一章
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「自分がされて嫌なことを相手にしてはいけない。」
それは学校などでよく耳にする言葉だった。
まだ善悪の区別がつかず自制心をコントロールできない子供達の為の、耳触りの良い教えだ。
しかしこれは私が幼い頃から父に聞かされてきものとは少し違っていた。
「勿論自分がされて嫌なことを人にしてはいけない。けれど、何をされたら嫌な気持ちになるかはそれぞれ違うんだ。自分は大して気にしないということでも、それをされて嫌だと感じる人はきっといる。」
"自分の感覚だけで判断せず、他人がされて嫌なことをちゃんと考える"
これが父の口癖であり、みょうじ家唯一の家訓だった。
私と弟は生来この教えを叩きこまれ、他人の気持ちを慮ることに対してかなり敏感になったように思う。
それと同時に自分と他人の感情は全くの別物なのだという感覚が根深く植えつけられた。その人に成り得ない以上、他人を過不足なく理解することは不可能だ。
しかしそれは絶望ではない。
分からないからこそ対話が生まれるのだ。わからないからこそわかりたいと願い、苦心するのだ。
それこそが人間の愛おしい部分であると、私は今日まで思っている。