エンデヴァー
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その日の夜。自室で寝る準備を済ませてストレッチしていると窓を叩く音が聞こえた。ドアじゃなくて窓。しかも外から。途端に緊張が走る。
そもそもここは4階だ。簡単にベランダに侵入できるような高さじゃない。こんな時間にこんな不穏な方法で、一体誰が訪ねてくるというのだろう。絶対にクラスメイトでもなければ学校関係者でもない。どうしよう。誰かを呼びに行った方がいいだろうか。
焦っているともう一度コンコンと窓が叩かれる。嫌な汗が出てきた。だけど今部屋を離れれば訪問者を逃がしてしまう。いざとなったら大声を出せば誰かしら加勢に来てくれるはず。念のためスマホ持っとこう。ドクンドクンと脈打つ鼓動を抑えながら、私は意を決してカーテンに手を伸ばした。
誰もいない。ほっと胸を撫でおろしたけどじゃあさっきの音は何だろうか。もしかして心霊現象。さっと体温が下がったけどいやそんなはずはないと頭を振る。うう、怖い。でもやっぱり気になって恐る恐る窓を開けてベランダに出てみる。キョロキョロと周りに異常がないか確認したあと顔を上げると、飛び込んできたのは信じられない光景だった。
瞬く夜空を背にこちらを見下ろしながら浮かぶ人。大きな羽と金髪が月明かりに照らされて、これは現実なのかと錯覚してしまうほど目を奪われた。
「なんで……ここに。」
呆気にとられながらようやく絞り出せば彼は目を細めてニッと笑った。ベランダへと降り立ったその瞳が私を捉える。
「君に会いに来た。」
返ってきた答えに面食らう。まるで恋人に愛を囁くかのような声色に私は戸惑いを隠せなかった。やっぱりこの人読めない。いつだって嘘だか本当だかわからないことを平気で言うんだ。
「ちゃんとした理由を教えてください。」
「まあまあちょっとお話ししましょ。ここじゃなんだから、誰にも聞かれない場所で。」
質問をはぐらかしたまま彼は上を指さした。私に寮を抜け出せってことだろうか。突然来ておいてあまりに勝手だ。文句の一つでも言えればよかったんだけど、残念ながらそんな間柄でもない。こうやって会話するのすら数回目なのだ。上着だけ取っておいでと促され、有無を言わさぬ顔に仕方なく従う。
「あ、ちゃんと防寒できた?夜はもう相当冷えるからね。」
「……一体何が目的なんですか。」
マイペースに笑う彼にため息を吐くと次の瞬間体が宙に浮いた。突然のことで理解が追いつかなかったけど、ホークスさんの顔がすぐ近くにあって横抱きされてるんだと気づく。慌てて身をよじればさらにしっかりと力が込められてしまった。
「じ、自分で飛べます!」
「それだと逃げるでしょ。捕まえとくに越したことないからね。」
「速すぎる男から逃げきれるわけないじゃないですか……。」
赤い顔で項垂れると彼はくつくつと喉を鳴らした。もう本当になんなのこの人。からかってるだけならあまりに質が悪い。
ようやく足を地面に着けることができたけどここがどこなのかも教えてくれない。下に広がる街の明かりを見て相当背の高いビルの屋上だということだけは理解できた。靴を取りに行く時間がなかったから私が今履いてるのはベランダに置いておいたサンダル。正直すごく寒い。
「悪いね、付き合わせて。」
全然悪いと思ってない顔でヘラヘラしてるホークスさん。何だか怒りを通り越して呆れてしまう。せめてもう少し状況を説明してはくれないだろうか。
「まあこうでもしないと君とは一生会えないかもと思ってね。」
意味深な言葉に思わず彼を見たけどすぐに逸らした。相変わらずの人を見透かすような瞳。その奥底で何を考えているのか、私には想像もつかない。
「君、俺のこと嫌いでしょ。」
図星をつかれて鼓動が鳴った。それでも動揺を悟られないようじっと黙り込む。何か話せば絶対にボロが出る。彼はそんな私をまるで気にしてないようにヘラヘラとした調子で続けた。
