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「失礼します。」
コンコンとノックをすれば中から「どうぞ」と返ってくる。だけどその声は焦凍くんのものじゃなかった。多分お茶子ちゃんだ。私はふうと一息吐いて扉を開けた。
「なまえ……!」
入ってきた私を見るなりベッドの上の焦凍くんが駆け寄ってこようとする。それをお茶子ちゃんと飯田くんが慌てて止めていた。彼も全身包帯でぐるぐる巻き。喉が焼かれて声はほとんど出ていなかった。
「轟くん落ち着いて!みょうじくん!君もまだ動いてはいけないんじゃないのかい!?」
「なまえちゃん目覚めてよかった……!」
飯田くんの手厳しい指摘とほぼ同時にお茶子ちゃんに抱きしめられる。彼女の目には涙が溜まっていた。
「ありがとう。……ちょっとお医者さんに無理言って許可もらってきたの。その、焦凍くんに会いたくて。」
おずおずと事情を話すと二人は合点がいった様に顔を見合わせた。とにかく座ってとお茶子ちゃんに腕を引かれ、私は何とか焦凍くんのベッド横の椅子に腰かける。じっとこちらを見つめていた彼は悲しそうに目を伏せた。
「……無事、じゃねえよな。」
痛々しく巻かれた私の包帯に焦凍くんは顔を顰めた。優しい彼のことだ。燈矢さんの炎で私が火傷を負ってしまったことに責任を感じているのだろう。彼の方がずっと辛く悲しいはずなのに。思い詰めたその表情にぐっと胸が詰まった。
「私は大丈夫。焦凍くんこそ無理しないで。声、まだ出せる状態じゃないんでしょ?」
「いや、平気だ。それよりなまえにこんな怪我させちまって……。」
彼が自分の拳を強く握る。悔しさを滲ませる焦凍くんと少しでも気持ちが共有できるよう、私は自分の手を彼のものに重ねた。
「……焦凍くんのせいじゃないよ。というか、誰か一人のせいとか……そういうんじゃ、ないでしょ。」
視線を落とすと焦凍くんは「そうだな」と小さく呟いた。お茶子ちゃんと飯田くんは心配そうにしながらも私たちのやり取りに口を挿まず見守ってくれている。
そう、きっと責任の所在を明らかにできるほど単純な話だったならこんな最悪の結果にはならなかった。それぞれがそれぞれに出来ることがあったはずなのにあと一歩勇気が出なかった。その時の現状を変えるチャンスはいくらでもあったはずなのに誰も行動を起こさなかった。だからこそ、荼毘は生まれてしまったのだ。
「なまえ、一つだけ聞いていいか。」
真剣な目が私を捉える。もう何を問われるのかはわかっていた。覚悟を決めてこくりと頷く。
「なまえの親父さんのこと。あれは……本当なのか。」
病室内が静まり返る。焦凍くんは嘘であってくれと訴えかけるように私を見つめていた。
「本当だよ。燈矢さんに手を差し伸べなかったのも焦凍くんが苦しんでる時に私が急に引っ越したのもそれからずっと会えなかったのも。全部お父さんが自分の意志でしたこと。謝って許されることじゃないのはわかってる。それでも……。」
「いや、そこじゃねえ。」
「え?」
話を遮られ思わず素っ頓狂な声を上げる。てっきり轟家に関することを聞かれてるのかと思っていたけどどうやら違うらしかった。首を横に振っている彼に目を丸くしていると焦凍くんの包帯だらけの腕が伸びてくる。
「俺が聞きてえのはなまえのことだ。その……なまえも、俺と同じだったのか?」
こちらを覗きこみながら彼はそっと私の頭を撫でた。じんわりと温かい熱が伝わってくる。
同じ、というのは私と彼の生い立ちについてだろう。焦凍くんの瞳には心配の色が滲んでいて、幼馴染の家庭環境に気づけなかったことに対して後悔しているように見えた。
