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エンデヴァーさんの病室の前で立ち止まりみんなで顔を見合わせる。お互い視線をぶつけたあと、焦凍くんは意を決したようにドアノブに手を掛けがらりと扉を開いた。
「お……。」
並々ならぬ覚悟で病室に入ろうとしたのも束の間、目に飛び込んできたエンデヴァーさんの姿に彼が一瞬で扉を閉じる。
「泣いてる……!」
「ショートォオオオ!!!」
叫ぶ元気があるようで一安心だけど確かにエンデヴァーさんは泣いていた。ベッドの上で一人憔悴しきっていた。焦凍くんは初めて見る父親の姿に戸惑ったようでちょっとあわあわしてる。まあまあと彼を落ち着かせて今度は冬美さんがドアを開けた。
「お父さん。」
兄弟三人で病室に顔を覗かせる。私も一番後ろに佇み、みんなが中に入ったのを確認してからそろりと足を踏み入れた。
「よかった……!ようやく家族で顔あわせられた……!」
「おまえたち……無事か……!?」
ごほごほと咳込みながらエンデヴァーさんが体を起こす。彼もボロボロの状態だった。明らかに弱っている父親の様子に夏雄さんが眉を顰める。
「何……泣いてんだよ。」
「すまん……。」
エンデヴァーさんは目頭を押さえて俯いた。彼の目からは大量の涙が流れ、口元の酸素マスクにぽたりと落ちる。
「本当に……すまない。すまん……っ。遅すぎたんだ……後悔が……罪悪感が……今になって……!」
家族を前にして何度も謝罪を繰り返すエンデヴァーさんに胸が痛んだ。燈矢さんの一件は確実に彼の心を蝕んでいた。そこにNo.1ヒーローの面影はない。轟炎司は、ただの一人の父親だった。心身ともに傷だらけの彼が、耐えられないとばかりに弱音を吐く。
「心が、もう。」
「心が何?」
エンデヴァーさんが嗚咽を漏らした瞬間、病室内に凛とした声が響いた。この場にいるはずのない人物の姿に彼は呆然と目を見開く。
「後悔も罪悪感も、皆あなたよりうんと抱えてる。」
「冷!!?何故ここに……!?」
驚きを隠せないエンデヴァーさんに構わず冷さんが彼の側へと歩みを進める。その手には以前エンデヴァーさんが贈ってくれたという花が握られていた。
「話をしに来たの、うちのこと。燈矢のこと。」
彼女は気迫たっぷりにエンデヴァーさんを見つめた。あまりに久しぶりの夫婦の再会だった。
「おまえ……大丈夫……なのか。」
「大丈夫じゃないよ。だから来たの。」
恐らく自分を気遣っているだろう夫の言葉を冷さんは一蹴する。エンデヴァーさんは驚きと困惑の入り混じった表情で冷さんから目を離せなくなっていた。それから彼女は深く息をすって轟家のこれまでについて語り始めた。一つ一つ。思い出すように。
父の日記にも書かれていなかった轟家の真実。私はみんなの顔を眺めながら、じっと耳を傾けた。
轟家の長男である燈矢さんは、エンデヴァーさんの影響を受けヒーローを志した。けれど耐えられる温度に限界があるとわかり、自身の炎が身を焼いてしまう危険からエンデヴァーさんはその夢を諦めさせようとした。それでも燈矢さんの意志は固く、何度注意しても訓練をやめることなく毎日新しい火傷を作った。そして追い詰められたエンデヴァーさんは燈矢さんに完全に夢を諦めてもらうためにあることを思いつく。
もっと強い個性の子どもが生まれたなら。非情にも彼はそう考えた。
何て残酷なんだろう。その話を聞いて改めて胸が痛んだけれど、毎日傷を作って家に帰って来る息子を目の当たりにして彼も引くに引けなくなっていたのだと予想がついた。これは燈矢を守るためなのだと必死に自分に言い聞かせて、轟夫妻は次の子どもを待っていた。
そして、焦凍くんが産まれた。エンデヴァーさんが待ち望んだ最高傑作。けれどほっとしたのも束の間、事態は悪くなる一方だった。弟というコンプレックスを背負った燈矢さんはますます訓練にのめり込んだ。火力を上げることばかりに打ち込んでさらにひどい火傷を作るようになった。
もちろんエンデヴァーさんは何度もその火傷について注意していた。燈矢さんの体が心配だったからだ。けれどその心配がまた、彼の憎しみを増大させてしまう。自分にはヒーローを諦めろという癖に弟のことは期待に満ちた目で見ている。燈矢さんはそれがたまらなく悔しかった。
どうして焦凍の方ばかり見るの。俺はもういらないの。そしてついに怒りは爆発してしまう。彼はまだ赤ん坊だった焦凍くんに拳をふりかざした。初めてその炎が人に向けられた瞬間だった。
冷さんは過去を振り返りながらエンデヴァーさんに自分の気持ちを伝える。
