一章
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風呂から上がり、寝着に着替えて四年い組の部屋を訪ねた。夜遅くなるだろうからその準備をしてこいとのお達しで、私と守一郎は小脇に布団を抱えている。
「あ、二人ともお疲れ~。」
中には既に三人揃っていて、い組の部屋だというのに出迎えてくれたのはタカ丸さんだった。いそいそと自分の布団を広げて丁寧に配置している。
「これ私達の分も入りますか?」
「床全部埋まるくらい敷き詰めちゃお!何だかこうやってみんなでお泊まりするの楽しいねえ。」
滝夜叉丸の鏡やブロマイドなどいらないものを机の上に移動させて二人分の布団を追加する。真っ白に覆われていつもと雰囲気の変わった部屋の様子に、確かに少し気分が上がった。
今日はこれからなまえさんを迎えて夜更けまで話すらしい。そういうことになったからと昼食中突然喜八郎に告げられた。まるで意味が分からなかったが私達四年生はまだ彼女を誘えてなかったし、ちょうど良い機会かと考えるのをやめた。
「失礼します。」
「どうぞ~。」
廊下から凛とした声が聞こえてタカ丸さんがそれに了承を返す。すると先程よりいくらか気安い雰囲気を纏った彼女が寝着姿で部屋に入ってきた。
「やっぱりなまえちゃんはお化粧なくても可愛いねえ。こっちこっち。ここ座って~。」
さらりと褒め言葉を添えたタカ丸さんが彼女を布団の上へと案内する。指定したのは喜八郎と私の間だった。彼女が座るのと同時に喜八郎がその腰に抱き着く。この二人の距離の近さには最近何だか慣れてしまった。
食堂での彼女は、思わず言葉を失うほど美しかった。いつもより艶やかな化粧、綺麗にまとめられた髪。緊張で足が動かなくなるくらいに動揺してしまった。その時初めて、私は女性に目を奪われた。
「甘いものでも食べながらお話ししましょう。」
滝夜叉丸が金平糖の乗った器を六人の中央に置く。彼女は「嬉しい」と目を細めてそれを一つ手に取った。
「話すって言っても何話すの?」
「そりゃやっぱりなまえさんについてじゃないか?」
喜八郎の疑問に守一郎が間髪入れず親指を立てる。良い笑顔なのだが一方で彼女が眉を下げていた。何か面白い話をしなければならないのではと不安に感じているのだろう。これは守一郎の話題の振り方がまずい。
「今日は六年生と町へ出かけてたんですよね。」
それとなく助け舟を出すと彼女はほっとしたように胸を撫で下ろした。
「うん、そうなの。美味しいうどん食べたり久しぶりにお買い物したりしてすごく楽しかったよ。」
にこにこと今日のことを教えてくれる彼女は可愛らしい。なまえさんは時折ものすごく大人びた表情を見せるが、基本的には柔らかい空気を持つ親しみやすい人だ。それがとても好ましかった。
「何買ったの?」
腰に巻きついて見上げている喜八郎の頭を彼女は優しく撫でた。タカ丸さんが敬語抜きで喋っているのには慣れたのに、どうにも喜八郎と守一郎のずけずけとした物言いには違和感を覚える。もしかしたら羨ましいだけなのかもしれないが。
「ええと手拭いと新しい紅と……あと、綺麗な櫛。」
彼女は最後だけ何故か言い淀んだ。今日の出来事を思い出しているであろう彼女の瞳は、ほんの少しだけ寂しげに見えた。
「私のも見てください!確かこの辺に……あった!」
頼まれてもないのに滝夜叉丸が自分の櫛を取り出す。彼女はそれを興味深そうに見つめそろりと触った。
「良い櫛だね。滝夜叉丸くんの髪綺麗だもんね。」
「そんな!光栄です!」
褒められて調子に乗った滝夜叉丸が自分の髪を広げる。なまえさんが気分を害されるのではと焦ったが彼女は目を細めて終始楽しそうにしていた。