「……うん。」
隠すわけにもいかなくて素直に本当のことを話すと彼は一瞬言葉を失った。無理もない。仲が良いと思っていた私たち親子が蓋を開けてみれば自分の家と同じ歪な関係だったのだ。それを知った焦凍くんはショックが隠せないようだった。
彼はしばらく黙り込んで、それからゆっくり口を開いた。
「今もか?」
その問いかけの意味をすぐに理解し、彼に向かってにっと口角を上げる。
「ううん、今はちゃんとヒーロー目指してるよ。雄英入って、色んな人と出会って色んな経験して。その全部がヒーローとしての私を作ってくれてる。お父さんの意志とか全然関係なくて、私自身がなりたいヒーローに近づけてるって思う。」
焦凍くんは私の答えを聞いて「そうか」と安堵の表情を見せた。親から支配されているということがどれだけ苦痛なものか、きっと誰よりもわかってる。だからこそ彼はそこに引っかかっていたのだ。恐らく燈矢さんが私の話をしたあの時からずっと。彼にとって重要だったのは私の父が轟家にしてきた行為ではなく、父の支配が今も私を蝕んでるのではないかということだったのだ。
本当に、どこまでも優しい人。
「あの、ウチらこの話聞いてよかったん……?」
後ろに立っていたお茶子ちゃんが控えめに声をかけてくれる。飯田くんも何とも言えない気まずそうな顔をしていた。
「あ、いいの気にしないで。A組のみんなにも話さなきゃって思ってたし。」
「そ、それならいいんだが……。」
案外あっけらかんとしている私に飯田くんは少し面食らっていた。大丈夫だよと笑って見せるとようやく二人の表情が和らぐ。
「それじゃそろそろ帰らないと。」
「あれ、もう行くん?」
「うん。無理しないって約束だから。」
よっこいせと立ち上がろうとするとふらりと体が傾いた。すかさず飯田くんが支えてくれて、床に倒れずにすむ。
「充分無理しているように見えるが本当に大丈夫なのかい!?」
「あ、あはは……。一晩は安静にしときます。」
「一晩じゃ足りんよ。」
頼れる委員長からお叱りを受け渇いた笑みを浮かべればお茶子ちゃんからも鋭いツッコミが入る。このまま無茶続けてたらクラス全員から怒られちゃうかもなあ。しばらく大人しくしとこう。個人的な決意を胸にベッドの上の彼にお礼を言う。
「焦凍くんもまだ回復してないのに相手してくれてありがとね。」
いまだ眉間の皺が取れない焦凍くんに不安を覚えながらもドアの方にくるりと向きを変える。すると後ろから突然腕を掴まれた。驚いて振り向くと焦凍くんが表情を変えずに私を見上げていた。
「燈矢兄は、俺がやるべきだと思ってる。」
「……!」
彼は私にしか聞こえない声でそう呟いた。覚悟を決めたかのような、強い瞳だった。
エンデヴァーさんは息子相手には戦えない。恐らくそう判断したのだろう。それがどれだけ茨の道でも、自分の考える正しい方を選び取る。彼もまた紛うことなきヒーローだ。でも。
「なら、私も一緒にやらせて。」
もう絶対に一人にはさせない。私の返事を聞いた彼は一瞬目を見開いたあとふっと笑った。
「こんなに頼もしいことはねえな。」
二人で固く握手を交わす。焦凍くんから伝わる体温が心地よかった。
人気ヒーローを父親に持つ私たち。幼い頃から似通った環境で育ってきたというのにお互いにその事情を話すことはほとんどなかった。きっと打ち明けていたならばもっと早く唯一無二の理解者になれていたはずなのに。あまりに、あまりに時間がかかってしまった。
けれど今、ようやく二人で手を取り合えた気がした。これは私たちにとってかけがえのない前進だ。誰よりも優しい幼馴染が同じ目線でいてくれることにこの上ない心強さを感じながら、私は病室を後にした。