休戦
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それからどのくらい経ったのか。私はゆっくりと目を覚ました。上に見えるのは白い天井。一体ここはどこだろう。なんか前にも同じようなことがあったような。そうか、合宿襲撃の時だ。あの時も連合が来て、それで。
「……連合……っ!」
がばりと起き上がれば全身に走る痛み。思わず顔を歪ませた。隣に視線をやると瀬呂くんと目が合う。
「起きた……!」
「っなまえ‼」
椅子から立ち上がった瀬呂くんより先に響香が私に抱き着いた。紫色の瞳からはぼろぼろと大粒の涙が溢れている。触れられたところは痛んだけれどふわりと彼女の香りに包まれて安心した。震えるその背中にそっと手を回す。
私の傍らには瀬呂くん・響香・百ちゃんの三人がいた。段々と意識がはっきりしてきて、記憶が途切れる前の惨状を思い出し指先が冷たくなる。
「良かった……良かったです……!病室で眠るなまえさんを見た時私……っ本当に胸が潰れる思いで……!」
響香の後ろで百ちゃんが泣き崩れる。私は体中に包帯を巻かれていた。無理もない。あれだけ近くで燈矢さんの攻撃を受け続けたのだ。命が助かっただけでもありがたい。顔に張られたガーゼをさすりながら私は恐る恐る尋ねた。
「……消太くんは……爆豪くんは?緑谷くんも焦凍くんも……っ死柄木は、どうなったの……?」
しばらく眠っていたらしい私の声はガラガラだった。三人がその問いかけを聞いて沈痛な面持ちで視線を落とす。それが答えだった。
「轟は……さっき目覚ましたよ。相澤先生も無事。ホークスもグラントリノも、病院に運ばれた人たちは大体意識取り戻してきてる。」
「……!ホークスさんも怪我してるの?」
瀬呂くんは言葉に詰まって眉を下げた。どうやら相当な重傷だったようで、常闇くんが助け出さなかったら死んでいたかもしれないらしい。しかもその傷を負わせたのは燈矢さん。彼の憎しみのこもった瞳を思い出して心が鉛のように重くなった。
それから三人は戦いの結末と現状を教えてくれた。私は丸一日寝ていたみたいで、消太くんと焦凍くんは数時間前に意識を取り戻していた。けれど、爆豪くんと緑谷くんは眠ったままだった。
「爆豪は……正直一番危ないらしい。」
「……血、すごく出てたから。私、近くにいたのに……っ。」
ぽろりと涙が零れる。死柄木の刃に彼が貫かれる瞬間をこの目で見た。ナイトアイさんの時と同じことはもう二度と繰り返さないと誓ったはずなのに。また、何もできなかった。
「爆豪も緑谷助けるための咄嗟の行動だったって聞いたよ。なまえもその時エンデヴァーのこと助けなくちゃいけなかったんでしょ。」
「全ての人を完璧に助けるなんてできません。取捨選択をしなくてはならない状況なら尚のこと。なまえさんはその時なまえさんのやるべきだったことを全うしたまでですわ。ご自分を責めないでください。」
響香と百ちゃんが私を安心させようと頭を撫でてくれる。それでも気が気じゃなかった。もし爆豪くんが目覚めなかったら。彼の声が聞けなくなってしまったら。怖くて体が震えてくる。
「ま、あの爆豪のことだ。案外けろっと目覚ますって。んでまたいつもみたいに元気な悪態吐いてくれるでしょ。」
ふんわり笑った瀬呂くんの目にも心配が滲んでいた。みんな私を勇気づけるために前向きな言葉をかけてくれてるだけで心の中は不安でいっぱいなんだ。クラスメイトが欠けてしまうかもしれないこの状況に、誰もが胸を痛めている。
「それで、さっきの続きだけどさ。」
一通り全員の怪我の状況がわかったところで響香が言い辛そうに前置きをした。病室に流れる気まずい雰囲気。その様子から一夜明けても戦いの状況が好転していないことは容易に想像できた。
