全面戦争
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突然何を言い出したのか。どうして荼毘がその名前を知っているのか。到底理解が追いつきそうにない。まるで脳がその事実を拒否するかのように、私の思考は止まっていた。
「顔はこんななっちまったが……身内なら気付いてくれると思ったんだけどなぁ。」
目の前の男に幼い彼の面影などない。ただ愉悦と憎悪が込められた身の凍るような冷たい瞳がそこにあるだけだった。
『僕轟燈矢は、エンデヴァー家の長男として生まれました。』
今私たちに話しかけているのとは別の荼毘の声。どうやらそれは連合が所持しているパソコンから流れてきているようだった。
『エンデヴァーはかつて力に焦がれていました。そしてオールマイトを超えられない絶望から、より強い個性を持った子をつくる為無理矢理妻を娶りました。僕は父の利己的な夢の為につくられた。しかしどうやら僕は失敗作だったようで、程なくして見限られ、捨てられ忘れられました。』
ヒーローの存在を揺るがしかねない告白が、敵の口から淡々と語られていく。私たちは指先一つも動かすことができないまま、ただ茫然とその言葉を聞いていた。どうか荼毘が苦し紛れに吐いた嘘であってくれと心から願いながら。
足元がぐらぐらと揺れるようだ。かつては父に憧れヒーローを目指していたはずの燈矢さん。その夢への執着から自らの命を落としてしまった。父の日記を通して知った悲しい結末。どれだけ悔いてももう二度と彼に会えることはない。轟家のみんなは誰もがそう思っていたはずだった。
「でも俺は忘れなかった。言われなくてもずうっとおまえを見ていた。皆が皆清廉潔白であれとは言わない。おまえだけだ。」
荼毘は低い声でエンデヴァーさんを指さした。底なしの沼に足を引きずられるかのような嫌な感覚が迫り上がってくる。
今起こっていることは現実なのだろうか。戦いの疲労から夢でも見てるんじゃないだろうか。そう思いたかったけれど本当はもうわかっていた。彼が轟燈矢、その人であると。
すうっと体温が下がっていく。死んだはずの肉親と再会できたというのに焦凍くんとエンデヴァーさんの顔は絶望で歪んでいた。彼はそんな私たちの様子を可笑しそうに眺めている。
「事前に録画しておいた俺の身の上話が今全国の電波とネットを走ってる!いけねえ、なんだか愉しくなってきた‼」
彼は手を叩いて体をゆらゆらと揺らし始めた。まるでダンスを踊るかのように大型敵の上で軽やかにステップを踏む。
「どうしたらおまえが苦しむか、人生を踏み躙れるか、あの日以来ずうううううううっと考えた!自分がなぜ存在するのか分からなくて毎日夏くんに縋ってた事知らねぇだろ!」
夏くん、彼の口から零れた名前に息を呑む。やっぱり彼は本物の燈矢さんなのか。その言葉の端々から真実味が帯びてくる。
「最初はおまえの人形の焦凍が大成した頃に焦凍を殺そうと思ってた!でも期せずしておまえがNo.1に繰り上がって俺は!おまえを幸せにしてやりたくなった!九州では死んじまわねえか肝を冷やした!星のしもべやエンディングを誘導して次々おまえにあてがった‼」
明らかになっていく思惑に目の前が真っ暗になる。あれもこれも、全ては彼が仕組んだ計画だったのだ。父親を絶望に叩き落とすために。
「念願のNo.1はさぞや気分が重かったろ!?世間からの賞賛に心が洗われただろう!?子どもたちに向き合う時間は家族の絆を感じさせただろう!!?未来に目を向けていれば正しくあれると思っただろう!!?知らねえようだから教えてやるよ!!!」
エンデヴァーさんと焦凍くんの顔から血の気が引いていく。私も例外ではなかった。聞きたくないと耳を塞ぎそうになったけれどもう遅い。
「過去は消えない。ザ‼自業自得だぜ!さァ一緒に堕ちよう轟炎司‼地獄で俺と踊ろうぜ!!!」
突き付けられた現実に上手く呼吸ができない。体が鉛のように重たかった。
未来に目を向けていれば正しくあれる。確かに私もそう思っていた。轟家も、きっとそれを信じて少しずつ前に進んでいた。それなのに。
過去は消えない。その言葉がナイフのように心を抉る。まるでおまえに幸せな明日はないと告げられているみたいだった。
「燈矢は死んだ。許されない嘘だ。」
ようやく絞り出したエンデヴァーさんの声は震えていた。その弱々しい訴えを彼は笑いながら一蹴する。
