一章
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そろそろ陽も落ちるという頃、風呂にでも入ろうかと廊下を歩いていると門から歩いてくる人影が見えた。薄暗くてわかりづらかったがその姿を認識した途端ぎょっとする。
「なまえさん……!?」
何と袴のまま全身ずぶ濡れの彼女。今日は夕立もなかったはずだが。慌てて駆け寄り何があったか事情を聴いてみる。
「あ、立花くん。今からお風呂?」
「ええ、そうですが……どうなさったんです?」
自分の恰好を気にしてない様子でいつものように笑いかけてくれる。大変嬉しいことではあるが今は濡れている原因を探ることの方が重要だ。
「さっきまで二年生の子達と海にいて……暑かったから入っちゃった。」
「説明になっておりませんが。」
何故服のまま海へ。凡そ理性的とは呼べない行為が普段の彼女からかけ離れすぎている。勿論事情があってのことなのだろうが少々無茶をし過ぎではないか。
「ふふ、二年生のみんなと仲良くなったの。これはその勲章みたいなものってことで、見逃してくれる?」
小首を傾げる彼女は自分の可愛さを自覚しているのではないかと錯覚させるほど愛らしい。喉元まで出かかっていた小言がするすると萎んでいってしまった。どうやら私に怒られると見越しての無茶だったようだが、対策としての言い訳も考えていたわけだ。さすがと言おうか何と言おうか。はあ、と一つため息を吐き眉間を押さえる。
「あまり無理をなさらないように。」
「承知しました。」
「なまえさんもこれから風呂ですか?」
「うん、今日は食堂お休みにしてもらってるからゆっくり入ってくるよ。」
「是非そうしてください。」
それじゃあ、と自室へ戻っていくその背中を見送る。海で一日中遊んできたというのに彼女の足取りは軽かった。先程の表情を思い返し、随分と柔らかく笑うようになったものだと感慨に耽ってしまう。今ならば、学園に来たばかりの頃の笑顔が作り物であったと判断がつく。
私がもっと早く気づけていたならば。文次郎を上手く止められていたならば。時折どうしようもない後悔が襲ってくる。もしもの話など私に似つかわしくないことはわかっているが、あの夜我々が彼女を傷つけてしまったという事実に言い知れぬ悔しさが込み上げてくるのだ。
どうか朗らかに、気苦労なく、いつまでも健やかに過ごしていてほしい。きっと私には想像もつかぬほどの不安と重圧を、未だ彼女は抱えているのだろうが。
せめて私といる時だけは、何も考えずに笑っていてくれたら。彼女の幸せを願う一方で薄暗い独占欲が立ち込める。自分勝手な祈りを誰にも悟られることの無いよう、私は静かにその場を立ち去った。