一章
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せっせと砂の形を整える彼女を、俺と左近はぼんやりと傍らで見つめていた。城の屋根を指で細かく形成していく様子に器用だななんて思いながら。
「みょうじさん、暑くないですか。」
「ん、大丈夫。手拭いあるから。」
彼女は持ってきていた手拭いを日よけとして頭にかけていた。だけどこちらとしてはその陶器のような白い肌が真っ赤になってしまうのではないかと不安だ。後で中在家先輩にお叱りを受けるかもしれない。
左近はみょうじさんと仲が良い。四郎兵衛や石人のような距離間とは異なるが、少なくとも俺にとってはそう見えた。多分保健委員で関わることが多かったからだろう。いや、それはあまり関係ないのかもしれない。彼女が頻繁に図書室に出入りするようになった今でも、俺は近づくことができていないのだから。
「ここに櫓建てようと思うの。」
「本格的ですね。」
遂に左近は彼女と一緒に砂を盛り始めた。俺はただ一人砂の上に座り込んで二人の様子を眺めるしかない。せっかくこんな機会を設けたというのに一向に勇気は出ないままだ。
みょうじなまえが自分にとって好ましい人間であるということにはとっくに気づいていた。潮江先輩との一件まで決して弱音を吐かず、生きる為に自分の気持ちを隠していた思慮深さ。図書室で書物と向き合うひたむきな探求心。博識であるのに一切知識をひけらかすことのない聡明さ。そして誰に対しても穏やかで優しく、愛情深い人柄。どれをとっても尊敬せざるを得ない。いつの間にか彼女は中在家先輩や不破先輩と同じ、憧れの対象として俺の中で存在を確立していた。
だからこそ後悔は日に日に大きくなっていく。彼女が初めて食堂に立ったあの日、俺と三郎次ははっきりとその料理を拒絶した。俺達の反応を見た時の彼女の青白い顔がずっと頭から離れない。
まだ彼女の正体が判明しておらず仕方なかったと言えばそれまでだが傷つけてしまったことは変えがたい事実だった。それでも謝れずにいるのは彼女に嫌われているかもしれないという恐怖に打ち勝つことができないからだろう。忍者の卵が聞いて呆れる。
「ねえ、能勢くん。」
突然名前を呼ばれてびくりと肩が揺れた。顔を上げると彼女が嬉しそうに微笑んでいる。
「見て、できたよ。これから微調整するけど。」
俺が思い悩んでいる間に結構時間が経っていたらしい。彼女の手元にはほとんど完成された砂の城があった。左近も満足気にそれを眺めている。
「……これなら三郎次の奴も驚きそうですね。」
俺が呟くと彼女は「そうだといいね」とその表情に影を落とした。こんな顔をさせたくて海に連れ出したのではないのに。罪悪感で押し潰されそうになる。
「……みょうじさん、申し訳ありませんでした。」
彼女の寂し気な笑顔に耐え切れなくなり、気づけば俺は謝罪を口にしていた。会話に全く脈絡がなかったからか、彼女は一瞬きょとんと目を丸くした。それでもすぐに何のことだか合点がいったようで首を横に振る。
「能勢くんが謝ることは一つもないよ。」
そう答えた彼女の目はとても強かった。優しく、温かく笑いかけてくれながらも責任は全て自分にあるのだと譲らないような意思を感じる。
「でも……。」
「怪しい人間を疑うのは忍者の本質でしょう。能勢くんは当たり前のことをしただけだよ。」
「……っそれでも、あなたを傷つけてしまったことに変わりはない。」
「久作……。」
あまりに俺にとって都合のいいことを言ってくれるものだから思わず泣きそうになる。自分に向けられた憎しみも全て、私のせいだと背負い込もうとしているのかこの人は。左近が俺達二人を心配そうに見つめていた。
「僕も、ごめんなさい。」
不意に別の声がして、振り返ると三郎次が立っていた。座っている彼女に向かって深々と頭を下げている。その後ろには石人と四郎兵衛が左近と同じような顔で俺達に視線を向けていた。
「あの時、食堂でみょうじさんにひどいこと言いました。直接ではなかったけど、でも、傷つけたってちゃんとわかってたのに今日まで謝れなかった。だから、それもごめんなさい。」
