二章
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昼食はお茶漬けにして簡単に済ませた。夏休みの間食堂はお休み。おばちゃんも自宅に帰っており、学園に残っている忍たまは各自で炊事をすることになっていた。
茹だるような暑さの中、寝転がってぼーっと外を見る。行儀が悪いとは思ったがどうにもやる気が湧かなかった。部屋に飾られている風鈴から音が奏でられることはなく、風すら吹いていないことにやっと気づく。
「……みんな、暑いよね。」
よっこらせと体を起こしようやく立ち上がる。額の汗を拭いながら井戸の方へと向かった。
「よいしょ、っと。」
桶を井戸の中に落とし縄を引っ張る。初めこそ手間取ったが今となっては慣れたものだ。並々と入った水を別の桶へと移し柄杓と一緒に忍たま長屋まで運んだ。
打ち水って昼間だとあんまり意味ないらしいけど。それでもやらないよりはましだろう。ほんの少しでもみんなが涼しくなればそれでいい。
ぱしゃりぱしゃりと熱くなっている地面に水をかける。濃く変わっていく土の色を見ると何だかそれだけで気温が下がった気がした。
「あれ、みょうじさん。」
不意に後ろから声をかけられ、振り向くと腕まくりをしてノースリーブ状態になっている竹谷くん。
「暑くないですか?」
「うーん、正直すごく暑い。」
「ですよね。水分摂ってます?」
「一応ね。」
水筒代わりの竹筒を見せれば彼は「良かった」と言って笑った。向日葵がよく似合う眩しさだなあ。
「打ち水してくれてたんですね。」
「そうなの。すぐ蒸発しちゃうしあんまり意味ないかなとも思ったんだけど。」
「いや、なんか涼しくなってる気しますよ。ありがとうございます。」
にかっと歯を見せる彼はこの上なく爽やか。小平太くんの次に夏の似合う男は彼だと思う。
「竹谷くんもまだ学園に残ってたんだね。」
「そうなんですよ。ちょっとまだ放っておけない奴らがいて。」
「放っておけない奴ら?」
「みょうじさんも見に来ます?」と意味ありげにこちらを覗きこむ竹谷くん。悪戯っ子のような表情に私の好奇心はむくむくと膨らんだ。
「行きたい。」
「そうこなくっちゃ!」
竹谷くんにも手伝ってもらって急いで打ち水を終わらせる。嬉しそうな彼の背中を追いかけて辿り着いた場所は校庭の隅っこだった。
「ここは陰になっていて比較的涼しいんですよ。こいつらも生きやすい。」
彼がほら、と見せてくれたかごの中を見て私は小さく悲鳴を上げた。
「あれ?みょうじさん虫嫌いですか?」
「い、いや……種類によるかな。」
竹谷くんが微笑ましそうに眺めていたのはたくさんの足が蠢いている虫達。ちょっとこれはかなり厳しい。喜三太くんのナメクジさんや孫兵くんのジュンコさんとは訳が違う。
「これ、あの……生物委員会の?」
「はい。俺達が飼育してる毒虫です。」
「ひぇ……。」
思わず後ずさってしまうと竹谷くんは可笑しそうに笑った。
「まあ普通はそういう反応になっちゃいますよね。」
「ごめんね、あの。どうしても苦手意識が。」
「良いんです。正しい距離の取り方だと思うんで。」
彼はまったく気にしてない様子で餌の準備を始めた。それにしても手際がいい。相手は毒虫だというのに全く物怖じしてない。生物委員会ってすごい。深く感動している自分がいた。
「竹谷くんは怖くないの?」
「怖いですよ!即効性の毒持ってる奴もいるし。でもやっぱり、一度飼った生き物なんで。」
彼は毒虫に餌を与えたあと素早くかごの蓋を閉めた。元あった場所にそれを戻し、虫が逃げ出さないようしっかり固定する。
「動物とかもそうなんですけど、人間の勝手で飼ってるものですから。ちゃんと最後まで面倒見ないと。」
大きくなれよとかごの中に話しかけている竹谷くん。その姿は立派だった。
「……竹谷くん、すごいね。かっこいい。」
「え!?」
素直な感想を漏らせば彼は上擦った声を出した。さっきよりも幾分か顔が赤い。暑さのせいだけではないのかもしれないと、なんだか勝手にそう思った。
「生き物大事にできる人って素敵だよね。尊敬する。」
「いや、あの、そんな……。」
立て続けに褒めると彼は自分の口元を隠して黙り込んでしまった。称賛に照れている様子があどけない少年を思わせてとても可愛い。
「竹谷くん?」
「あの、あんまこっち見ないでください……。」
「ふふ、可愛い。」
「かっ!?いや、ほんと勘弁してください……!」
ちょっと悪戯心が疼いてそのまま本音を口にしてしまった。いけないいけない。竹谷くんは真っ赤になって頭を抱えてしまっている。
「ごめんね。作業の邪魔しちゃった。」
「いえ、その、みょうじさんの意外な一面を見ました。」
「え、嫌だった?」
「滅相もございません。」
間髪入れずに否定してくれた竹谷くんに笑いが零れる。五年生の中でも一番年相応って感じがして微笑ましくなるんだよなあ。
「お、竹谷来てたか。それとみょうじさん。珍しいですねこんなところに。」
竹谷くんが平常心を取り戻そうと深呼吸しているところに太い声が降ってきた。顔を上げると生物委員会の顧問、木下鉄丸先生のお姿。