「職場体験もインターンも振られてるからね。そりゃまあそういう結論に辿り着くよ。もっと言えば君は昔から俺のことを避けてたように見えてたし。」
そりゃ避けるでしょう、とは返せなかった。彼の言う昔を私も記憶の中から思い起こす。昔といってもほんの数年前だけど。彼が事務所を立ち上げたばかりのことだから4年前だ。あの時はチームアップ要請があった父に連れられ現場見学に行ってた。そして事件が終わって事務処理をしている父を別室でぼんやり待っていると、急にこの人が隣に腰かけてきた。
「お父さんのこと好き?」
これが彼の第一声だ。あまりに脈絡のない質問だったので怪訝に思ったのを覚えている。
「自慢の父ですが。」
短く答えると彼は何か言いたげな視線を私に向けた。
「ふーん、本当に?」
「え。」
まさかそんなことを問われるとは思わず言葉に詰まる。どういう意味だろうか。私が嘘を吐いてるのでも言いたいのかと、子供心に不信感が募った。その時は父がどんな人なのかも深く考えてなかったし、父に対してネガティブな感情を持つという選択肢すら自分の中になかった。
「まあいいや。俺が言うことでもないしね。」
「はあ。」
彼はそれきり何も言わずさっさと腰を上げてどこかに行ってしまった。話しかけてきた癖に一度もこちらを振り向かなかった背中が、妙に頭に残っている。
今さらながら、この人はあの時すでに父の娘への異常な傾倒に気づいていたんじゃないかと思い至る。頭の切れる人だ。あそこで一瞬で見抜いていたとしてもおかしくはない。少しだけ好奇心に心が揺れた。この人なら、何か父について教えてくれるかもしれない。
「まあそれはいいや。」
情の籠っていない渇いた声にハッと意識が引き戻される。駄目だ、この人を簡単に信用してしまっては。思い直してもう一度彼の顔を見つめた。そもそもこちらがずっと避け続けてきたのに父の情報欲しさに近づくなんて失礼極まりない。
「実は敵連合について聞きたくて来たんだ。合宿で会ってるでしょ。」
予想外の名前が出てきて首を傾げる。どうして今さらそんなことを私に聞くのか。
「インターンで常闇くんから聞かなかったんですか?」
「ああ、彼も教えてくれたよ。でも君からも聞いときたい。奴らと何か話さなかった?」
「そう言われても……。」
うーんと頭を捻る。あの時は必死だったし最後意識飛ばしちゃったから所々朧げなんだよなあ。会話らしい会話なんてしてないと思うけど。唸りながら記憶を辿っていくと、一つだけ気になる点が出てきた。
「私、一人でいる時荼毘に会いました。」
ピクリと彼の眉が動く。重要だと思ってなかったから会話の中身を誰かに話したことはなかった。というより今の今まで忘れていた。どこかピリッとした雰囲気の中私は続けた。
「実際は他の敵の個性で偽物を作ってたらしくて本物ではなかったんですけど。そこでちょっと気になること言われて。」
「どんな?」
「私の顔を見て笑い出したので戸惑ってたら、"懐かしくなった"と言って謝られたんです。」
あそこでは気に留める余裕がなかったけど思い返せば変だ。奴とは絶対初対面なのに懐かしいだなんて。まるで以前会ったことがあるみたいな言い方だ。それとも知り合いに私に似た人がいるんだろうか。
「……そう、荼毘がね。」
ホークスさんは口元に手を当てて考え込む仕草をした。何か有力な情報になっただろうか。教えてくれないだろうから特に聞きはしないけど。
「ありがとう。参考にさせてもらうよ。」
そういってへらりと笑った彼にやっぱりどこか違和感を覚える。いくら敵連合の情報が欲しいと言っても一介の学生からこんなにちまちま聞き込みするわけがない。いつまでたっても真意を話してくれない彼に私は少し語気を強めた。
「あの、私寮抜け出してまで来てるんですけど。いい加減連れ出した本当の理由教えてくれませんか?」
じろりと睨みつけると彼は気にする様子もなくふっと目を細めた。
「察しがいいね、届け物だよ。」
「届け物?」
「ほらこれ。」
