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その日の夜、カーテンを開けてぼんやり空を見上げていた。暗がりの中月灯りだけが差し込んでいる。結局焦凍くんの病室から帰ったあとはずっと寝ていたので眠気は全然やってこなかった。
爆豪くんと緑谷くんはまだ目覚めていないらしい。明日には意識が戻るだろうか。嫌な想像ばかりが頭に浮かんで胸が押しつぶされそうになる。
大丈夫、だよね。二人とも強いもん。必死で自分にそう言い聞かせるしかなかった。一人の病室は痛いくらいに私の心を弱くさせた。
「……ミッドナイト先生。」
震える手をぎゅっと握りしめぽつりと彼女の名前を呼んでみる。当然返事なんてなかった。次から次へと悲しいことが思い出されてまた涙が込み上げてくる。
駄目だ駄目だ。いくら夜中だからって弱気になってる場合じゃない。鼻をすすって目尻を擦る。明日腫れてしまうかもなんて、今は考える余裕もなかった。必死で別のことに意識を集中させようとしてるとふいに誰かの気配を感じた。
『邪魔するよ。』
音もなくドアが開いて、入ってきたのはいつもと雰囲気の異なる彼だった。口にマスクのような機械を取りつけていて包帯の数は私や焦凍くんよりさらに多い。病院内を動き回っていいような状態じゃないのは一目瞭然だった。
「ホークスさん……寝てなくていいんですか。」
『俺はもう退院ってことで話がまとまったから。』
「ええ、絶対無茶でしょ。」
私の心配とは裏腹に本人はいたって飄々としていた。ヘラヘラと目を細めながらベッド横の椅子に腰かける。彼がスマホを操作すると同時に機械からホークスさんの声が聞こえてきて、どうやらこれで会話を可能にしているらしいとわかった。燈矢さんに喉まで焼かれているというのにこうもNo.2は休めないものなのか。いや、今ヒーローに休む暇なんてないことは私も充分理解してはいるけど。
「で、ここに来たのは事実確認ですか?」
貴重な時間をわざわざ私のために割く理由はそれくらいしか思い浮かばなかった。燈矢さんが言っていた父のことが本当かどうか。恐らくホークスさんはそれを確かめにきたのだろう。けれど、間髪入れずに彼は首を横に振った。
『君の中の俺の印象ちょっと冷血過ぎない?学生にこれほどの怪我を負わせてしまった謝罪と諸々の説明に来たんだよ。』
「説明?」
訳が分からず首を傾げる。ホークスさんは可笑しそうに肩を震わせていた。いや全然笑うところじゃないでしょ。
『俺がどうしてエンデヴァー事務所に君を差し向けたのか。知りたい?』
そこまで言われてようやくなるほどと合点がいった。説明ってそういうことか。確かにそれについてはずっと気になっていた。こんな形で答え合わせすることになるとは想像もしてなかったけど。
「……理由は何だったんですか?」
ホークスさんは肩を竦めて簡潔に答えた。
『エンデヴァーさんを助けるため。』
私は心のどこかでやはりと思った。だってエンデヴァー事務所が私を受け入れるメリットなんて父との繋がりくらいしか思い浮かばない。ホークスさんは九州の脳無襲撃前に私をインターン生として指名するようエンデヴァーさんに進言してくれてたらしい。抜かりないなあ。
『悔しいけどね。あの人の娘と最愛の焦凍くんがいれば、エンデヴァーさんは負けないと勝手に思って俺の独断で動いたんだよ。』
悔しい、という言葉の奥に父とエンデヴァーさんの絆の強さを感じた。周りから見ても、エンデヴァーさんにとって父は誰にも代えがたい親友だったのだ。そのことに父がちゃんと気づけていたなら。考えても仕方のないことが頭をよぎった。
「何となく、そうかなって思ってました。」
『あ、やっぱり気づいてた?ごめんねわりと不躾な理由で。』
「いえ、こちらこそあまりお役に立てず……。」
結局ホークスさんの意に沿うことはできず、私は碌にエンデヴァーさんの力にはなれなかった。燈矢さんを見つめて立ち尽くす彼を再び奮い起こしたのは緑谷くんだ。自分の不甲斐なさに思わず唇を噛む。
『いやいやいやそんな顔しないで大丈夫だからね?君が戦いに尽力してくれたのは聞いてるしエンデヴァーさんと焦凍くんのピンチも救ってくれたんでしょ?』
