりがひどい。活動が忙しくなかなか側にいてあげられないのが心苦しい。』
やっぱり父は、ちゃんと母のことが好きだったんだな。まあ個性婚なわけじゃないし自然なことなのかもしれないけど。それでも、母の体を心配する父を知ることができてほっとしている自分がいた。
しばらくペラペラと読み進めていると、今度は焦凍くんに関する記述が出てきた。
『冷さんに子どもができた。私の子どもと同級生になる。喜ばしいことだ。炎司が憔悴しているようで心配だ。』
この時もまだ燈矢さんのことは解決してないんだ。もしかしたらエンデヴァーさんは自分の望む個性の子どもが生まれてくるよう躍起になっていたのかもしれない。燈矢さんのことを思うとちくりと胸が痛んだ。
焦凍くんが生まれた時、燈矢さんは一体どんな気持ちだったんだろう。ヒーローになりたいという夢を、どれだけ苦しみながら抱えていたんだろう。彼の強い思いが憎しみに変わる瞬間はなかったのだろうか。私に知る術などないとわかってはいてもその胸の内を考えずにはいられなかった。
段々と心が重くなってくる。だけど、ある文章が目に入ってきた瞬間私は何かから解放されたように肩が軽くなった。
『子どもが生まれた。名前をなまえとつけた。この子と妻を、生涯かけて守る。』
ポロリと涙が頬を伝う。父が私と母を愛してくれていたという、確かな証拠だった。この言葉を彼の口から聞けていたらどんなに良かったか。途端に寂しさが襲ってくる。
父に愛情はあったのか。その答えをようやく見つけた。でも、だったら、どうしてこうなってしまったのか。父はいつから変わってまったのか。やっぱりそれをちゃんとこの目で確かめる必要がある。
私は溜まった涙を拭い、祈るような思いでページをめくった。
『なまえは私の個性を強く受け継いでいるようだ。寝返りより先に浮いた。腰が抜けるかと思った。』
「ふふ」と思わず笑いが零れる。お父さん、意外と茶目っ気あったんだな。というかあれ、浮いてるってことはこの頃にはもう体全体で空気操作できてたんだ。成長していくにつれて腕しか使わなくなっちゃったんだなあ。固定概念って怖い。
しばらくほのぼの見ていたけれど、また心配になってしまう記事が目に入る。
『燈矢くんが火力を上げることにどんどん傾倒しているようだ。何もできないのが歯がゆい。』
燈矢さんの名前を見つけるたびに胸が締めつけられる。彼は焦凍くんみたいに体温調節ができるわけじゃないから火力を上げれば上げるほど熱くて痛い思いをするだろうに。それでもヒーローになりたくて、エンデヴァーさんに認めてもらいたい一心で突き進んでたんだ。残酷な世の中に負けないように。
『待望だった子が生まれた。炎司と冷さん両方の個性を受け継いだ子だ。焦凍くんというらしい。これで事態が好転すると良い。』
いよいよ焦凍くんが生まれた。待望だった子。エンデヴァーさんの夢をその身に受けた、轟家の希望。だけど私には好転が望めるとは到底思えなかった。話したこともないのに、ずっと燈矢さんばかりが気になってしまう。焦凍くんが彼をさらに暗がりへと突き落とすトリガーになってしまうんじゃないかと不安が募った。
次のページをめくり、私は口元を手で押さえた。当たってほしくない予想が的中してしまった。
『燈矢くんが焦凍くんに手をあげようとした。燈矢くんにとって焦凍くんは絶望的な存在だったらしい。好転は望めない。』
手をあげようとした。実の弟で、まだ生まれて間もない焦凍くんに。燈矢さんはそんなにも追い詰められていたのか。それだけ切羽詰まっていたというのに、誰も彼に寄り添ってはくれなかったのだろうか。オールマイトに追いつけなくてもヒーローの全てを諦めなくていい道なんていくらでもあったはず。エンデヴァーさんが異様なまでにNo.1に固執していたという事実をまざまざと見せつけられているようだった。彼がもっと早く自分を省みられていたら轟家の今は違っていた。
気分が悪くなってきてコップのお茶に口をつける。するりと入ってくる温かい温度に少しだけ冷静さを取り戻した。
『雄英から特別講師の依頼が来た。前途ある若者たちに伝えられることがあるならと承諾した。今から授業内容を考えなければ。』
ここにきて雄英の二文字。そうか、お父さんが講師してたのってこのくらいの時期からだったんだ。ってことは消太くんと出会うのこの辺りだな。
『炎司は焦凍くんを隔絶した環境で育てると決めたらしい。彼を守るためでもあるだろうがそれでいいのだろうか。今度なまえに会わせられるか聞いてみよう。友達がいた方がいい。』
轟家の歯車が、どんどん狂い始めてる。焦凍くんが兄弟と一切交流なく育てられていたあの時期に向かっているのだとわかり心が沈んだ。
『なまえを雄英に連れて行った。白雲くんたちに懐いているようだ。授業はまずまずの感触。』