私が意識を失ったあのあと、動けるヒーローが死柄木の撤退を阻むもニア・ハイエンドと呼ばれる脳無の統率された連携に翻弄された。仕留められたニア・ハイエンドは3体。残り7体は死柄木一行と共に行方を晦ましてしまったらしい。
連合の中でもその個性から圧倒的脅威として注視されていたトゥワイスは死亡。病院側は殻木球大・大型敵ギガントマキア・Mr.コンプレス、群訝山荘側は解放軍のリ・デストロ・外典・トランペット・会議に集まった超常解放戦線構成員1万6929人を確保。全国に点在する支部、及び解放軍に共鳴していたシンパも制圧できた。けれどギガントマキアの行進により幹部を含む132人を取り逃してしまった。
「あの大型敵が、群訝山荘から病院までを縦断した……?」
事の経緯を聞いてぞっと背筋が凍った。もはや災害とも呼べるあの巨体、あのパワー。それが80㎞もの距離を移動しただなんて。一体被害はどれほどになったというのだろう。市民の生活が脅かされるなんてレベルじゃない。何人が死んで、何人が怪我を負って、何人が家を失ったのか。想像するだけで気が遠くなりそうだった。
「ウチらで足止めしようって……頑張ったんだよ。みんなでヤオモモが作ってくれた麻酔液何とかあいつの口に入れようってさ。」
「んで切島があいつの口に放り込むの成功させたんだけど……。」
「効果が薄く、止められませんでした……。私の予測不足です。」
三人は悔しそうに唇を噛んだ。みんな、それぞれの場所で必死に戦ってたんだ。あれほどの脅威を相手に麻酔液を口に入れるなんて絶対容易じゃない。
その時ふと昨日のことを思い出した。そうか、だからあの時ギガントマキアに力が入らなくなったんだ。奴が立ち上がるのを防げたのはみんなのおかげだったんだ。連合も乗っててきっと怖かっただろうに。クラスメイトたちの勇気に目頭が熱くなる。
「そんな、そんな顔しないで。あいつを捕まえられたのはみんなのおかげだよ。あの時本当に危なかったの。でもみんなが頑張ってくれたおかげであいつは立てなくなった。みんなが必死で戦ってくれてなかったら、私は今ここにいなかったかもしれない。だから、ありがとう。」
ギガントマキアが確保できたこと。それはこの上なく大きな成果だ。きっと誰が欠けても為し得なかった。みんなが死ぬ気で繋いでくれたチャンス。無駄にならなかったのが本当に嬉しい。
響香の手をそっと握ると彼女もそれに返してくれる。そしてこれまで以上に真剣な目をしてじっと私の顔を見た。
「まだ……起きたばっかのなまえにする話じゃないかもしんないけど。」
彼女は震える声で再び話し始めた。トゥワイスに複製されていたリ・デストロがヒーロー公安委員会の中枢メンバーを殺害し、今やヒーローをまとめる機能が停止してしまっていること。外の世界の変わり様について。最高の警備を誇るタルタロスを死柄木とAFOが襲撃し、AFOを含め囚人はみんな脱走してしまったこと。それからニア・ハイエンドとタルタロス脱獄者によって7か所の刑務所が破壊され、うち6か所から受刑者が放たれたこと。昨日の戦いの被害状況も把握できないまま大量の凶悪敵が街に解き放たれ、都市部は大パニックに陥っているということ。
そのあまりの凄惨さに絶句した。私が寝ている間にこんなにも状況が悪くなっているなんて。恐らくこれら全ての糸を引いているのはAFO。奴はもう一つの体を手に入れ、まんまと自由の身になったのだ。
死柄木はもうAFOの移植から目覚めた時には死んでる状態だったらしい。奴を蘇らせたのは果てしない夢と憎しみ。その執念だけでこれほどの被害を出した。奴の肥大した負の感情が、人間離れした力を奮い起こさせた。そしてその力は今、死柄木の体ごとAFOのものになっている。
事態はあまりに深刻だった。
「怪我したのはホークスだけじゃなくてさ。ミルコとか……死者もたくさん出た。」
「ちょっと瀬呂!」