俺も三郎次の隣に並び立って一緒に頭を下げる。彼女は慌てた様子で俺達に駆け寄ってきてくれた。
「本当に三郎次くんたちは悪くないんだよ。むしろこっちこそ気遣わせちゃってごめんね。気まずかっただろうにこうやって海に連れてきてくれて、ありがとう。」
悪いところなんて微塵もないはずの彼女は、何故だか俺達に向かって頭を垂れた。俺達を気遣わしげに覗き込む彼女の瞳に、自分のしたことが許されたような気持ちにさえなってしまう。
「あの、私みんなと仲良くなりたいの。だから顔上げて?」
優しく諭され俺達はゆっくりと彼女を見た。本当は泣きそうだということもありできれば顔を上げたくはなかったのだが彼女の誠実さを無下にはしたくない。俺達は揃って隠すことなく情けない面を晒した。
「……せっかくの海なのにみんなにこんな顔させちゃ駄目だね。」
彼女の言う通り、二年生全員神妙な面持ちになっている。この空気を作り出したのは間違いなく俺と三郎次なのだから俺達がなんとかしなくてはならない。それなのに、やっぱり彼女はこの場にいる誰よりも大人だった。
「泳ごっか!」
ぐいと体が引っ張られる。俺と三郎次の手を瞬時に取った彼女は海に向かって走り出した。
「ちょっとみょうじさん!?」
左近の呼び止める声も気にせず彼女は袴のままざぶざぶと海に入っていく。そのうち砂に足を取られて三人揃ってどぼんと水中へ倒れ込んだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
すぐに三郎次と一緒に彼女の体を起こす。するとみょうじさんは弾けたように笑って長い髪をかき上げた。
「あはは!濡れちゃった!」
「着替えはないんですよね?」
「多分帰ってるうちに乾くよ。」
「そういう問題ではなく!」
俺と三郎次が交互に彼女を心配するが本人はいたってあっけらかんとしている。普段理性的な彼女の突飛な行動に俺達は正直ついていけておらず、目の前の光景に困惑するばかりだ。きらきらと水面が反射しているみょうじさんは、とても綺麗だとは思うけれど。
「ふっ、はは……!」
一息ついて冷静になったのか、三郎次が噴き出した。確かに今の状況、意味が分からなくて笑えてくる。
「おま、笑うなよ……!」
「いや、だってこれ……っはは!」
後から追いかけてきた四郎兵衛達が俺達二人の爆笑を見てぽかんとしている。だけど最終的にはみんな肩を震わせ始めた。
「みょうじさんも……無茶、するんですね……?ふふっ。」
「びっくり、したんだな……!」
「急に海入るから……っ!」
六人で海の中腹を抱える。さっきまであんなに重苦しい雰囲気だったというのに、いつの間にやら心の壁や葛藤は取り払われていた。そんな俺達を見て彼女は微笑ましそうに目を細める。ああ、どうしたってこの人には敵わない。
「今日はありがとうございました。」
「お世話になりました!」
空が段々と夕焼けになってきて俺たちは学園へと帰ることになった。みょうじさんが兵庫水軍の皆さんにお礼を言い、俺達もそれに続いて頭を下げる。
「いいってことよ!みょうじさんもまた遊びに来てくださいね!」
「その時は是非二人でお話ししましょう。」
「やめろ義丸!」
第三共栄丸さんの後ろから顔を出した義丸さんがみょうじさんの手を取りそこに接吻をしようとする。けれどすかさず鬼蜘蛛丸さんが割って入って彼に拳骨を飛ばした。頭を押さえて蹲る義丸さんを見て、彼女は困ったように眉を下げた。
浜辺を後にし、昼間よりもいくらか涼しくなった道を六人並んでぞろぞろと歩く。来るときはあんなに不安ばかりだったのに、今の気分はとても晴れやかだった。これも全部、彼女のおかげだ。
「みんな、今日はありがとう。」
俺達が言いたかったことを先回りして、みょうじさんは四郎兵衛と石人の頭を撫でた。ほんの少しだけ羨ましい、なんて口にすることはできないけれど。以前より確実に縮まった彼女との距離に心躍らずにはいられなかった。鼻歌が漏れそうになるのを必死で我慢する。
みょうじさんの真っ白な肌に夕陽が差していて、何故だか目を奪われる。橙に染まった彼女の横顔が美しくて、学園に帰る間中ずっと見惚れていた。