あ、私学校について行っちゃってる。朧くんの名前が出てきて少しだけ頬がゆるんだ。彼を初めて見た時の衝撃、忘れられないんだよなあ。ほぼ一目惚れだったし。私の大好きだった元気で優しい笑顔。もう一度だけでも見たいななんて少し感傷に耽ってしまう。
『授業の度になまえが連れて行ってほしいとねだる。よほど白雲くんのことが気にいったらしい。相澤くんや山田くんもよく遊んでくれる。雄英はいい子ばかりだ。』
お父さんからしたら微笑ましい光景だったんだろうけどなんだかちょっと恥ずかしい。一時期朧くんについて回ってたからなあ。ひざしくんはそれをからかいながら遊んでくれたし消太くんはいまいち子どもの扱い方がわからないながらも控えめに構ってくれてた。懐かしい。
穏やかな気持ちを取り戻したのも束の間、日記は再び不穏な内容になってきた。
『炎司にまだ焦凍くんについて聞けていない。いつになったらなまえと顔合わせできるだろうか。』
まだ轟家の問題は何一つ解決してない。これだけエンデヴァーさんを大切に思ってるのに、父はあと一歩踏み込めないでいるらしかった。
次のページに進んだ瞬間ぐっと息が詰まった。目を背けたくなるような、悲しい出来事。
『白雲くんが亡くなった。インターン中に建物の倒壊に巻き込まれたらしい。まだ若いというのになんということだろう。なまえにどう説明していいかわからない。』
あの時、本当に父は言葉を選んでくれたと思う。朧くんが死んだことを隠すわけではなく、けれど少しでもショックを和らげることができるよう優しく抱きしめながら話してくれた。
『あれからなまえがふさぎ込んでしまっている。死というものを理解できているのかはわからないが、もう会えないということはわかるらしい。』
ここでも父の愛情を再確認することができた。確かに私のことを気にかけてくれていたのだと、文章から伝わってくる。
『炎司に連絡を取り焦凍くんとの対面の約束を取り付けた。なまえも少しは元気になってくれるといいが。』
ここでようやく焦凍くんと出会うことになりそう。段々と核心に迫りつつある気がした。
『なまえと焦凍くんの初対面。2人とも人見知りだが無事打ち解けられたようだ。同世代の友達ができることは、子供たちにとってもいいものだろう。』
焦凍くんにとって、恐らく私は初めての友達だった。元々大人しい性格だった彼とは波長が合い、すぐに仲良くなったのを覚えている。
しばらくページを進めていくと、気になる記述が目に留まった。
『なまえが焦凍くんを可哀想だと言った。兄弟に会いたがっているのに炎司が会わせてくれないのだと。炎司が家族を守りたいと思う気持ちはやはり子供たちには伝わっていない。もっとよく話をするべきだと思うが、最近炎司は燈矢くんを避けている。』
この時私はよく焦凍くんから轟家のことを聞いていた。訓練が辛いこと、他の兄弟と遊んでみたいこと。それを話している彼の表情はいつも寂しそうで、子供ながらに何とかしたいと父に助けを求めたんだと思う。だけど彼の現状は変わらなかった。それどころか、むしろ悪くなる一方だった。
『炎司が冷さんに手をあげたとなまえから聞いた。焦凍くんは炎司を憎んでいる。このままではなまえも炎司を憎むかもしれない。それは嫌だ。』
これを読んで、私は以前の母の言葉を思い出した。父は私と焦凍くんが結託して刃向かってくるのが怖かったんじゃないか、という予想。それは概ね当たっていたのかもしれない。ただ、父が恐れていたのは子どもたちが自分に抗議してくることじゃなかった。エンデヴァーさんが一人になってしまうこと。それを何としても避けたかったんだ。
『引っ越しを決めた。今の轟家になまえを放り込んではいけない気がした。なまえにはまだ誰のことも憎んでほしくはない。』
知らなかった。あの時急に引っ越すことになったのは、私と轟家に距離を置かせるため。焦凍くんを救けたいという私の気持ちを無視して。誰かに縋る焦凍くんの小さな手を無視して。父は私を囲ってしまった。親友である轟炎司がその息子を隔離していたように。
彼のエンデヴァーさんを守りたいという気持ちがさらにエンデヴァーさんを、轟家を孤立させていった。すでに父も、雁字搦めになっていたのだろう。どう転んでも悪い方にばかり進んでいってしまう友人の行く末に。
そのあとの展開はもう読まなくてもわかっていた。それでも父の気持ちを最後まで見届けたくて、私は読むのをやめなかった。
『冷さんが病院に隔離された。焦凍くんが火傷を負ったからだ。彼女も相当追い込まれていたのに、私はまた何もできなかった。』
父は自分の無力さを悔やんでいた。でも、それなら。後悔するくらいならどうしてずっとエンデヴァーさんに何も言わないのだろう。どうしてもっと轟家に踏み込もうとしないのだろう。それほどエンデヴァーさんのことが好きなら、親友なら、いくらでもかけられた言葉があったんじゃないだろうか。