「一番つらいのはあなたじゃないしあの子を見なかったのはあなただけじゃない。」
その言葉には深い後悔が刻まれていた。あの時たった一人でも燈矢さんのやり場のない心に寄り添えていれば。取り返しようのない"昔"の話に誰もが口を噤んでいた。
燈矢さんとの一件があってから焦凍くんは他の兄弟から隔離された。燈矢さんの目に触れなければ焦凍くんにも危険が及ばないし燈矢さんも弟を傷つけずに済む。焦凍くんと燈矢さん。どちらのことも守りたいというエンデヴァーさんの判断だった。そうして彼は段々他の兄弟と距離を取るようになり、焦凍くんをヒーローにしようと執着していった。それが一層、燈矢さんを苦しめた。
何年経っても彼の心からヒーローになりたいという思いが消えることはなかった。そして自分だけでこっそりと訓練を続け、外からは見えないお腹や背中に火傷を作った。自分がどれだけ痛い思いをしても、彼にとっては叶えたい夢だった。
「お父さん、今度の休み瀬古杜岳に来てよ。」
普通の家庭だったならなんてことない微笑ましい息子からのお願い。けれどここはフレイムヒーローエンデヴァーの家だった。一瞬で事態を把握したエンデヴァーさんは燈矢さんに背を向け、その誘いに乗ることなく憤った。息子が内緒で火傷を作っていた責任を監督不行き届きだと全て冷さんに押しつけた。燈矢さんから逃げていたのは、エンデヴァーさんも同じだったのに。
彼が冷さんに手をあげたことで轟家の崩壊は明確なものになった。燈矢さんのヒーローへの強い執着が、エンデヴァーさんの無責任さと横暴さが、他の子どもたちの怯えた顔が、どんどん冷さんを追い込んだ。自分を見つめる鋭いまなざし。その目をやめて。あの人と同じ目をしないで。逃げ場を失くした彼女の感情は最悪の形で溢れた。矛先は、彼女のことを必死で守ろうとしていた最愛の息子だった。
「私は病院に隔離され、そして、燈矢のことを聞いた……。完全に心が壊れてしまった……。」
冷さんは焦凍くんに火傷を負わせてしまってすぐ病院に入れられた。そしてその直後、燈矢さんはエンデヴァーさんを誘った瀬古杜岳で亡くなった。焼死だった。
「……あなたは行かなかった。」
責めるように冷さんが呟く。結局、エンデヴァーさんが彼との約束に出向くことはなかった。もしほんの少しだけでも顔を見せていたなら。きっとあんな悲劇にはならなかった。
「……薪をくべてしまうだけだと……いや……何と声を掛けたらいいのか、わからなかったんだ。」
「私も、そうだった。」
遠い目をしたエンデヴァーさんがあの日を思い出しながら自身の行いを悔いる。冷さんもそっと目を伏せた。
父も、二人と同じだったのだろうか。エンデヴァーさんにも燈矢くんにも、どう接していいのかわからなかったのかもしれない。そうして迷っているうちに事態は最悪の結末を迎えてしまった。みんなどれだけ後悔しても、燃え盛る炎の前では何の意味もなかった。
「あの日全て諦めていれば……。燈矢を殺してしまったことで、後に引けなくなっていた……焦凍に傾倒する他……なくなっていた。」
燈矢さんがいなくなりエンデヴァーさんは焦凍くんに一心に期待を注いだ。異常な執着が自分と息子をさらに追い詰めることになるのだと気づきもせずに。
ベッドの上の彼が過ちを認め奥歯を噛みしめる。それに続いて、冷さん、冬美さん、夏雄さんが順番に自分の気持ちを吐露していった。
「エスカレートしていくあなたが悍ましくて……こどもたちにまで面影を見るようになってしまった。」
「壊れてるのを知りながら……怖くて踏み込めなかった……。上っ面で繕うことしか……してこなかった。」
「全部あんたが始めた事であんたが原因だ。でも、俺がぶん殴って燈矢兄と向かい合わせてやれてたら……荼毘は生まれてなくて焦凍に盛り蕎麦をご馳走してやれてたかもしれない。」
みんな、それぞれに後悔を抱えている。どれか一つでも違えば別の未来もあったかもしれない。けれど、もう事は起こってしまった。
「エンデヴァーさん、燈矢さんの言っていたことは本当です。」
「なまえ……。」
私も一歩前に進んで父について語る。場違いかもなんて今は気にしてられなかった。
「父はエンデヴァーさんのことが本当に大切で、自慢で、憧れで、だからあなたと肩を並べるために力に固執した。ヒーローとしての順位を必要以上に気にして、まだエンデヴァーさんには及ばないと落胆して、勝手にあなたと心の距離を感じていたんです。そのあまりに大きな尊敬からか直接的な救い方がわからず、あなたを一人にしてしまわないように焦凍くんに逃げ出す術を与えないという最悪の選択を取った。そして娘の私にも自分の夢を押しつけた。あなたのことを大切だという思いが行き過ぎてしまったんです。エンデヴァーさんにとっては友人でも父にとってあなたは神にも等しい存在だった。」