泣きそうな私を見て焦るホークスさん。高速でスマホに文字を打ち込み何とか元気づけようとしてくれていた。いつも余裕綽々の彼とは違う意外な一面に、失礼ながら少々驚く。
「ホークスさんって人間味あったんですね。」
『君絶対俺のこと誤解してるでしょ。』
本音を零すとホークスさんは苦笑した。何となく申し訳ない気持ちになったけど、こればっかりは彼にも原因がある。
「だって出会いが出会いだったから。」
『それに関してはごめん。ぶっちゃけタイフーンさんのこと好きじゃなかったからさァ。』
「正直すぎますよ。」
はぁとため息を吐くと彼は楽し気に目を細めた。今夜のホークスさんは今までにないくらい気安い。ずっと心の底が読めない油断ならない人だと思ってたけど、私が勝手に苦手意識を作っちゃってただけなのかも。これまで警戒心剥き出しのまま彼と会っていたことをほんの少しだけ反省した。
『俺はね、エンデヴァーさんの横にいるあの人が羨ましかったんだよ。』
ホークスさんはゆっくり語り始めた。父のことを好きじゃないと言ったはずなのに、父を思い出しながら話すその瞳には温かさが滲んでいた。
『俺はエンデヴァーさんに憧れてこの世界に入ったんだ。そしたらさ、いるんだよ。唯一無二の親友ってやつがエンデヴァーさんの隣に。どうひっくり返ったって俺はそのポジションにはなれない。』
『悔しいでしょ?』と片眉を上げるホークスさんにくすりと笑いが零れる。彼もまた私たちと同じ、誰かに憧れてヒーローを目指した子どもだったのだ。その事実が何だか嬉しかった。
『それなのにあの人全然エンデヴァーさんの横に並ぼうとしないの。どっか崇拝みたいなのがあったのかな。エンデヴァーさんにとっては友情だったんだろうけどいつだってタイフーンさんは一線引いてた。手を伸ばせば絶対に掴めるのに自分でブレーキかけとるんよ。俺はそれが腹立たしかった。』
ホークスさんの言葉に私は深く頷いた。父の日記を読んでいる時、私も彼と同じく憤っていたからだ。エンデヴァーさんを救う術があるのにその愛の重さからかそれをしなかった。できなかった。これこそが父の犯した最も重大な罪だ。
「……父はエンデヴァーさんのことが本当に大切で、自慢で。その強烈な憧れから彼に近づくことができなくなったんだと思います。今の自分なんかでは力になれないと勝手に思い込んで、代わりに娘の私に夢を託した。自分の子どもなら荒んでいくエンデヴァーさんを救えるかもしれないって。……お父さんのたった一言で、エンデヴァーさんはきっと変わってくれたのに。」
父もエンデヴァーさんも不器用だったのだ。お互い胸の内を明かしていればここまで複雑な話にはならなかった。ホークスさんは遠い目をして『ままならないね』と呟いた。
「父のこと、ホークスさんの口から聞けて良かったです。」
『俺も君に話が聞けて良かったよ。こう見えて俺は君を気に入ってるからね。』
「え、嘘。」
『嘘ってあのね……そりゃ昔は父親同様好きじゃなかったけど。今の君を嫌うようなヒーローなんてどこにもいないよ。いい目をするようになった。将来が楽しみだ。』
相変わらずの明け透けな物言いに苦笑が漏れたけどそれが彼の本音であることは間違いないように思えた。ホークスさんの瞳が、とても優しいものだったから。
「私、今はちゃんと自分の意志でヒーロー目指してます。」
『そうだろうね。君が誰かのことを守りたいって必死にヒーローしてることくらい見てればわかるよ。君と君のお父さんにどんな過去があったって関係ない。マスコミなんか気にせず堂々としてればいいさ。』
きっぱりと言い切るところに彼の強さを感じる。まだヒーローでいてもいいんだとNo.2からお墨付きがもらえたみたいで、ふわりと心が軽くなった。
『で、打ち解けられたついでにもう一個謝っときたいんだけど。』
「え、何ですか。」
一段落ついたと思ったのにまだ何かあるのか。ホークスさんは頭を掻きながら言い辛そうにしている。どうしよう怖い。内心びくびくしていると続けられたのは意外な言葉だった。
『エンデヴァーさんの側に君を置いたの、ちょっとだけ監視の意味もあったんだよね。』
「はい?」
気まずそうに視線を逸らすホークスさんから恐らく監視をされていたのは私なのだろうと察する。いや何で?
