二章
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一人のお風呂は何とも侘しいものだ。元の世界にいた頃は当然毎日一人で入っていたので前の生活に戻っただけなのだが、くのたまの女の子達と一緒の湯浴みに慣れてしまった今ではこの広い大浴場はあまりに心細かった。手に余るとはこういうことか。ここ一週間は常にそんなことを思いながら無言で体を洗っている。
彼女達とのお喋りがないとあっという間に入浴は終わる。私はものの十五分で脱衣所に上がった。しん、という音が聞こえてきそうなほどに静かなくのたま長屋に何だか足元がぐらつきそうになる。おかしいな、昨日はこんなことなかったのに。私は慌てて服を着て自室へと戻った。
一人ぼっち、という状況が自分をこうも不安にさせているのだろうか。私はこんなに寂しがり屋だっただろうか。夏休みはまだ始まったばかりだというのに先が思いやられるようだった。あと何日これを繰り返せばみんなに会えるんだったっけ。自分が指折り数えているのがまるで途方もないことのように感じられる。
段々と瞼が重くなっている気がしたがどうにも布団に潜る気になれなかった。夕涼みと称して縁側に腰かけ、駄々をこねるようにいつまでも居座り続けている。
昼間とは違い心地の良い風が頬を通り過ぎる。柔らかな空気だけが今の私を慰めてくれていた。現代は夜も蒸し暑いがここは涼しくて過ごしやすい。やはり時代が違うのだ。まざまざと見せつけられる現実に自然と気分は重くなった。
駄目だ、思考が悪い方ばかりに行ってしまう。こんなにも胸がざわつく理由を本当はもうわかっていた。
立花くんがいないのだ。彼が隣にいないから、私はこんなに弱くなってしまっている。
忍術学園に来てからというもの私はずっと彼を頼ってきた。何か不安なことがあっても彼の顔を見れば落ち着いたし微笑みを向けられれば心は安らいだ。いわば彼は私の精神安定剤なのだ。そんな彼の声がこの学園のどこからも聞こえない。それがとてつもなく恐ろしかった。
情けなくなって深くため息を吐く。どうにかして気分を変えないと早々に沈んでいってしまいそうだった。
「なまえさん。」
不意に誰かがこちらに小さな影を落としていた。慌てて明るい顔を作ると可愛い訪問者はにかっと八重歯を見せて笑った。手には枕を持っている。
「こんばんは、きり丸くん。珍しいねこんな時間に。」
普段ならば一年生は寝ている時間だ。土井先生の付き添いで学園に残っている彼は私の隣にちょこんと腰かけ照れ臭そうに頬を掻いた。
「こんばんは。いや、そうなんですけど。一人だとどうにもつまんないというか。」
眠れなくて。彼は小さく呟いた。その横顔はいつもより弱々しく、先程までの私とぴたり重なる。そうだ。きっと誰でも、一人は寂しい。
「そろそろ部屋に戻ろうと思ってたの。今日は一緒に寝ようか。」
「いいんすか?」
「勿論。きり丸くんさえ良ければ。」
「僕はもう準備万端っすよ」と彼が勢い良く立ち上がる。小脇に抱えていた枕をほら、と自慢げに見せてくれ私はふわりと頬を緩めた。
障子を閉じると予め敷いていた布団にきり丸くんがいそいそと枕を並べる。まるで幼い弟ができたみたいで微笑ましかった。
二人で布団に潜り込み顔を見合わせる。内緒話をするような距離間がくすぐったくて彼も私もくすくす笑った。月灯りが差し込んできり丸くんの健康的な肌が青白く光っている。
「なまえさんいつもこんな時間まで起きてるんすか?」
「ううん、今日は特別。私も眠れなかったの。だからきり丸くんが来てくれて良かった。」
ありがとうと伝えると彼は嬉しそうに顔を綻ばせた。幼い彼の小さな手が、冷たくなっている私の指先にそっと触れる。
