一章
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じりじりと照りつける太陽の中、ようやく潮の匂いが漂ってきた。横の二人は見えてきた冴えわたる青にはしゃいでいる。
「久しぶりの海なんだな!」
「僕も、すっごく楽しみ~。」
日差しが水面に反射して光っている。綺麗な光景に胸躍ったが、それとは反対にい組の三人、特に池田くんの顔は暗い。
やっぱり無理強いだったのだろうか。道中も言葉数が少なかった彼らを見て不安は募るばかりだった。そんな私を煽るように、気温はぐんぐん上昇していく。噎せ返るような暑さに、額に浮かぶ汗を拭った。
「……みょうじさん、大丈夫ですか。」
「うん、平気だよ。もうちょっとだし頑張れる。」
川西くんがこちらを覗きこんでくる。その目には心配の色が見え、彼が私の体を気遣ってくれていることが窺えた。
坂道を下ると、足元には砂浜が広がる。歩きにくいからと言ってみんな履物を脱いだが、私は素足になることが叶わなかった。灼熱の太陽に晒された砂は目玉焼きが焼けそうなほど熱くなっている。鍛えて足の皮が厚くなっているみんなはともかく私には到底我慢できないだろう。大人しく草履のまま歩みを進める。
「あちらがいつもお世話になっている兵庫水軍の皆さんです。」
能勢くんが指さしたのは海に浮かんでいる船。今は錨を下ろしてこの地に留まっているらしい。太陽を背に船上で忙しなく動く人の姿が見え、その眩しさに目を細めた。
「おう、来たか!」
こちらに向かってくる人影が一つ。快活に出迎えてくれたのは第三共栄丸さん。兵庫水軍の総大将ということで、わざわざ挨拶に来てくれた。こちらも頭を下げて自己紹介をする。
「初めまして。みょうじなまえと申します。本日は忍たまの子共々お世話になります。」
「なあに私達はただ仕事しとるだけです。好きに遊んでいってください!」
「ありがとうございます。」
豪快な彼の笑顔に私もつられてしまう。お互い自己紹介も終わり海で泳ぐ了承も得たところで早速波打ち際に行ってみることにした。
ようやく素足になって水に足をつける。羽丹羽くんとシロちゃんが同じように海へと入ってきた。ひんやりしていて気持ちいい。道中の熱さを癒してくれるような心地よさだ。
「なまえさんは泳がないんですか?」
「うん、さすがに脱げないから。みんなで楽しんできてね。」
シロちゃんのつぶらな瞳が気遣わし気に私を見上げる。せっかく海まで来たので泳ぎたい気持ちがないわけではないが、如何せん水着がない。この時代に女性が海で泳ぐとしたら布一枚か裸といったところだろう。だけど私も年頃の女性の端くれ。兵庫水軍の皆さんもいる中それは避けたい。
「じゃあ僕達と一緒にお城作りましょう!」
「お城?」
「はい!波打ち際の砂なら湿ってるし崩れにくいと思います!」
二人の提案はとても嬉しいものだったが些か心配になる。本当は海で遊びたいんじゃないだろうか。私を一人にさせまいとする二人の時間を奪ってしまっているようで心苦しかった。
「二人は泳がなくていいの?」
「今日はなまえさんと仲良くなる日なんだな。」
「そういうことです。」
羽丹羽くんがにっこりと笑った。どうやら二人は折れてくれないようなのでお言葉に甘えることにする。岩場の方に目を移すとい組の三人はすでに上の服を脱いでいた。
川西くんが一人でこちらに近づいて来る。細いと思っていたがやっぱり忍たま。その体つきはしっかりしていてどこか感心してしまう。
「私たち舳丸さんと重さんに泳ぎを教えてもらってきます。」
「兵庫水軍の方?」
「はい。三郎次が約束してたらしくて。すぐ戻るとは思いますが……。」
「そっか、楽しんできてね。」
川西くんの表情が暗い。彼は能勢くんと池田くんのいる方向を見ながら眉を下げた。
「……すみません。せっかく海まで来て頂いたのにばらばらで。」
「気にしないで。みんなのこと見てるだけで私は楽しいから。」
「そう言って頂けるとありがたいですが……。」
彼の浮かない顔は消えず、ため息を吐いて池田くんたちの方向へ踵を返した。別行動であることをわざわざ伝えに来てくれるなんて律儀だ。
彼は二年い組の中で唯一初めから好意的でいてくれていた。いや保健委員の立場で仕方なくだったのかもしれないが、それでも今は気兼ねなく会話できる忍たまの一人だ。だからこそ、私と級友の間で板挟みになってしまってるのだろう。余計な気を遣わせてしまっていることに胸が重くなった。
三人が泳ぎに行ったので私達は先程話していた通り波打ち際でお城を作ることにした。砂のお城といえば西洋のものを思い浮かべるがここでは当然日本の城だ。シロちゃんと羽丹羽くんの様子を見ていると、まずは大きな山を形成していくようだった。