『なまえがしきりに焦凍くん会いたがる。火傷のことはまだ伝えていない。どうしたらあの家を助けられるのかわからない。』
段々と息が浅くなってくる。父の動揺や焦りがこちらにまで伝わってくるようだった。そして次の短い一文で彼の心の傷は決定的なものになる。
『燈矢くんが死んだ。』
その日に書かれていたのはそれだけだった。燈矢さんが亡くなったこと。それがどれだけ父にとって大きな出来事だったのか、今となってはわからない。
しばらく日付が飛んで、ようやく筆を執ったであろう日に綴られていたのは彼の口から聞いたことのない弱音だった。
『何もできなかったことに日々後悔が募る。火事があった場所を探したが見つけることができない。どこで間違ってしまったのかわからない。炎司と同じ景色を見られていたら焦燥が理解できただろうか。背中を支えることができただろうか。弱い私は隣に並び立つことすらできない。どんな言葉をかけていいのかわからない。』
火事。それが燈矢さんが亡くなった原因。ふとエンデヴァーさんの炎が頭をよぎった。
まさか、彼は自分の炎で火事を起こしてしまったんだろうか。ぞくりと背筋が凍る。
ヒーローを諦められなかった燈矢さんは自分一人でこっそり訓練していた。そして運悪くその火が辺りを燃やしてしまった。隠れて訓練していたので助けを呼ぶこともできなかった。勝手な憶測でしかないけれど、多分これが真相。だから夏雄さんはエンデヴァーさんが殺したと思ってるのか。彼が追い詰めてさえいなければ燈矢さんが死ぬことはなかったと。
どくどくと心臓が脈打って痛い。父がエンデヴァーさんと同じ景色を見ることに固執していることもこんなことが起こって尚何も言わないことも全然理解ができなかった。友達ならちゃんと同じ目線で隣にいてあげればいい。支えたいなら素直に支えればいい。
もしかして、彼が轟炎司に抱いていたのは友情ではなかったのか。崇拝、だったのだろうか。神にも等しいような、憧れ以上の存在。
『なまえに焦凍くんの火傷がばれてしまった。しかし今後も会わすことはできない。焦凍くんとなまえが結託すれば今度こそ炎司はあの家で一人ぼっちになってしまう。焦凍くんのような憎しみの目をなまえが自分に向けたらと思うと恐ろしくてたまらない。』
あの能面のように黒く塗りつぶされた瞳の奥で、こんなことを考えていたのか。どれだけ焦凍くんが苦しんだとしても関係ない。エンデヴァーさんから離れていかないようあの家に閉じ込めるために救いの手を伸ばさなかった。私から焦凍くんを遠ざけた。いくら友人のためといっても、ここまで人は非情になれるものなのか。
何だか吐き気がしてきた。泣きたいのに涙も出てこない。父は明らかにエンデヴァーさんに執着していて、他の何を犠牲にしても守りたかった。それでも私には突き離されたくなくて矛盾した気持ちを抱えたまま追いつめられていた。
あの頃は父も葛藤していたんだ。自分の中での正義に苦しめられながら。
その日記の最後のページには、こう書かれてあった。
『なまえの個性が暴走したと相澤くんから連絡があった。やはりなまえは私よりも威力がある。私は無理でもなまえならより強いヒーローになれるかもしれない。なまえならあの家を救えるかもしれない。なまえは、希望だ。』
幼い頃、消太くんに個性を見てもらっている最中、力が暴走して竜巻を起こしそうになった。抹消により事なきを得たけど止めてもらえてなかったら市街地に突っ込んでいたかもしれない。私にとってはとても怖い記憶。だけど父にとっては、一筋の光だった。
「っ……は、」
呼吸が、うまくできない。父が私をヒーローにさせたかった理由。それはエンデヴァーさんを救いたかったから。ようやく私がヒーローにならない未来に怯えていたことにも合点がいった。この時すでに決められていた私の道、使命。エンデヴァーさんへの暴走した偏愛が自分勝手な選択へと変わっていった。子どもの意思を無視して自分の望む未来に無理矢理捻じ曲げていく。まるで昔のエンデヴァーさんを見ているようだ。
ようやく辿り着いた"私の知っている父の姿"に愕然とする。彼が亡くなった直後のように、いつまでたっても涙が出てこない。ただ息が苦しい。空気を吸いたいのに全然体が言うことを聞かない。うっすら意識が遠のいていく。どうしよう。誰か。
「みょうじ、いる?」
椅子から崩れ落ちそうになったところで突然ノックの音が響いた。今一番会いたかった、優しい人。上手く力が入らないまま震える声を振り絞る。
「い、いる……っ、た、すけて……!」
勢い良く開けられる扉。彼の顔を見た瞬間、さっきまでずっと枯れていた涙が溢れた。
「……瀬、呂くん……。」
大きく見開かれたその目に青白い自分が映っていた。