一章
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初めから特段彼女に興味はなかった。
間者だなんだと騒いでいる人もいたが、自分に火の粉が降りかからなければ僕にとってはどうでも良かった。
ただ食堂で初めて僕とジュンコを見た時、彼女は少しも驚かなかった。可愛いですねと笑ったその顔だけがひどく印象に残っている。
「ごめん、袴に手間取って遅れました!」
慌てて走ってきた彼女はすでに息が上がっていた。前々から思っていたが恐らくこの人は体力がない。なるべく険しい場所は避けるよう、薬草までの道のりに考えを巡らせた。
「いえ。逆に急がせてしまって申し訳ないです。」
肩で息をする彼女に数馬が水を勧める。背中をさすられながら眉を下げてお礼を言う姿は、どこか頼りないものだった。
「それではゆっくり行きましょうか。」
藤内が門の外から僕達を呼ぶ。全員でそれに続くと三之助が嬉しそうに手を差し出した。
彼女も意図がわかっているようで、そうだったねと言ってそれに重ねる。仲睦まじく歩き始めた二人のことを、ろ組以外は意味も分からず見ていた。
「あの二人、あんなに仲が良かったの。」
たまらず数馬が作兵衛に耳打ちする。
「ああ、みょうじさん迷子探すのうまくてさ。特に三之助はみょうじさんとなら逃げねえから任せることにした。」
どうやら迷子の扱いが得意のようだ。いつもならば自分の思うままに人を引っ張って行ってしまう三之助が、大人しく彼女と同じ方向に歩いている様子を見て納得がいった。ちなみに左門はいつものように作兵衛が縄で繋いでいる。
「三反田くんは、どんな薬草を採りに行くの?」
後ろを振り向き彼女が話題を振る。
「オトギリソウというものです。止血効果があって主に切り傷やかぶれなどに使いますが、煎じればうがい薬にもなるんですよ。」
「前に善法寺伊作先輩がたくさん生えてる場所を見つけたんだよな。」
数馬の説明に藤内も加わる。そういえば以前籠に数本のオトギリソウを入れた善法寺先輩が傷だらけで帰ってきたことがあったな。食満先輩も一緒だった気がする。
「へえ、やっぱり保健委員のみんなは薬草に詳しいんだね。」
「伊作先輩は特別ですけどね。」
確かにあの人は別格だ。いずれああならなければならない数馬はどこか遠い目をしていた。
「伊賀崎くんは、生物に詳しいんだよね?」
唐突に順番が回ってきて驚く。先程から黙っていた自分を気にかけてくれているのだとわかった。
「いえ、特にそういうわけでは。」
「よく言うぜ。詳しさで言ったら竹谷先輩より知ってるだろ。」
「三年生で実習に行くと孫兵の知識はかなり役立ちますよ!」
普段聞かない学友達からの褒め言葉はどこか気恥ずかしい。彼女も好奇心に目を染めて自分を見つめていた。どう反応していいかわからず口を噤む。
段々と道が険しくなってきた。彼女の体力を気にしながら山深くへと入っていく。
「この辺りで少し休憩しましょうか。」
比較的流れが緩やかな小川に辿りついた。まだ半分あるが多少休んでも日暮れまでには戻って来られる距離だ。
彼女は岩に腰かけ、風呂敷から少し大きめの包みを取り出した。
「出る前に用意してきたの。良かったらみんなで食べて。」
彼女が持って来ていたのはおにぎりだった。どうやら人数分こさえてくれているようだ。先程遅れたのは袴に手間取ったからなどではなく、これの準備の為だったのだと気づく。
「なまえさんの手作りですか!」
「そうだよ~。中身はそれぞれ違うので食べてからのお楽しみだね。」
「やった、じゃあ俺これ。」
左門と三之助が先陣を切って選んでいる。
「お前ら手洗えよ!わざわざすみません。」
「いいの、晩御飯にも影響でない程度だから気にしないで。」
「ありがとうございます。いただきます。」
「いただきます。」
小川で手を洗ってみんな次々とおにぎりに食いつく。