「なまえさん、俺の髪も見てくれ!」
「え、ちょっと守一郎。それじゃあ僕の頭も撫でてくださ~い。」
「こうなったら僕も便乗しちゃおっかな~?」
「ふふ。」
彼女が滝夜叉丸の髪を褒めたのが羨ましかったのか守一郎が勢いよく手を挙げる。それに続いて喜八郎とタカ丸さんも頭を彼女に預けている始末だ。みんながこうして気兼ねなく戯れている中、私はどうしても同じようにできなかった。
賑やかな空気になってきたところで不意にタカ丸さんが口を開く。
「なまえちゃんはもう潮江くんとは普通に話せてるの?」
「ちょっとタカ丸さん。」
直球過ぎる質問を諫めようとすれば彼女は「いいの」と首を振った。
「うん、潮江くんとはすっかり仲良しだよ。今日は色々意外なこと聞いちゃった。」
「意外なこと?」
「おにぎりに鉄粉塗すとか10キロのそろばん持ってるとか池で寝るとか。」
「それ通常の潮江先輩ですね。」
碌なことを聞かされていないなと苦笑しながら滝夜叉丸が相槌を打つ。恐らく六年生の方々は潮江先輩の反応を見て面白がっておられたのだろう。真っ赤になりながらも否定できない先輩の様子が目に浮かぶようだ。
「なまえさんにとっては意外だったんだ。」
「うん、怖い顔した潮江くんのことしか知らなかったから。最近は可愛い一面もわかって、嬉しい。」
喜八郎に返事をした彼女がふわりと笑った。他の面々は「可愛い?」と絶句していたが私の胸の内はそれどころではなかった。
彼女が潮江先輩のことを思って見せたその柔らかい表情に、何故だかどうしようもなく泣きそうになる。唐突に自分を襲った感情は苛立ちにも似ており、私はひどく戸惑った。
まさか、私が喜八郎達と同じように彼女に近づけなかったのは。いつもと違う姿に身動きが取れなくなったのは。その声で名前を呼ばれることにこんなにも胸が高鳴るのは。次から次へと思い当たる節が浮かんでくる。
もしかして私は本気で彼女のことを。
初めて芽生えた感情に愕然とする。どくりどくりと鼓動が脈打ち叫び出してしまいたかった。途端に自分が寝着姿なのも恥ずかしくなってくる。ああ、私はなんということに気づいてしまったのだ。
喜八郎が彼女を慕っているのは、恐らく愛だの恋だのといった類じゃないだろう。タカ丸さんはどうだろうか。潮江先輩は。立花先輩は。先程まで気にならなかったことがぐるぐると頭を駆け巡る。
「三木ヱ門くん?大丈夫?」
彼女の声がしてはっと我に返る。心配そうな顔がこちらを覗いていた。まずい。今までどうやって話していただろうか。
「だ、大丈夫です。お気になさらず。」
「顔赤いよ?」
「……のぼせただけです。」
「風呂上がって大分経ってるぞ!?」
苦しい言い訳を守一郎が一刀両断する。私もこれくらい能天気になれたら。内心苦笑しながら火照りが収まりそうにない顔を押さえて立ち上がった。
「厠に行ってきます。すぐ戻りますので。」
「行ってらっしゃ~い。」
みんな不思議そうに私を見ていたがタカ丸さんだけは引き止めることなく送り出してくれた。あの人はどこか鋭いところがある。もしかしたらばれてしまっているのかもしれない。
ふと空を見上げるといつも以上に星が瞬いている。キラキラと輝くそれはとても眩しく、今の自分の気持ちと同じように直視できなかった。
これが恋というものなのか。自覚してしまえばどんどん欲深くなる。彼女にもっと、近づいてみたい。無意識に自分勝手な考えが浮かんだ。
勢い良く頭を振って邪念を振り払う。駄目だ、そんな畏れ多いこと。きっと今は自身の熱さにやられてしまっている。一晩寝て、それから身の振り方を見極めよう。
冷静さを取り戻すべく、私は厠へと急いだ。