「ここから段々にしていくんだな。」
「一番上に櫓を立てよう。」
山城を作るんだろうか。確か石垣のある城は中世以降のものだったと思うから、今回は山の地形を生かしたものを作るんだろう。私も一緒になって砂を集め、形を整えていく。
「みょうじさんお上手ですね。」
「ふふ、そうかな。」
「器用なんだなあ。完成が楽しみです。」
嬉しそうに笑う二人が可愛い。今は手が汚れてる為頭を撫でられないのが残念だ。協力してせっせと山を作っていると、不意に上から声が降ってきた。
「精が出ますね、お嬢さん。」
見上げてみると額に傷のあるフワフワとした髪の人。目元のほくろが何とも色っぽいどこか軟派な雰囲気の男性が立っていた。
「義丸さん!」
シロちゃんが彼の顔を見るなりそう呼んだので恐らく水軍の方なのだろうと結論付ける。彼が頭を下げてくれ私もつられて頭を垂れる。
「みょうじなまえです。今日はお世話になります。」
「こちらこそ。綺麗な女性と出会えて今日は運が良い。」
言動も充分軟派だ。サラッと歯の浮くような台詞を言われて面食らってしまう。戸惑っていると隣のシロちゃんが彼について説明してくれた。
「義丸さんは鉤役なんです。腕が良くないと務まらない役職の、すごい方なんですよ!」
「よしてくれよ、照れるだろ。」
否定はしているが満更でもなさそうだ。鉤役って確か鉤を相手の船に引っ掛けて一番初めに交戦に乗り込む役割のはず。最重要ともいえる危険な仕事を任されている人なのだ。腕前は相当のものだろう。
「それは……見てみたいです。」
素直にそう零すと義丸さんはこちらに近づいてきて私の片手を取った。急に距離を縮められてウィンクをされる。
「でしたら今からでも船に。二人きりでご案内いたしますよ。」
「え、えっと、あの。」
戸惑いながらどうしたものかと下で赤くなっている二人に視線を遣ると、突然義丸さんの背後から拳骨が落ちてきた。
「ってえ!何すんだよ!」
「仕事しろ仕事。それにみょうじさんも困ってらっしゃるだろうが。申し訳ありません。」
深々と頭を下げてくれたのは大柄な人。どうやら義丸さんと仲が良いようで先程までの彼の余裕な表情が崩れている。
「私は兵庫水軍の山立を務める鬼蜘蛛丸です。義丸が失礼を致しました。」
「いえそんな。私は平気ですから頭を上げてください。」
慌てて伝えると彼はゆっくり体を元に戻した。緑色の髪が風で揺れていて美しい。
「そういえば鬼蜘蛛丸さん、陸酔いは大丈夫なんですか?」
羽丹羽くんが不思議そうに尋ねると彼の顔がみるみる青くなっていく。
「うっ……そういやそうだった……。」
口元を抑えた鬼蜘蛛丸さんは急いで海の方へと走っていった。私は何が起こっているのかわからずそれをただ茫然と見つめることしかできない。
「陸酔い?」
「あいつは筋金入りの海賊で、海の上なら余裕綽々なんですが陸に上がると吐き気を催してしまうんです。あんな風に。」
義丸さんが指さした方向では鬼蜘蛛丸さんが今まさに吐こうとしていた。けれど間一髪のところで海に飛び込み事なきを得る。陸にいる時の方が具合が悪いだなんて。よほど海での生活が長いんだろう。
「おーい、義兄ぃ!」
鬼蜘蛛丸さんの顔色が戻ってきたところで遠くから義丸さんを呼ぶ声がした。見るとこちらに向かって手を振りながら走ってくる人影がある。
「ん、網問か。どうした?」
「はい!舳丸の兄貴と重がタコ獲ったらしいんでみんなで食べましょう!忍たまのみんなと……ええとそちらのお姉さんも一緒に!」
「え、私達もよろしいんですか?」
「もちろんです!」
義丸さんが網問と呼んでいた彼は太陽のような眩しさでにっこりと笑った。まだ少しあどけなさの残る顔立ち。立花くん達と同じくらいの年齢だろうか。私もつられて微笑むと網問さんはほんのりと頬を赤く染めた。
「そ、それじゃああっちで準備してるんで先行ってますね!」
網問さんがそそくさと走っていった方向にはすでに煙が上がっていた。潮に交ざって食欲のそそられる香りが漂ってくる。
「僕、お腹すいたぁ。」
「僕も!」
太陽は頭の上に位置していてとっくにお昼御飯の時間。シロちゃんと羽丹羽くんは小さくお腹を鳴らせて唸った。
「ふふ、私も。一緒に行こうか。」
「では私もご一緒しましょう。お手を。」
「え、っと。」
エスコートをする紳士のように差し出された手。義丸さんは先程と同じように色男の笑顔を浮かべて私を見つめている。このままこの手を取って良いものかどうか悩んでいると結論を出すより先に小さな二つの手が私を捕らえた。
「今日みょうじさんは僕達二年生が独占させて頂いてるので。」
「案内は僕達がやるんだなあ。」
