一章
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賑やかな朝御飯のあとも、喜八郎くんはぴったりとくっついたままだった。何を話すわけでもなかったが、時折頭を撫でると彼は気持ちよさそうに目を細める。本当に猫のようだ。
「もうお昼だけど、本当にここにいて退屈じゃないの?」
「ぜーんぜん。なまえさんとお話しできるだけでいいんです。」
医務室は今私の個室部屋のようになっている。怪我した足の経過観察の為に自室よりも都合が良いらしく、また私に気を遣ってくれている保健委員のみんなは用事がない限りここには立ち寄らないことになっているそうだ。新野先生はしばらく出張中で、善法寺くんが時折様子を見に来てくれる。
仕事も多いだろうに、みんなには本当に申し訳ない。
「なまえさんは僕がここにいて邪魔じゃないですか?」
「全然。むしろ一人だと心細かったと思うから、いてくれて嬉しいよ。」
彼はまた満足そうに目を細め、ごろんと寝転がった。
「まあ、僕は見張りなので。」
「え?」
「何でもないでーす。」
一体何の見張りなのかと聞き返す前に彼は目を瞑った。少しすると寝息を立て始め、どうやらお昼寝するらしいとわかる。
ぽかぽかと温かい陽の差す医務室で、私にも眠気が襲ってくる。うつらうつらと舟を漕ぎ始めたところで廊下からいくつかの足音と賑やかな声が聞こえてきた。
「こら、走るな!」
「だって早く会いたいんです!」
「寝てるかもしんねえぞ。」
「その時は起きるまで待つ!」
土井先生の声も交ざっているから一年は組の子たちだろう。案の定声の主達は医務室の前で止まり、元気な顔を覗かせた。
「なまえさん、起きてて大丈夫なんすか?」
「うん、熱も収まってるし体自体はもう辛くないから。」
障子の隙間から顔だけ出しているきり丸くんに続いて、兵太夫くん、団蔵くん、そして土井先生が入ってきた。
「すみません、これでも数を減らした方なんですが。」
「厳正なくじ引きの結果、僕達が選抜されました!」
どうやら一年は組の中で誰がお見舞いに来るかのくじ引きをしたらしい。執念の勝利なのだと兵太夫くんが熱弁してくれた。
「いえいえ。賑やかな方が私も楽しいですから。」
にこりと微笑むと四人は喜八郎くんを踏まないように近くへ腰かけた。
「お見舞いに来てくださってありがとうございます。……ご迷惑をおかけしてすみませんでした。」
「いえ。私もこの子達も、迷惑だなんてちっとも思っていませんよ。」
そう言ってくれる土井先生の顔は穏やかだった。
「そうですよ!なまえさんに頼られるようもっと忍術頑張らなきゃって思ったくらいです!」
「お前はその前に字の練習をしなさい、団蔵。」
「それは言わないお約束ですよ土井先生~!」
からかうように突っ込まれた団蔵くんは頬を膨らませている。まだあどけない彼だがその言葉は力強いものだった。
「なまえさん、僕……。」
「ん、どうしたの?」
頼りなさげな表情のきり丸くんがおずおずと口を開く。
「その、僕なんかが言うのもあれですけど、なまえさんの気持ちわかります。」
「え。」
「世界に一人ぼっちになったみたいな、悲しい気持ち。僕となまえさんじゃ全然違うでしょうけど……。」
たどたどしい言葉だったが、言わんとしていることがすぐにわかり思わずぎゅっと抱きしめていた。
「おわっ。なまえさん?」
彼が共感してくれたもの。それは孤独の恐怖だろう。こんなにも小さな肩なのに、乗っているものは果てしなく重い。彼は辛く苦しい中でも、笑って逞しく生きてきたのだ。こうして人を気遣えるようになるほどに。
全てを放り出しそうになった自分を改めて恥じた。
「ありがとうきり丸くん。」
「……何でも言えっていうのは難しいかもしれないですけど、寂しい時に隣にいることはできます。」
急に抱きしめられて照れくさそうなきり丸くんが顔を赤くしながら呟く。
「そうですよ。さすがに六年生みたいにとはいきませんけど僕達にだってできることはありますから。」
兵太夫くんが僕もしてほしいと寄ってきた。二人を片手ずつ抱きしめようとすると団蔵くんもそれに加わる。
「なまえさん、僕も僕も。」
「ちょっと団蔵狭いあっち行って!」
「兵太夫酷くない?」
きり丸くんは俺はもういいと言って土井先生の隣へ戻っていった。片手が空いたので団蔵くんをぎゅっと抱きしめる。
「みんな可愛いね。」
「なまえさんの方が可愛いです。」
「ええ?」
団蔵くんは抱きしめられたまま私を見上げる。
「大きくなったら僕のお嫁さんになってもらえませんか?」
「ん!?」
「ごほっ。」
無垢な質問に反応したのは大人二人だった。
「土井先生、何咳込んでんすか。」
「す、すまん……。」
隣で咽せてしまった土井先生の背中をきり丸くんがさする。
「なまえさん駄目ですか?」
くりくりとした瞳が真剣な顔で見上げてくる。どうしよう。これはなんて答えるのが正解なのだろうか。
「ええと、」
「駄目だよ。なまえさんは立花先輩と結婚するんだから。」
「え!?」
どうしたものかと口を開くと、今度は反対側からとんでもない剛速球が飛んできた。一体どうしてこんな話に。
「何言ってんだよ。なまえさんは土井先生と結婚するんだよ。ねえ、土井先生?」
「何故私に振る!!!」
被害が拡大している上に甚大だ。土井先生は見てわかるくらい真っ赤なのだがこちらも同じようなものだと思う。顔が茹で上がったように熱い。
突如持ち上がった誰の嫁になるか問題。事の発端となった彼は未だ真剣な目つきでこちらを見ている。これは誠実に答える他あるまい。
「あの、今のところ誰の所にも嫁ぐつもりはありません。」
はっきりと断ると、見るからに彼の眉が下がってしまった。
「もし団蔵くんが大きくなってそれでも気持ちが変わらなければ私のところに来てください。その時にまたお返事します。」
我ながら大人な返しだっただろうか。それでも彼の表情から適当な返事をすることは憚られた。
「じゃあ僕にもまだ可能性はありますね!」
「んん、あの。うん、はい。」
あまりに歯切れが悪い。しかし団蔵くんは嬉しそうにガッツポーズを決めていた。
「それって立花先輩と土井先生にも可能性「この話はおしまい、終わりだ!!!」
きり丸くんがさらに追い打ちをかけようとしたが土井先生によって制された。彼との間には妙に気まずい雰囲気が流れており居心地が悪くなる。お互い視線を合わせられず顔の赤さには気づかないふりをした。
「ほ、ほらあまり長居すると迷惑だからそろそろ出るぞ。」
「えー。綾部先輩はずっといるじゃないですか。」
綾部くんは相変わらず横で寝転がっている。この騒ぎで起きないはずがないので十中八九寝たふりなのだが何故彼がそうしているのかはわからない。
「私の方は構いませんよ。お話ししてると楽しいですし。」
「ああいえ。あまり騒いでお体に障ってもいけませんから。」
ほらほら、と促された彼らは私の腕からするりと抜けて部屋の外へと出ていく。それを確認した土井先生がこちらへくるりと向き直った。
「みょうじさん、どこか吹っ切れたように見えます。」
「え。」
「前よりとても良い顔をされている。良かったです。」
では、と笑って彼は障子を閉めた。やはり土井先生は、先生なのだ。はじめから私の負の側面に気づいていたのだろう。
よく見てくれている。じんわりと心が温かくなった気がした。