エンデヴァーさんの顔が苦しげに歪んだ。それはたった一人の親友を思う彼の優しさの表れだった。
「燈矢さんに声を掛けなかったことも焦凍くんに手を差し伸べなかったことも友人の立場でありながらエンデヴァーさんにストップをかけられなかったことも、全部父が勝手にあなたとの距離を感じて踏み出せなかったことが原因です。謝って許されることではないですが、皆さん、本当に申し訳ありませんでした。」
やっと、やっと謝ることができた。日記を読んでからというもの彼らと接する度に罪悪感が膨れ上がった。いつかは伝えなければ。けれどみんなを傷つけてしまったら。色んな不安が頭に浮かんでは自らを縛りつけた。ずっとずっと苦しかった。だけど、もう逃げない。
深々と頭を下げるとすぐに「顔を上げろ」とエンデヴァーさんの低い声が耳に届いた。
「あいつが俺に遠慮していることは知っていた。だが、そうか……そんな風に思ってくれていたんだな。いつも何かを言い淀む癖があると思っていたがあれは、俺を助けようとしてくれていたのか……。」
父は父なりにエンデヴァーさんの力になろうとしていたのだろうか。伝えたいことを上手く言葉に出来ず、自分の不甲斐なさを悔いていたのだろうか。実際のことは父本人にしかわからない。それでも、その可能性を知れただけで私にとっては充分だった。
「あいつの苦悩に気づいてやれなかった……そのせいでなまえにも、苦労を掛けた。」
「いいえ、父が自分の意志でしたことです。エンデヴァーさんが気に病むことはありません。ただ、父は本当にあなたのことが好きだった。それだけは覚えておいてあげてください。」
ふわりと目元を細めるとエンデヴァーさんは肩を震わせた。友を思う、本物の涙だった。
「ああ。忘れられるはずがなかろう……!」
父もどこかから見ているだろうか。彼らのわだかまりはなくなったのだろうか。そうだといいな。ようやく二人の思いが繋がった、そんな気がした。
「荼毘を生み出してしまったのは父のせいでもあります。あの時一度でも燈矢さんに声を掛けていたら……彼はああならなかったかもしれない。」
私の言葉に冷さんも頷く。
「責任はあなただけのものじゃない。心が砕けても私たちが立たせます。あなたは荼毘と戦うしかないの。」
強い口調で彼女はエンデヴァーさんを見据える。彼はいつも三歩後ろを歩いていたはずの妻の変わり様にぽかんと口を開けた。
「おまえ……本当に……冷か……?」
控えめで儚げな印象だった冷さん。ここまで意思の固い彼女を見るのはエンデヴァーさんにとって初めてのことだった。冷さんはちらりと隣に視線を移す。その先には焦凍くんがいた。
「私たちよりよっぽど辛いハズの子が、恨んで当然の私を再びお母さんと呼んでくれた。雄英高校でお友達を作って、なまえちゃんともう一度仲良くなって、私たちをつなぎとめてくれた。焦凍がウチの、ヒーローになってくれたのよ。」
傷だらけの彼が歩んできた道は決して平坦ではなかった。憎しみで目が曇っていた自分の過ちに気づきヒーローという夢と改めて対峙し、試行錯誤しながら今日まで家族と向き合ってきたのだ。今この場に轟家が集まったのは、間違いなく焦凍くんの努力の証だ。
「ここに……来る前、お母さんと話した。おまえが……もう戦えねェと思って、俺がやるしかねェって思ってた。……でも違うみてえだ。」
焼かれた喉のまま、彼は声を振り絞る。焦凍くんの救いの手が涙の止まらないエンデヴァーさんの前に差し出された。
「泣き終わったら立てよ。皆で燈矢兄を止めに行こう。」
エンデヴァーさんの泣き叫ぶ声が病室中に響き渡る。私までもらい泣きしてしまいそうだった。轟家は今日この場所から始まるのだと、どこか清々しい気持ちになる。私も、そして父もこの仲間に入れてもらえたこと。それがたまらなく嬉しかった。
だけどやっぱり家族水入らずの時間も大切だ。せっかくみんな揃ったんだから私はそろそろ抜けた方がいいかなと思って病室から出るタイミングを探していると、急に後ろから明るい声が聞こえた。
『すみませーん。話、立ち聞きしちゃいました。』
振り返るとそこにはホークスさんとベストジーニストさん。突然の訪問にみんな目を丸くする。
『その家族旅行、俺らもご一緒してよろしいですかね?』
頼もしく手を挙げた二人に胸が弾む。ヒーローはまた、新たに団結しようとしていた。