一章
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なまえさんを誘いに行った勘右衛門が顔を赤くさせて帰ってきた。
「……なんだその面。」
「いや、ほんと可愛くて無理。」
やっぱりこいつに行かせるんじゃなかった。一発入れてやりたいほどその顔はにやけている。
「何かあったのか?」
八左ヱ門が興味津々に聞くが勘右衛門は口を割らない。
「俺だけが言われた言葉を教えてたまるか。」
腹立つな。何だこいつ。
「年上の女性がはしゃいでるのって、なんかこう……クるよな。」
「下品だよ。」
教えないと言ったわりに小出しにしてくる勘右衛門を、雷蔵が一刀両断する。
「それで誘えたのか。」
痺れを切らした兵助が問えば得意げに親指を立ててきた。まあ、部屋に入ってきた時から分かってたけどな。
「なまえさん、酒好きらしい。」
「え、意外。」
「本人もよく言われるって笑ってた。」
「強いのかな。」
「好きってことは強いんじゃね?」
「酔うとどんな感じになるんだろうな。」
「……。」
八左ヱ門から繰り出された言葉に一同黙ってしまった。恐らく各々が今何かを想像していたと思う。よからぬ空気を察した雷蔵が途端に話題を変える。
「部屋、片づけとこうか。」
「そ、そうだな。」
八左ヱ門は分かりやすい。赤くなった顔を誤魔化すように率先して物をどかし始めた。
部屋の中に散らばっているものを端によせて中央を綺麗にする。そこに円になるように座布団を置いた。
「席順どうするんだ。」
ようやく会場が整ったと思ったのに、兵助の一言によってまた騒ぎが始まった。
「あみだだ。」
「却下。」
間髪入れずに答えた俺に、勘右衛門が食い気味に対抗する。
「何でだよ、公平だろ。」
「作る奴によっていくらでも不正可能だろうが。雷蔵か兵助が作るならやってもいい。」
ちっ、勘のいいやつ。
「じゃあじゃんけんにするか?」
「雷蔵はそれでいいのか。」
「さすがに僕もじゃんけんで悩まないよ。正直席どこでもいいし。というかもう二人がみょうじさんの隣に座ればいいんじゃないの。」
俺と勘右衛門の攻防をどこか白けた目で遠巻きにしていた雷蔵は、早く決めてくれという顔をしていた。
辛辣に突きつけられた言葉は確かにその通りなのだが、こいつを隣にさせたくないという俺たち二人の敵対心とあわよくば自分が隣に座りたいという八左ヱ門の願望がそれを許さない。
とにかくじゃんけんということで結論は出た。彼女が来てしまう前に俺はこの戦いに勝利しなければならない。
「それじゃあいくぞ。」
勘右衛門が率先して音頭をとる。雷蔵と兵助は俺らの熱量に引いていたが、こちらは生きるか死ぬかの勝負だった。
「じゃーんけーん!」
掛け声とともに出されたそれぞれの手に、歓声と悲鳴がこだました。
俺達の阿鼻叫喚から十分後、彼女は寝着姿で現れた。
「お邪魔します。」
「お待ちしてました!」
勘右衛門が迎え入れる。風呂上がりだからかいつもよりさらに良い匂いがする。その顔は上気していてどこか艶っぽい。鼓動が速くなるのがわかった。
「ごめんね、何も差し入れできるものがなくて。」
申し訳なさそうに眉を下げる。それほど気を遣わなくてもいいのだが、それが彼女の性分だ。
「お気になさらないでください。僕達も急に誘ったので。さあこちらへどうぞ。」
雷蔵に促され、彼女が空いている座布団に座る。俺の右隣だ。
彼女の隣を勝ち取ったのは俺と兵助だった。彼女を起点として兵助、雷蔵、勘右衛門、八左ヱ門、俺の順で席が決まった。
向かいの勘右衛門が恨めしそうにこちらを見ている。俺は勝利の余裕と言わんばかりに挑発的な視線を送った。いつかのお返しだ。
「これがつまみのイカ、まんじゅう、漬物です。」
持ち寄ったものを中央へと置く。そして勘右衛門は後ろからいそいそと大瓶を取り出した。
「これが本日の主役です!」
音を立てて置かれたそれを見て彼女の目は輝いた。
「久しぶりのお酒、嬉しい!」
どこか興奮気味の様子に少々驚く。どうやら酒が飲めるというのは本当らしい。
各々の湯飲みに酒を注ぐ。雰囲気はないが杯やお猪口を持ち出すわけにもいかなかった。
「それでは乾杯の音頭を。」
「この時代もそういうのあるんだ。」
「なまえさんの時代にも?」
「うん。あんまり変わらないもんだね。」
五百年たっても同じことしてるのか。彼女の言葉は興味深いものだったが、本人は思わず口を挿んでしまったことを気にしていた。
とりあえず仕切り直して発案者の勘右衛門が話し始める。
「えーと、今日はお集まり頂きありがとうございます。」
改まった様子に方々から笑いが起きる。彼女もくすくすと楽しそうにしていた。