「伊賀崎くんもよかったらどうぞ。」
周りの勢いに若干押されてぼーっとしていた自分に彼女が声をかけてくれた。
「……ありがとうございます。」
僕は最後に残ったおにぎりを手に取った。その様子に安心したのか、彼女も自分の取り分に口をつける。
「俺高菜だ。」
「梅だぞ!」
「やり、鮭だ。」
「僕は昆布だったよ。」
「俺は……何かの佃煮?」
向こうでは学友達がすでに食べ終えていた。綺麗に形作られたおにぎりを崩すことには気が引けたが、食欲はあった為同じようにかぶりつく。中身は焼きたらこだった。
「どんなものを食べるのかわからなかったから、ジュンコさんの分は用意できてないの。ごめんね。」
眉を下げて謝る彼女に、初めて食堂で会った時以来の衝撃を受ける。危うくおにぎりを落とすところだった。
彼女は確かにジュンコを一人の人間のように見ていた。
「え。」
上手く言葉を紡げずにいると藤内が割って入って来る。
「ジュンコさんって呼ばれてるんですね。」
「うん。名前聞いて女性だと思ったから。伊賀崎くんとジュンコさんが嫌ならやめるよ。」
彼女の笑顔は無理をしているようにも僕たちをからかっているようにも見えなかった。
「……ジュンコも喜んでいると思います。」
「本当?それならよかった。」
また今度何か持ってきますと話しかける彼女に、ジュンコも舌を出して応えた。二人の嬉しそうな様子に、僕の心は落ち着かない。
「なんか意外ですね。みょうじさんが蛇大丈夫なの。」
「虫も平気なんですか?」
再び手を洗ってきた作兵衛と左門が会話に加わる。みょうじさんが自分と話していた為、三之助も縄に繋がれ後ろからついて来ていた。
「うーん、虫も爬虫類も特に得意ではないんだけどね。ジュンコさんは何か、目が優しそうだから。」
ね、と彼女は笑いかける。ジュンコも嬉しそうだった。言い知れない高揚感に胸が熱くなる。
彼女は僕達の関係を邪魔しないどころか、今まで会った誰よりも尊重してくれていた。嫌味も揶揄も好奇の目もなく、ただ自然に受け入れてくれている。
彼女に興味を持つ材料としては、それだけで十分だった。
「そろそろ行こうか。遅くなっちゃう。」
最後にやってきた数馬に声をかけられ意識が引き戻される。すぐに再出発するようで、僕もみょうじさんも急いで手を洗った。
休憩の甲斐あってか、彼女の顔は元気になっていた。呼吸も整っている。これなら大丈夫そうだ。
「なまえさん、鹿がいます。」
「えっ、どこどこ。」
再び手を繋いで歩いている二人が遠くの方に鹿を見つける。
「私野生の鹿見るの初めてかも。」
「本当ですか。運が良かったですね。」
「動物がいる辺りまで来たってことはもうすぐだね。」
は組の言葉に僕も頷く。そろそろ日の当たる場所に抜けるはずだ。今日の目的地はそこである。
「到着だー!」
「おい、引っ張るな!」
作兵衛が左門に引きずられそうになったがすんでのところで踏み止まる。数馬と藤内は早速採取に取り掛かっていた。
善法寺先輩の情報の通り、たくさんの黄色い花が揺れている。三之助と一緒に後ろからやってきた彼女は、驚いた顔つきで景色を眺めていた。
「……綺麗。」
ぽつりと零した言葉に三之助は満足そうに目を細めた。
「そう言ってくださると思ってました。」
あまりに優しい声色に僕は驚いた。彼女を見つめる学友の顔が、明らかに特別な感情を持っていると告げていた。
思えば、ここにみょうじさんを連れてきたいと言い出したのは三之助だった。学園長先生の課題の為だろうと大して気に留めていなかったが、もしかしたら本当にただこの光景を見せたかっただけなのかもしれない。
普段の気怠げな彼とは全く異なる表情の意味が、今ならなんとなくわかる気がした。
「私達も行こう。」
「はい。」
嬉しそうに顔を綻ばせた彼女に三之助もついて行く。どこかその様子を羨ましいと感じながら僕も後を追った。