「俺は生きてる。許されない真実だお父さん!炎熱系の個性なんざ事務所にもいるしで俺が何者かなんて考えなかったろ。」
お父さん。そう呼ばれてエンデヴァーさんは黙りこんだ。まだ目の前の男と息子が同一人物だと認めたくない。そんな風に見えた。けれど彼の一筋の希望も次の瞬間には打ち砕かれる。連合のパソコンから流れてきた否定しがたい事実によって。
『九州の戦いで残されたエンデヴァーの血と99.99%一致してます。それでも捏造を疑われるでしょう。僕は信じてもらえるよう話すしかありません。』
画面の向こう側で公表されていたのはDNA鑑定の結果。まさかここで流すために九州に脳無を放ったというのか。あまりに用意周到。彼の憎しみは、もう引き返しようのないところまで来てしまっている。
『エンデヴァーはその後も母に子を産ませ4人目にして皆さんご存知の方もいるでしょう、成功作の焦凍が産まれました。そして待望の傑作にさえ手を挙げています。僕は何度も見てきました。エンデヴァーは他者を思いやる心なんて持ち合わせていない。自己顕示に溺れた矮小で独りよがりの精神。そんな人間がヒーローを名乗っていいと思いますか。』
どんどん露わになっていく轟家の闇。今のエンデヴァーさんはそんな人じゃないとどれだけ否定しても、この映像を見た人は信じてくれないだろう。ヒーローへの疑念を民衆に植えつける。今の社会を根本から覆してしまうような、巧妙な罠。
一体どうしてこんなことになってしまったのか。未来へ進もうとしている轟家を、過去に置き去りになった彼が壊す。
『エンデヴァーに連なるものも同様です。No.2ヒーローのホークス。彼は僕らに取り入る為にあろうことか、ヒーローを殺しています……。休養中だったNo.3、ベストジーニストを。』
「!」
耳を澄ませてうっとりと放送に聞き入っている燈矢さん。その受け入れがたい内容に私は口元を手で覆った。そんなまさか。絶対にあり得ない。けれどベストジーニストさんが行方不明なのは誰もが知っているニュースだ。彼の言葉を鵜吞みにしてしまう人もきっと少なからずいる。
『暴力が生活に一部になってしまっているから平然と実行できてしまう。それもそのハズ。彼の父親は連続強盗殺人犯……敵だった。彼が経歴も本名も隠していたのはその為でした。彼の父はエンデヴァーに捕まっています。』
燈矢さんは畳みかけるように不穏な事実を投下して視聴者の心に訴えかけていく。きっとこれが真実であってもそうでなくても彼にとっては関係ないのだ。ただヒーローの存在を揺るがすのに充分な燃料が撒ければいい。あとは放送を見た人々の不安や怒りが炎を広げてくれる。何て綿密に考えられた計画だろう。
「ホークスさんは……そんな、人じゃない。」
耐えられなくなってか細い声で吐き出すと目の前の彼はにたりと笑った。
「まあ黙って聞いてろよ。お前の出番はこれからだ。」
「は……。」
『そして元No.4ヒーローのタイフーン。』
「!」
突然出てきた名前に肩がびくりと揺れる。一体何を言われるのか。心臓が握りつぶされたみたいに痛い。やめてと懇願することもできないまま、ついに矛先は父へと向かった。
『彼は我が家の事情を知っていたというのに一度だって手を差し伸べなかった。エンデヴァーからの暴力に泣きながら耐え忍んでいる子どもを見殺しにしたんです。嫌われるのが怖くて自分の保身のために親友の間違いを正さなかった。彼が一言言ってくれていれば僕はこうはならなかったかもしれないのに。清く正しく強いヒーローなんて、彼が塗り固めて作った偽物でしかない。』
ずっと、そうではないかと思っていた。彼は父のことも憎んでいるのではないかと。だって日記を読んで私も違和感を覚えた。あの時唯一燈矢さんの近くにいた身近なヒーロー。家族ではなく完全な他者。この人なら苦しい現実をどうにかしてくれるのではと縋りたくなることもあったかもしれない。
けれど父は救けなかった。これは取り繕う余地のない事実だ。燈矢さんはその恨みを晴らす日をずっと、ずっと待っていたのだ。
『そして彼もまた、より大きな力欲しさにまだ右も左もわからない娘をヒーローになるよう仕立て上げて行った。彼女の意志に関係なく無理強いをして自分の夢を押しつけた。子どもの感情を奪い、自らの思い通りの人間になるようコントロールしていったんです。そして皆さんもご存知の通りまんまと娘は雄英に入っている。利己的に強大な個性を欲する化け物、タイフーンに夢を塗り替えられたなんてまるで気づくことなく。』