「良いの、聞かせて。」
どくどくと脈打つ心臓を押さえながら続きを促せば響香はじわりと目に涙を溜めた。瀬呂くんが一人ずつ死亡者の名前を教えてくれる。人気ヒーローのクラストさん、百ちゃんのインターン先のマジェスティックさん。そして。
「う、そ。」
「私たちが駆けつけた時には……もう……っ!」
百ちゃんが顔を両手で覆う。突きつけられた現実に私はただただ言葉を失った。止まっていたはずの涙がまた溢れてくる。ぽたりと雫が手の上に落ちた。
ミッドナイト先生が死んだ。
あまりに、あまりに大きすぎる犠牲。まだ話したいことがたくさんあった。もっとヒーローについて教えて欲しかった。またみんなで顔を合わせられると、笑って授業を受けられると、当たり前のようにそう思っていた。
どうして。どうして。何でこんなことができるの。自分の目的のためなら人の命を奪ってもいいっていうの。
「……っ。」
泣きじゃくる響香と百ちゃんをぎゅっと抱きしめる。瀬呂くんも近くに来て頭を撫でてくれた。火傷が痛いなんて今はそんなことどうでも良かった。この悲しみを、一体どこにぶつければいい。
しばらくみんなでわんわん泣いた。誰かと気持ちを分かち合わなければ心が壊れてしまいそうだった。ようやく落ち着いてきた頃、赤くなった鼻をすすりながら私は改めて瀬呂くんに向き直る。
「……ごめんね瀬呂くん。ブレスレット、焼けちゃった。」
包帯が巻かれた右腕に視線を落とせば彼は首を横に振った。
「みょうじが無事ならいーんだよ。お守りあんま効かなかったみたいでこっちこそごめんな。」
「ち、違うよ!」
苦しそうな彼の表情に私は思わず声を上げた。三人が少し驚いたようにこちらを見る。
「あのお守りのおかげで私、ヒーローとして間違った選択しなくて済んだ。焦凍くんのことも助けられた。全部、瀬呂くんのおかげだよ。だから謝らないで。お願い。」
懇願するかのように彼を見上げれば瀬呂くんは一瞬ぽかんとしたあと我に返ったように「そっか」と呟いた。
「みょうじのこと守れてたんならよかったわ。」
いつものように目を細めて涙を拭ってくれる。その温もりに心底ほっとしてる自分がいた。けれどまだ、事は何も解決していない。むしろ状況は最悪だ。ヒーローは、世界は今後どうなってしまうんだろう。言い知れない不安だけが胸の中を渦巻いていた。
『話をお聞かせください!』
『説明を!まだ目覚めてないんでしょうか!?』
ふいに外が騒がしいことに気づいて私はちらりと窓の下を見た。
「……何あの人たち。」
そこにはカメラやマイクを持った大勢の人の姿。響香は眉間に皺を寄せてその様子を眺めた。
「マスコミだよ。昨日の夜からずっとあんな感じ。」
「恐らくエンデヴァーに話を聞きたいのでしょう。荼毘について……。」
二人はあえて何も触れなかったけどマスコミの注目は多分私にも向いているんだろう。あれだけはっきりと父の名前が燈矢さんの口から出たんだから。それについて私の方から切り出そうか迷っていると瀬呂くんが確認するかのようにこちらの顔を覗きこんだ。
「みょうじは、荼毘のことは。」
彼の目は真剣そのものだった。私のことを信じていないとか父のことを悪く言おうとかそんなんじゃなくて、クラスのみんなと私の間にしこりが残らないよう気遣ってくれてる。私が説明しやすいようにさりげなく誘導してくれてる。その優しさがありがたかった。
「……燈矢さんが荼毘と同一人物だってことには全然気づかなかった。でも、お父さんが燈矢さんに手を差し伸べなかったのも虐げられてる焦凍くんを放っておいたのも事実だよ。日記に書いてあったからわかる。……それに、二人はもう知ってると思うけど私が最初ヒーローを目指してなかったのも、お父さんに無理矢理ヒーローになるよう育てられてきたのも本当の話。」