今日一番意味が分からない返答に眉を顰める。彼の羽が一枚飛んでいきビルの隅に置かれてあった大きな紙袋を運んできた。
「何ですかこれ。」
ずっしりと重たい袋を手渡され、中身を確認すると本らしきものが何冊も入っていた。
「君のお父さんの日記。」
紡ぎ出された言葉に思わず目を見開く。時が止まったみたいな感覚に陥りながら彼の顔を見たけど、なぜだか嘘を吐いてるようには思えなかった。
「何で……父の日記をあなたが?」
震える声で聞けば興味なさげに首を捻られる。
「さあ?ある日突然預けられたからね。時が来たら君に渡してほしいって。」
何それ。時が来たらって今がその時ってこと?ホークスさんと父がそんなに親しかったなんて聞いたことがない。エンデヴァーさんならまだしも。一体どうして父はこの人に自分の日記を預けたのだろう。ますます謎が深まってしまった。
「預けられた理由って……知ってるんですか。」
「いや何も教えられてないね。まあでも俺があの人のこと嫌いだったからじゃない?」
全く理解が追いつかない。質問と答えが全然繋がらないんですけど。自分のこと嫌ってる人に父はどうしてそんなプライベートなものを渡してるんだ。というかこの人今嫌いって言った?その父を亡くした娘の前でよくそんなことが言えるなとため息が出る。
「理由になってなくないですか?」
「だって本当に俺もわかんないもん。自分に興味がない人に託したかったって言ってたしそういうことなんじゃない?」
肩を竦める彼を見てどうやら本当に理由は知らないらしいと判断をつける。もう一体何だっていうんだ。この人も父も、全然わからない。振り回されてばかりで頭痛くなってきた。
「ま、気になるなら読んでみなよ。何かお父さんのこと分かるかもしれないし。日記自体はタイフーンさんがプロヒーローになったくらいから君が中学に上がる前くらい?の期間のことが書かれてるって聞いたけど。実際のところ俺は興味ないし中身確認したこともないから内容も知らない。どの道読んでみるしかないね。」
若干くらくらしそうになりながらも仕方なく頷く。まあ正直このプレゼントはありがたい。ここのところ堂々巡りだった父のことも何か道が開けるかもしれない。プロヒーローになりたてってことは私が生まれる前のことも書かれてるってことだ。何か父がああなってしまったきっかけが掴めるかもしれない。
ホークスさんは「それじゃあ送っていく」と笑って日記の入った袋ごとまた私を抱き上げた。情報量に頭がパンクしてるのもあって横抱きされていることに抗議する元気もない。
「何でこのタイミングで……ほんとにこれだけ届けに来たんですか?」
耳元でびゅうびゅうと風が吹く中もう一度彼に真意を尋ねる。彼は変わらぬ飄々とした口調で答えた。
「俺にも色々都合ってものがあるからね。詳細は伝えられない。あ、でも一個だけお願いしていい?」
まだ何かあるのかと身構えてしまう。自分は大事なこと一つもしゃべらないのに人のことは振り回して、挙句頼み事なんて都合のいい話だ。それでも仕方なく聞き返すと彼はどこか真剣な顔で私を見つめた。
「次のインターン、エンデヴァーさんのところに行くと良いよ。」
はあ?と声を上げそうになったけど軽薄さのなくなった目に射抜かれそれを口にすることはなかった。ベランダに下ろされ顔を上げれば一瞬の内にホークスさんは消えていた。先ほどまで彼がいたはずの夜空を見上げながら、本日何度目だかわからないため息を吐く。
「もう、なんなの……。」
ちらりと紙袋に視線を落とす。部屋に持って入るのすら重いと感じる、大量の日記。この重みは一体何を意味してるのか。どうして父は彼にこれを預けたのか。エンデヴァーさんのところにインターンに行けと彼が言った理由は何なのか。ほんの少しの時間だったのに頭の中は問題で山積みだ。それもこれもホークスさんがふわっとしたことしか言わないから。やっぱりあの人苦手。
冷えた体を温めるよう布団に潜り込む。そっと目を閉じたけれど、意外な人物から手に入れた父の軌跡が気になってその日はいつまでたっても眠れなかった。