右にはシロちゃん、左には羽丹羽くん。私を引き連れ颯爽と歩きだした彼らに義丸さんは面食らっていたがすぐにやれやれと肩を竦めて隣に並んだ。
「それなら仕方ない。俺は横で綺麗なお嬢さんを見るだけにしておくよ。」
これまでされたことのない女性としての扱いに少々困惑してしまう。これだけ好意をストレートに伝えられるというのもある種才能だ。しかもそんなに悪い気はしない。きっとこの人はすごくモテるんだろう。
煙が上がっている場所に到着するとすでに川西くん達の姿があった。そういえば彼らは舳丸さんと重さんに泳ぎを教わると言っていた。三人も一緒にタコを獲ってきてくれたのかもしれない。
「みょうじさん、こちらにどうぞ。石人たちも。」
「ありがとう。」
川西くんが横に移動してスペースを空けてくれる。私達はごつごつした岩場の中で比較的緩やかなところに並んで腰かけた。
今みんなで集まっている場所はありがたいことに木陰になっている。風と日光を避けつつ綺麗な海を眺めながら美味しいものを食べる。この上ない贅沢だ。
そういえばこの時代の浜焼きってどんな風にやるんだろう。気になって兵庫水軍の方達のいる方をひょいと覗き込むと驚きの光景が目に入った。
「バ、バーベキューセット……。」
なんと現代のキャンプで使われるような炭を入れるコンロでタコや貝がじゅうじゅうと焼けていた。そうだ、ここは実際の室町時代ではない。シャンプーやリンスといいたまに度肝を抜かれるようなアイテムに出会ってしまう。
「お、これはもういいな。重、みんなに配ってくれ。」
「承知しました!」
第三共栄丸さんが器に焼けた貝とタコを乗せてくれ、それを重さんが運ぶ。これだけ人数がいるとわざわざ持ってきてもらうのも申し訳なくなり、私は立ち上がって自分で取りに行くことにした。
「重さん、忍たまの子達の分は私が運んでもよろしいでしょうか。」
「え、いいんですか?私としては助かりますが……お客さんにやらせるわけにも……。」
「待ってるだけだと手持ち無沙汰なのでよければやらせてください。」
「そうですか?だったらお願いしようかな。」
「ありがとうございます。」
意外とすんなりお皿を譲ってくれたので冷めないうちにみんなの下へと運ぶ。全員に行き渡ったところで第三共栄丸さんが代表して声を上げた。
「みょうじさん、忍たまのみんな!今日は集まってくれてありがとう!是非この海を楽しんで帰ってくれ!それではいただきます!」
威勢のいい声に続いてみんな口々にいただきますを唱える。早速新鮮なタコを頬張るとコリコリとした触感と丁度いい塩味が口の中に広がった。
「美味しい……!」
「本当ですね。」
羽丹羽くんも頷いてくれて二人でにこりと笑う。獲れたてがこんなに美味しいだなんて知らなかった。
「川西くん、ありがとね。タコ獲ってきてくれて。」
「いえそんな……ほとんど舳丸さんと重さんのおかげですから。」
「でも三人も協力してくれたんでしょう?だからありがとう。」
「……どういたしまして。」
隣でもぐもぐ口を動かしながら川西くんはぺこりと頭を下げた。お礼を言われて照れてしまったのかほんのり耳が赤い。
「このあとはどうするの?」
「みょうじさんは……海には入られないんですよね?」
「うん、そのつもり。」
「それなら、私もしばらく浜に上がっています。四郎兵衛と石人はどうする?」
「うーん、まだお城完成してないからなあ。」
川西くんからの問いかけに二人が悩み始める。二人とも本当は泳ぎたいはずなのに私が気を遣わせてしまっている。何だかとても申し訳ない。
「お城は私が作っとくからしばらく泳いでて大丈夫だよ。川西くんもいてくれるみたいだし。」
「いいんですか?」
シロちゃんの目がきらりと輝く。やっぱり海に入りたかったらしい。
「それじゃあ僕達は食べ終わったら泳いできます。三郎次達はどうするの?」
羽丹羽くんが少し離れた場所に座っている池田くんと能勢くんに問いかけると二人は考え込むように自分の足元を見つめた。
「俺は浜に上がってるよ。休憩したらまた泳ぎに行く。」
意外にも能勢くんはここに残ると言ってくれた。正直一緒にいたくないと拒絶される覚悟をしていた為思わず頬が緩む。けれど、やっぱり全員と簡単に打ち解けられるわけではなかった。
「僕は……もうひと泳ぎしてくるよ。」
「まだ泳ぐのか?」
池田くんの返答に川西くんが焦った様子で聞き返す。友人の言いたいことがわかっているのか池田くんは気まずそうに視線を逸らした。恐らくまだ私に苦手意識があるのだろう。彼との距離はなかなか縮まらない。忍たまの子達みんなに認めてもらえた訳ではないと理解はしているつもりだったが、どうにも胸が痛い。
未だ交わることのない目線を誤魔化すように私は器の上のものを口へと放り込んだ。