ギリギリと首を絞められているかのような感覚。エンデヴァーさんと焦凍くんが息を呑んだのがわかった。
瀬呂くんと響香にしか言ってなかった私の過去。エンデヴァーさんにだけは伝えたくなかった父の弱さ。それが今、全国の電波に乗って流れている。
何故、この人がこんなことを知っているの。胃の奥から吐き気が込み上げてくる。燈矢さんは両腕を大きく広げ、私に向かって叫んだ。
「お前も父親に狂わされた一人だろ!?ヒーローになりたいなんて微塵も思ってねえ顔してたもんなあ!いい機会だ、今ならこっちに入れてやる。ヒーローに救ってもらえなかった者同士、仲良くやろうぜ!?」
燈矢さんの誘いが頭に響く。そのつぎはぎ顔を直視することができず俯いた。
ずっと差し伸べてほしいと願っていた父の手が私に届くことはなかった。どれだけ目を背けたくても、死柄木の叫びにも燈矢さんの恨みにも共感できるところは少なからずある。彼らを見ていて胸が締めつけられるのは、同情だろうか。それとも。
「……なまえ?」
何も言い返せずに固まっている私に焦凍くんが不安そうな声を上げた。待って違う。私はちゃんとヒーローになるって。過去も抱えて前に進もうって決めたの。
それなのに何で、こんなに手が震えてるの。
心の中に迷いがあるんじゃないかと自分で自分を疑ってしまう。たまらず拳をぎゅっと握るとその衝撃で右腕がきらりと光った。視線を落とすと、美しく太陽に照らされる彼からもらった大切なお守り。
それを見た瞬間すうっと頭が晴れた。雁字搦めにになっていた負の感情は消え去り、途端に意識がはっきりしてくる。
そうだ、私はもう大丈夫。ヒーローに救ってもらえなかったなんてそんなの嘘だ。瀬呂くんや響香や緑谷くん。他にもたくさん、私にとってのかけがえのないヒーローたちがいる。彼らに救ってもらったから、私は今ここにいるんだ。お父さんのことだって、ちゃんと背負って生きていける。差し伸べてくれる手を取り違えたりなんかしない。私は顔を上げてきっと彼を睨んだ。
「行かない。私はもう自分の意志でヒーローを目指してるから。」
決して迷わない。揺さぶられない。左手でブレスレットに触れ、改めて決意を固める。
「そうか、そいつは残念だなァ。」
彼は少しも残念な素振りを見せずに口角を上げた。結局仲間集めなんて建前で私を動揺させたかっただけなんだろう。私に興味をなくした彼は再び意識を放送に戻す。映像の中の轟燈矢は民衆の心をかき乱すために強い語調で続けていた。
『僕は許せなかった!後ろ暗い人間性に正義という名の蓋をして‼あまつさえヒーローを名乗り‼人々を欺き続けている!よく考えてほしい!彼らが守っているのは自分だ!皆さんは醜い人間の保身と自己肯定の道具にされているだけだ!』
この時代だからこそ響いてしまう言葉。不安要素を与えた上で人々に考える余白を残すなんて。これを見ている何人が私たちを信じてくれるというのだろう。何人が味方になってくれるというのだろう。たった一人の人間の執念が社会全体を巻き込みヒーローの立場を脅かす。
今さらながら当たり前の事実を嫌というほど実感した。敵連合はみんな、本気でヒーローを憎んでいる人間の集まりなのだ。
「今日まで元気でいてくれてありがとうエンデヴァー‼」
燈矢さんが大型敵の手から飛び下りエンデヴァーさんへと向かって行く。それが攻撃開始の合図であることは明白だったけれど、彼は一歩も動けずにいた。
「親父!!!来るぞ‼親父‼」
「エンデヴァーさん構えて‼」
焦凍くんと私の呼びかけにも全く反応しない。変わり果てた息子の姿にヒーローとしての気迫は失われ、威厳あるNo.1の姿はどこにもなかった。
「緑谷たちを守ってくれ‼俺となまえと先輩で戦う‼頼む動け‼守ってくれ‼おい‼後にしてくれ!!!」
無情にも焦凍くんの叫びは届かない。戦う意思をなくしたエンデヴァーさんは棒立ちのまま燈矢さんを見つめていた。
「赫灼熱拳。」
燈矢さんの腕から青い炎がぶわりと上がる。迫りくる熱に私と焦凍くんが身構えたその時、空からワイヤーが降ってきた。
「これって……!」
燈矢さんの体を拘束するいくつもの布。私は思わず上空を見上げた。目に飛び込んできたのは、誰もが待ち焦がれていた鮮やかなブルー。
「遅れてすまない‼ベストジーニスト今日より活動復帰する‼」
ぶわりとあたりに風が吹く。それはもう一度私たちを奮い立たせてくれるような、希望に満ちた風だった。