「えー、なまえさんの全快祝いと我々の友情に期待を込めまして、かんぱーい!」
『乾杯!』
宴席の始まりだ。隣の彼女は一口飲んで震えている。
「うう、おいしい。沁みる。」
「本当にお酒お好きなんですね。」
感激している様子に笑えば、いつもより明るい調子で返ってくる。
「うん、大好き。毎日でも飲みたいくらい。」
大好きという台詞に多少動揺しながらも悟られないよう酒を飲む。落ち着け、俺に言ってるんじゃない。
「何だか意外です。」
「よく言われる。顔が幼いからかな。」
いつかの会話を思い出す。そういえば彼女は童顔を気にしているんだった。雷蔵も同じことを思ったのかそれとなく話題を逸らす。
「酔うと変わったりします?」
「うーんどうだろう。顔色は変わらないけど……。」
「それすごくないですか?」
「そ、そうかな。みんなはどんな感じになるの?」
好奇心に染まった瞳でこちらを見ている。彼女の湯飲みからはもうすでに半分以上の酒が消えていた。
「一番弱いのは雷蔵か?」
「そうだね。僕すぐ赤くなっちゃうんです。」
「え、可愛い。」
「次点で俺かな。」
「弱いって言っても八左ヱ門は人並みじゃない?こいつらがおかしいんだよ。」
勘右衛門に指をさされたのは俺と兵助だ。
「ざるなんだ。」
「量を弁えて飲んでるだけですよ。なあ兵助。」
「ああ。」
「嘘つけよ。一升くらい余裕で飲むくせに。」
「それはすごい。」
「俺は多少顔色は変わるぞ。」
「僕ほどじゃないでしょ。まあでも兵助の変わらない具合はすごいよね。」
「そうか?」
「酒飲んでいくうちにむしろ白くなってるんじゃないかと思う。」
「体まで豆腐なんじゃないか?」
「本望だ。」
「ふふ。」
隣の彼女は愉快そうに話を聞いている。しかし先程から酒しか飲んでおらず心配だった。
「なまえさん、おなかいっぱいですか。」
「ん?ああ、みんなの話がおつまみみたいな感じで忘れてた。」
慌てて漬物を口に入れる。自分で言っていたように彼女の顔色は変わっていないが、やはり普段より陽気に見えた。
「このお漬物美味しい。」
「おばちゃんからもらってきました。」
「どうりで。あれ、不破くん大丈夫?」
「え、もう赤いですか。」
「本当だ。水いるか?」
「お願いしようかな。」
井戸から汲んでおいた水を別の湯飲みに注ぐ。なまえさんの言う通り、雷蔵はすでに赤かった。八左ヱ門もいつもより声が大きい。酔いが回り始めているようだ。
「なまえさんって向こうの世界で恋人とかいらっしゃったんですか。」
こいつ酔いに乗じて普段聞けないこと聞いてるな。まあ今の雰囲気なら答えてくれそうだが。勘右衛門も若干そわそわしながら返事を待っている。
「ええ?その質問久しぶりだな。」
「え、誰に聞かれたんです?」
「次屋くんとくのたまの子たち。」
「ああ……。」
立花先輩とかだったらかなり嫌だったがそれなら安心だ。
「恋人いなかったよ。昔はいたこともあったけど……。最近は好きな人とかもいなかったし。」
「恋人いたことあったんですね。」
勘右衛門が掘り下げる。俺も気になったがそんなこと聞いて大丈夫なのか。酔ったふりして近づこうとしているのが見え見えだった。
「まあ人並みにね。断り切れずに付き合ったけどあんまり長く続かなかったなあ。」
「そうなんですね。」
「じゃあじゃあ、どんな人が好きですか?」
誰か八左ヱ門を止めろ。いつもは歯止め役の雷蔵も酒が入っている為にこにこしているだけだ。
「おい、失礼じゃないのか。」
珍しい。兵助が口を挿んだ。恐らくこの中で頭が回っているのは俺と兵助、そして多分なまえさん。勘右衛門もまだ酔っているとは思えなかったが、貴重な情報を知りたいという欲が勝ってしまっていて使い物にならない。
「いいよ。こんな場じゃないとしない話だし。」
「本当に大丈夫ですか。」
「うん。大したことは言えないけど。」
「なまえさんがいいならいいんですけど……。」
酒の席だからかいつもより防御が緩い。俺も気になっていた話題ではあるので正直ありがたいが。
「ええとどんな感じの人が好きか?だよね。うーんそうだなあ。」
少し思案する様子を見せる。今まで騒がしかった俺たちは何故か黙って答えを待っていた。
「定番だけど優しい人かな。」
あまりに範囲が広くて俺と勘右衛門は項垂れる。
「ざっくりですね。」
「はは、確かにね。うーんもうちょっと具体的に言うと、好きな子に意地悪しちゃう感じの人は苦手。」
「ああ、そういう。」
相槌がうまいぞ八左ヱ門。好きな人に真っ直ぐ好意を向けられない人と共に過ごす未来は見えないと彼女は言った。いくらか詳細になった人物像に少し希望の光が差す。
「あとは……いや、やっぱいいや。」