百ちゃんが悲しそうに俯いた。二人以外に初めて話す我が家の事情。燈矢さんの映像が流れてしまった以上もはや隠しておくことはできなかった。三人だけじゃなくてクラスのみんなにも、ちゃんと自分の口で私が生きてきた道について話す必要がある。もうその覚悟はできていた。
父の行いは燈矢さんにとって、轟家にとって到底許されることじゃない。何もしなかったのは見殺しにしたのと同義だから。昨日の暴露はその報いが回り回って私にやってきただけ。父のしたことは私に関係ないと突き離せばそれまでだけど、その選択が正しいとは思えなかった。大切な彼らの手を、今度こそ取り零したくなかった。
強い気持ちで、真っ直ぐ三人を見据える。
「でも、今は本気でヒーロー目指してる。みんなと肩並べて強くなりたいって心の底から思ってる。だから、大丈夫だよ。みんなが味方でいてくれると思ったら、マスコミとか、外の人に何言われても平気。お父さんのこと背負って生きてく覚悟はとっくにできてるから。だから信じてほしい。他の人に何言われてもいいから、みんなにだけは私のこと信じてほしいの。」
正直怖かった。拒絶されたらどうしようって。でも、もう自分から逃げたくなかった。大好きな人たちに隠し事はしたくなかった。どんな過去があったとしてもずっと友達でいてくれる人がいるって、私自身信じたかったのかもしれない。
窺うように三人の返事を待っていると響香がまた私のことを抱きしめた。
「当たり前じゃん!信じてるに決まってんでしょ!」
「なまえさんが嫌々ヒーローをやってきたなんて一度たりとも感じたことはありませんわ。」
「俺は初めから事情知ってるしみょうじが頑張ってんのずっと見てきたからな。そんな風に自分のこと話せるようになってくれて嬉しい限りよ。」
「ちょっとマウントやめて。」
響香が瀬呂くんを小突いて柔らかい空気が流れる。三人の温かさに胸がいっぱいだった。大丈夫、みんな受け入れてくれる。私にはこんなに頼もしい仲間がたくさんいる。この先何があってもみんながいてくれたら乗り越えていける。雄英に入って、A組のみんなと一緒になれて、本当に良かった。
四人で泣き笑いして一息つく。みんなの優しさに触れて気合を入れなおした私は再び窓の外を見た。
「……焦凍くん、起きてるんだよね。」
確認するかのように小さく呟くと途端に三人が慌て始める。すでに考えは読まれているようだった。
「まだ動いちゃ駄目だからね?」
「もうすぐお医者さん来っからそれまで大人しくしてな?」
響香と瀬呂くんが先回りして私を止める。百ちゃんもおろおろと視線を彷徨わせていた。何だか心配かけてばかりで申し訳ない。自分の怪我の重さに彼女たちを過保護だと茶化すこともできなかった。けれどやっぱり、彼にはちゃんと会っておきたい。
「わかった。会いに行くのはお医者さん来たあとにする。」
「さてはみょうじサンあんまわかってねーな?」
全身火傷で包帯ぐるぐるのまま動こうとしてる私に瀬呂くんが深い溜息を吐く。ちゃんとお医者さんの診断を受けてからと響香と百ちゃんにも念押しされた。もちろんすぐに来てくれたお医者さんにもまだ安静にするようにと注意を受けたけれど、私は粘りに粘って何とか焦凍くんの病室に行く許可をもらった。決して無理しないという条件付きで。
「なまえって案外頑固だよね……。」
「今回は事が事だから。」
呆れ顔の響香に大丈夫だよと笑って見せる。彼女を含め三人は複雑そうにしてたけど、最終的には渋々送り出してくれた。懐の深さに感謝しかない。
彼のいる病室まで足を引きずりながら歩いていく。焦凍くんは、轟家のみんなは、今どんな気持ちで過ごしているんだろう。廊下の窓から見える大勢のマスコミに背を向けて、大切な幼馴染のこれからに思いを馳せていた。
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