『前に合宿で荼毘と接触したって言ってたでしょ。ほとんどないとは思ってたけどね?9割はエンデヴァーさんの支えになるかなと思ってインターン誘ったんだけど。ほんの少し寝返ったりとか内通者の可能性もなきにしも非ずかな……と。』
「ひ、ひどくないですか……!?」
『いや本当に申し訳ない。』
思わず声を上げると彼は深々と頭を下げた。まあ確かに思い返せば散々勧誘受けてたわけだし疑う気持ちもわかるけど。内通者だと思われていたことは少なからずショックだ。
『ほんとごめん。あの時俺も余裕なくてあらゆる可能性を潰しておかなくちゃと思ってまして……。』
「それはわかりますけど……。」
じとりと睨むとホークスさんは許してと言わんばかりに小首を傾げた。プロヒーローが高校生相手に可愛さで誤魔化そうとするのどうかと思う。
「……それで疑いは晴れたんでしょうか。」
仕方ないと割り切ってホークスさんに尋ねると彼は親指をびしっと立てた。
『それはもうばっちり。今の君を内通者だなんて疑う人間は一人もいないよ。』
「その答えが聞けて安心しました。」
とにかく無実を証明できたんならそれでいい。ほっと胸を撫でおろすとホークスさんはふんわり目を細めた。
『明日から俺も色々と捜査にあたるからまた来るかもしれない。その時は協力よろしくね。』
「……本当に大丈夫なんですか。」
『戦闘に行くわけじゃないし大丈夫だって。今日一日充分安静にしてたし。』
「地声が出せない人はまだ安静にしてるべきだと思いますけど。」
『それはそれこれはこれ。』
一応声をかけてみるけどやっぱり止めても無駄だった。プロの仕事の邪魔をするわけにもいかず渋々立ち上がる彼を見送る。
「父に関してはもう話さなくてもいいんですか?」
燈矢さんの暴露についてきっとヒーローたちは会見を開かなくちゃいけない。その時に矢面に立たされるのは言及があったホークスさんとエンデヴァーさんだろう。詳細を話しておいた方が彼らにとっても都合がいいはず。そう思っての質問だったのだけれど彼はただひらひらと手を振るだけだった。
『大体わかったからこれ以上はいいよ。覚えといて。いわゆる"ちゃんとした大人"は心ない暴露に傷ついてるだろう高校生にわざわざ事実確認したりしないからね。あとは俺たちで何とかするから余計な心配しないように。じゃあね、なまえちゃん。』
それだけ言い残すと彼はすぐに病室を出て行った。全身大怪我の中わざわざ来てくれたというのにお礼の声を届ける暇もない。速すぎる男は伊達じゃないってことか。
ホークスさんがいなくなった病室は静まり返っていて物音一つしない。再び一人になってしまった空間で月灯りに照らされながら色んな人の顔が浮かんできた。
ミッドナイト先生。爆豪くん、緑谷くん、消太くん。焦凍くん、エンデヴァーさん、響香、瀬呂くん。お父さん。
意図せずぽろりと涙が零れた。ホークスさんと話せたことで気持ちが緩んでしまったのかもしれない。張りつめていた心のタガが外れてしまったような気がした。次々に溢れてくる涙を拭うこともなく、ただひたすらに外を見つめる。
大丈夫、明日になればちゃんと笑える。せめて、せめて今だけは。
誰に許しを請うているのかもわからない。自分の肩をぎゅっと抱きしめ、夜明け前までまるで赤子のように泣いていた。