「お疲れ様です。」
「いやはや暑いですね。竹谷なんか顔が真っ赤になって。ちゃんと水分摂ってるか?」
「はは、あの……足りてないかもしれません。」
焦った様子の竹谷くんに先生が首を傾げる。私はそれがおかしくて吹き出してしまった。
「木下先生は見まわりですか?」
「ええ。毒虫が逃げとらんか見に来たわけです。ま、竹谷に任せておけば安心ですね。」
やはり竹谷くんは頼れる生物委員長のようだ。先生からの信頼も厚い。
「だが程々にな!可愛がり過ぎてまた逃がしたらいかんぞ。」
「孫兵じゃないんで大丈夫ですって……。」
「ふふ。」
二人の息の合ったやりとりに頬が緩む。すると木下先生は私の顔をじっと見つめた。
「あの……?」
「ああ、申し訳ない。本当に普通の娘さんだなと思いまして。」
「え。」
「ちょっと木下先生!?」
唐突な感想に虚を突かれる。竹谷くんはその言葉を失礼だと感じたらしく、私と先生を見比べて目を白黒させていた。
「む、いやその悪い意味ではなく……。ほら、貴方がここに来たばかりの頃私は疑ってしまっていたでしょう。」
「あ、そういえば。」
私が未来から来たと話した時最初に拒否反応を示したのは木下先生だった気がする。正直緊張してたからかあまり記憶はないのだけれど。今思い返してみれば安藤先生、野村先生、木下先生は当時私の存在に否定的だった。
「それをずっと謝りたかったんです。」
「え、そんな。皆さん優しくしてくださるからこちらはもう忘れかけていたくらいでして。」
実際食堂に来る先生方はみんなにこにこと話をしてくれる。木下先生も毎回「今日の献立は何ですかな?」と盛大にお腹を鳴らせているくらいだし結構仲は良い方だ。安藤先生だけはほんの少し距離を感じるけれど。
「いえ、生徒たちは皆心を入れ替えたというのに教師の私が謝罪もしてないなど言語道断です。本当に申し訳なかった!」
がばりと頭を下げる木下先生に竹谷くんもぽかんとしている。年上の男性に潔のいい謝罪を向けられ私も面食らってしまった。遅れて戸惑いがやってきて私はおろおろと手を動かした。
「あの、あの……大丈夫です!全然気にしてないので……どうか、顔を上げてください。」
どうしていいかわからず必死に次の言葉を探していると木下先生はようやく体を起こした。真っ直ぐ私を見つめるその目は真剣だった。ああ、ここには優しい人達がたくさんいる。
「木下先生が私を受け入れてくださってること、充分伝わっています。だからどうか、過去のことを気に病まないでください。」
本心を告げると彼は目尻を下げた。いつも強面の先生の、柔らかい表情。何故だか安心感を与えてくれる。
「そう言ってくれますか。本当に貴方は良い娘さんだ。」
深く頷いた彼が不意に父と重なった。どうしてだろう。顔も体格も、特段似ているというわけではないのに。込み上げてくる懐かしさと寂しさを、夏の暑さで溶かして誤魔化す。
「ふふ、ありがとうございます。」
「みょうじさんは良い人過ぎて心配になるくらいですよ!」
「え、そんなに?」
横から入ってきた竹谷くんに「気をつけてくださいね!」と注意を受ける。何をどう気をつければいいのかは見当がつかなかったが彼が存外真面目な顔をしていたので大人しく首を縦に振った。
「それでは気分もすっきりしたし私は戻ります。竹谷はまだここにいるのか?」
「はい。しばらくこいつらを観察しときます。」
「私ももうちょっといようかな。夕御飯まではまだ時間あるし。」
「わかりました。二人とも水分補給忘れないように。」
揃ってありがとうございますと返事をする。木下先生はまるで我が子を見るかのように目を細めてその場を立ち去った。のしのしと歩いて行く先生を見送りながら、残された私たちは先程の彼を振り返る。
「俺、先生のあんなところ初めて見ました。」
「あんなところ?」
「みょうじさんくらいの女性に頭下げてるところ。」
やはり竹谷くんにとっても衝撃的だったらしい。私は彼と顔を見合わせて深く頷いた。
「私もびっくりしたよ。何て言うかすごく……格好いい人だよね。木下先生って。」
「格好いい、ですか?」
竹谷くんはきょとんと目を丸めた。
「自分の非を認めた上で相手がどんな立場の人間であってもああして謝れるってすごいことだよ。特にこの時代で。今ちょっと感動しちゃってるもん。」
武士が台頭してくる時代、基本的に立場は男性の方が優位だったはずだ。しかし彼は自分より一回り以上も年下の娘にしっかりと頭を下げた。中々できることじゃない。
竹谷くんはなるほどと納得してくれた。子犬の様な素直さだ。多くの人に彼のような柔軟な心があればいまだ根強く残る日本の男尊女卑の歴史も変わっていただろうか。
「俺もなれますかね、先生みたいに。」
毒虫を相手にしながら彼がぼんやりと空を見上げて呟く。暑さを感じさせる入道雲がもくもくと聳え立っていた。
「なれるよ。私が保証する。」
そう遠くない未来に想いを馳せる。思い描いた頭の中で幾分か大人びた青年が歯を見せて笑った。その笑顔は今よりさらに眩しかった。
ここに来た時より少しだけ陽が傾く。夏休み序盤の、穏やかな昼下がりだった。