「え、何ですかその間。」
何かを言いかけてやめた彼女に勘右衛門が食いつく。
「いや、これは恥ずかしいから内緒。」
「ええ、聞きたいなあ。」
出来上がってしまっている雷蔵がにこにこと追い打ちをかける。いつもの冷静な雷蔵は何処に行ってしまったんだ。
「俺も聞きたいです!」
八左ヱ門も悪ノリする。なまえさんは八左ヱ門と雷蔵の笑顔にどうも弱いようで、無邪気な二人に意志が揺らいでいる様子が見受けられた。
「ええ、うーん……いやダメダメ!威厳を保つためにこれは内緒です!」
酔っ払いに負けじと抵抗する。二人はしばらく粘っていたが、とうとう教えてはもらえなかった。
その後も楽しく飲み明かし酒の瓶が空になった頃、起きているのは俺と兵助となまえさんだけだった。
「みんな寝ちゃったね。」
「みょうじさん、やはりお強いですね。」
「ふふ、久々知くんもね。」
「そろそろお開きにしましょうか。」
「うん。」
「じゃあ俺は勘右衛門を部屋に運ぶ。」
「ああ、任せた。」
赤ら顔で床に寝転がっている勘右衛門を担ぎ、兵助がい組部屋へと戻る準備を始める。
「みょうじさん、今日はありがとうございました。」
「私の方こそありがとう。すごく楽しかった。勘ちゃんにもよろしくね。」
「はい、ではおやすみなさい。」
「おやすみ。気をつけてね。」
二人が出ていくのを見送る。先ほどまでうるさかった部屋には静寂が訪れ、途端に緊張が走る。
「片づけようか。」
「ああ、私がやっておきますよ。」
そういうわけにはいかないから、と譲らない彼女に負けて一緒に部屋を整える。ちらりと横を盗み見ると、顔色が変わらないはずの彼女の頬はほんのりと染まっていた。
「顔、赤いです。」
「え、ほんと?久しぶりだったから回っちゃったかな。ちゃんとお水飲むから大丈夫だよ。」
酒のせいでいつもより潤んでいる瞳が心をかき乱す。気づけば聞くつもりのなかったことを口走っていた。
「さっきの、やっぱり教えてもらえませんか。」
「さっき?」
「その、内緒ってやつです。」
きょとんとした彼女に内心焦る。ああ、言わなければよかっただろうか。しかし俺の心配をよそに、彼女はふわりと笑った。
「……そうだね、三郎くんにならいいかな。」
心臓が跳ねる。特別扱いされていることがたまらなく嬉しかった。
日に日に大きくなっていく気持ちを、俺は無視できなくなっていた。勘右衛門に聞かれたときは上手く答えられなかったが、今それが確信に変わっていく。
俺はこの人が好きだ。それはもう逃げられようもない感情だった。
「話してくれるんですか。」
「うん。」
承諾はしてくれたものの改めて言うのは照れ臭いようで、少し言葉に迷っている。
「本当に内緒にしてね。」
「はい。命に替えても。」
「ふふ、こんなことに命かけちゃ駄目。」
ぽんぽんと頭を撫でられる。これをされると複雑な気分になる。六年生にしている姿を見たことがないからだ。
心を許されているのは嬉しいが、どうにも男として見られていないようで嫌だった。
「ええとね、私がいいなと思うのは、」
早く聞きたいような聞きたくないような。妙な心境だった。
「甘えさせてくれる人。」
「っ、」
「恥ずかしいから黙っててね。」
彼女は顔を赤くしながら笑っていた。冷や水を浴びせられたようだった。
「長女だからね、たまには誰かに頼りたいのかも。」
上手く言葉が出てこない。ちゃんと返事ができているか不安だった。
彼女の恋人の枠に、自分はまるで入れていない。ただそれだけが分かった。
彼女は甘やかすのが上手な人だ。下級生をあやすように頭を撫でる姿を度々目撃している。俺も同じような扱いだった。
彼女が頼りにしている人。甘えたいと思う人。彼女の頭を撫でることができる人。そんな人は一人しか浮かばなかった。
「三郎くん?」
黙ってしまった俺を心配そうに覗く。その顔はやはり愛おしかった。
「すみません。私も少し酔ったかもしれません。」
取り繕いなるべくいつも通りに振る舞う。安心したのか彼女は再び頬を緩ませた。
己の中で咲き始めた思いはもうどうすることもできそうにない。止められるはずもなかったが、明るい未来があるとも思えなかった。
「なまえさん。」
「ん?」
綺麗な目が俺をしっかりと捉えている。
「あんまり子ども扱いしちゃ駄目ですよ。」
彼女は少し間を置いて、そうだったねと笑った。
いつもよりあどけない様子の彼女に手を伸ばそうとしたが、やはり触れることは叶わなかった。酒の力を借りてもその線を越えてしまう勇気は出ない。
彼女の澄んだ瞳が熱を込めて自分を見つめることはないのだと、どこかで理解してしまっていた。
どうか今だけはこの笑みを離したくない。夜更けの回らぬ頭でそんなことを考えていた。