一章
設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
本格的に期末試験のシーズンに入り、学園はばたばたと慌ただしい。上級生達は実習の合間も鍛錬に勤しんでいるし下級生達は自分の課題に頭を抱えている。先生方も試験の準備や採点に追われて休む暇がないようだった。
しかしそんな中、今日は午後から忍術学園に籍を置く全ての人間が校庭に集められた。招集をかけたのは他でもない学園長先生だ。
まさか私にも声がかかるとは。これから何が起こるのか予測がつかないまま教員側の立ち位置に並ぶ。私を含め教師陣は学園長先生の両隣りに控えており、向かいにはずらりと忍たまのみんなが整列していた。まるで現代の朝礼のようだ。
「えー、コホン。」
学園長先生は一つ咳ばらいをし、何か含みのある表情を浮かべて重々しく口を開いた。
「皆、忙しい中呼び出してしまってすまぬな。夏休みを目前に今日は大事な評価を済ませてしまおうと思うたのじゃ。」
その言葉にぽかんとしている子もいればぴんときている子もいるようで、忍たまのみんなの反応はまちまちだった。期末試験の課題についてだろうかと頭を捻っていると突然名前を呼ばれる。
「みょうじなまえくん。こちらに来なさい。」
「え?」
驚いて顔を上げると学園長先生が手招きしている。あれ、聞き間違いだろうか。思わず後ろを振り返ったが土井先生や山田先生もうんうんと頷いていてどうやら私で間違いないらしい。
全校生徒の視線を受けながら恐る恐る学園長先生の隣に立つ。すると彼は優しい目をさらにやんわりと細めて話を続けた。
「皆も知っての通り、みょうじくんは儂らの前に突然現れた。異世界から来たという彼女の不可思議な言動に、初めは快く思わぬ者もおったじゃろう。」
彼は唐突に私との出会いを語り始める。この話題が一体どこに終着するのかわからず私は内心戸惑っていた。
その言葉から、ほんの二か月前ここに来たばかりの頃を思い返して目を伏せる。すると学園長先生は不安げな私を見兼ねて肩をぽんと叩いてくれた。
「じゃが、この子は誰の敵意にも負けんかった。忍たま諸君と真剣にぶつかり、涙し、本来の姿で笑えるまでに成長した。全く時代も文化も異なるこの場所で、それは並大抵の努力では為し得んことじゃ。」
予想外に畏れ多い称賛を受ける。その温かさに涙が出そうになり、私は自分の唇をぐっと嚙んだ。
「して、お主はここのところ忍たま諸君から誘いを受けておったな?」
「はい。」
「一年い組は勉強会、一年ろ組は日陰ぼっこ、一年は組はかくれんぼ、二年生とは海へ、三年生とは薬草採りへ。四年生や五年生との夜の会合も六年生との買い物も。どれも実りあるものにはなったかの?」
彼が全部把握していたことに目を丸くする。交流会があるとは告げられていたがまさか内容の詳細まで知っていたとは。もしかして私と忍たまのみんなとの関係をずっと見守ってくれていたのだろうか。
学園長先生の視線に促され、私は深呼吸をしてからその問いかけに答えた。
「はい。みんなと過ごした全ての時間が宝物になりました。」
にっこり笑って見せると彼は満足げに頷いた。目の前に並んでいる忍たまのみんなも嬉しそうに顔を綻ばせてくれている。何だか胸がいっぱいだった。
「それでは、各学年の中で一番を決めるならどの学年かな?」
「一番、ですか?」
「そうじゃ。どの学年と過ごすのが一番楽しかったかの。儂に教えてくれ。」
先程大事な評価と言っていたのはこのことだったのだろうか。思わず忍たまのみんなを見ると彼らは興味深そうにこちらを窺っていた。この場の全員が固唾を呑んで私の答えを待っている。けれど。
「……選べません。」
「ほう?」
私が出した結論に学園長先生は目を光らせた。どきりとしたがもう胸の内は決まっている。不満の声が聞こえてこようと誰に否定されようと、この考えを讓るつもりはなかった。
「本当に、全部が楽しかった。みんなと一緒に遊んで、笑って。ここにいてもいいんだって思わせてくれて。その思い出に優劣をつけるなんて、私にはできません。」
きっぱりと言い切って私は学園長先生を見据えた。今の青空と同じ、晴れ渡るような真っ直ぐな気持ちで。
「それがお主の答えかの?」
「はい!」
自分の決断に迷いも後悔もない。ここにいる人達がくれた優しさは等しく尊いもので、比べることなんてできなかった。ただただ、みんなのことが大好きだという気持ちが溢れてくる。
私の元気な返事が響いた途端、その場に拍手が湧き起こった。
「え。」
驚いて周りを見ると忍たまのみんな、先生方、小松田くん、食堂のおばちゃん、誰もが大きく手を叩いてくれていた。しばらく何が起こったのか呑み込めずに呆然としていたが、改めて学園が私を迎え入れてくれているのだと理解する。瞬間心にじんわり温かさが滲んで熱いものが込み上げた。
「みょうじなまえ、見事課題合格!」
学園長先生が天晴と空を仰いだ。この学園に来て最初にした彼との約束。それをたった今、ようやく達成することができた。
自らの行動によって学園全体の信頼を勝ち取る。それは決して容易なものではなかったけれど。
潤む視界の中潮江くんと目が合う。彼もまた温かな笑顔を向けてくれていた。
「ついでに忍たま諸君も課題合格!皆自らを省み彼女と本気で笑い合えるようになった。これは学園にとってこの上ない成果じゃぞ。」
ぱちんとウィンクをした学園長先生に脱帽する他なかった。やはり彼は偉大なお人だ。課題と称しながら私達の信頼関係を一から作り上げてくれた。おかげで私は忍たまのみんなの中に居場所を置くことができたのだ。感謝してもしきれない。
未だ鳴り止まない拍手に涙を拭って頭を下げる。すると歓迎の雰囲気が漂う中、不意にあどけない声が校庭に響いた。
「あのー、課題合格の景品とかってないんすかね?」
顔を上げると目が銭になっているきり丸くん。どうやら彼が気になっているのは学園長先生が優勝者に用意してくれていたというご褒美についてらしい。いつでもぶれないその姿勢、見習いたい。
「そうじゃのう、これは優勝賞品にと思っておったが皆頑張ったからの。特別に全員に配布することにする!」
学園長先生からの景気の良い返事にきらりときり丸くんの顔が輝く。しかし賞品の正体が何だかわかった途端その表情はみるみる落胆していった。
「儂の新作ブロマイドじゃ!忍たまは勿論先生方の分もあるぞ!」
先程までとは打って変わってどんよりとした空気が流れる。一人元気にブロマイドを配り回っている学園長先生に、私は思わず吹き出した。
「ふふっ。」
「なまえさん笑い事じゃないっすよぉ。」
「っごめ、あはは……!」
項垂れるきり丸くんを見てさらに笑いが込み上げる。さっきまで泣いていた筈なのに感情というものはどうにも忙しい。
泣き笑いしながらみんなをじっと見つめ、ここに来て良かったと確かに思った。あんなに帰りたいと願っていた場所は、いつしか手放したくない大切な存在へと変わっていった。
私を受け入れてくれたみんながいたから、今こうして笑ってここに立てている。
ありがとう。私の小さな呟きが風と共に空に上がっていく。
どうかもう少しだけこの日々が続きますよう。あの頃は考えられなかった祈りを胸の中で唱え、しばらく幸福感に浸っていた。