「寂しかった?」
「え。」
唐突にそう切り出して大きなつり目がこちらを覗きこむ。鋭い指摘に私の心臓は大きく跳ねた。
「なまえさんも、寂しかった?」
言い当てられてしまった私は二の句が継げない。彼の瞳には心配も興味も共感も色んなものが混ざっていたが、その奥にあるのは悲しい思い出のような気がした。
きり丸くんはきっと今ご両親のことを思い出してしまっている。だったら私は、何と答えればいいのか。
「……うん、寂しかったよ。」
結局辿り着いた返答は素直に胸の内を明かすことだった。相手が十歳の少年だからと言ってわざと大人のように取り繕う必要はない。工夫を凝らした小細工もいらない。きり丸くんが欲しいのはそんな上っ面の言葉ではないのだ。彼にとって私は、似たような立場にいる数少ない存在。自分の悲しみを理解してくれる人。
「やっぱり忍術学園は騒がしいくらいが丁度いいね。」
私が笑うと彼もうんうんと頷く。どうやら答えは間違ってなかったらしいとほっと胸を撫でおろした。
「そうっすよね。いつもは一人になりたいって思うこともあるんすけど乱太郎としんべヱいないとどうにも調子が狂うっていうか。」
「ふふ、わかるよ。普段一緒にいる人がいなくなると急に心細くなるよね。」
安心させるように彼の頭を撫でると「子どもじゃないんですよ」と口を尖らせながらも受け入れてくれた。綺麗な髪に指を通せばするするとすり抜ける。
ゆっくり何度も同じ動きを繰り返していると段々ときり丸くんの瞼が落ちてきた。うつらうつらとしながら、何とか私に視線を向ける。
「なまえさんが……土井先生のお嫁さんになって……俺の母ちゃんに、なって、くれれば……。」
言い終わる前に寝息が聞こえてきた。私は撫でる手を止めて、彼の肩まで布団を掛ける。
土井先生のお嫁さんになって俺の母ちゃんになってくれれば。一人称が砕けているあたりきっとこれは彼の本音だろう。穏やかに眠る彼を前に、私は胸が潰れる思いだった。
きり丸くんは、私を母として慕ってくれている。その事実がどうにも心苦しかった。
まだ十歳だというのに両親を亡くし、私よりずっと大変な思いをしながら彼は逞しく生きてきた。すでにアルバイトをいくつもこなす彼はこの世界で生きていくのに申し分ない。この学園で学び、成長し、一人前の忍者になるのならそれこそ一人で生きていく術はいくらでも身に着くだろう。
しかし、今日みたいにどうしようもなく寂しくて弱くなってしまう日はある。その思いを包み隠さず話して「わかるよ」と共感してくれ「えらかったね」と手放しで頭を撫でてくれる。そんな存在を彼は求めているのだ。祈るような思いでこちらに手を伸ばしているのだ。私は彼にとって何者にもなれないというのに。
私は、"いつか帰ってしまう人間"なのだ。どれだけ彼がここにいてほしいと願っても、どれだけ私がここにいたいと願っても、恐らく私達の意志に関係なくこの体は元いた世界に飛ばされる。その時私が彼を本当の息子のように扱っていたとするならば、きり丸くんは二度母を失うことになる。それがたまらなく怖かった。
この子に、そんな残酷な仕打ちをするのか。彼の泣いている未来を想像して唇を噛む。月灯りに照らされたきり丸くんを見るともうすでに夢の中のようで、楽しそうに頬を緩めていた。
「……どんな夢見てるんだろ。」
もう一度その頭をゆっくりと撫でる。どうかずっと幸せでありますようにと都合の良い願いを込めて。
「ごめんね、きり丸くん。」
耐えきれない罪悪感に目の前が霞む。私は慌てて涙を拭い瞼を閉じた。眠れるはずがないとわかっていながら。
帰りたかった場所はもはや私にとって希望ではないのかもしれないという思いに蓋をして。