一章
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どれほど眠っていたのか、私はゆっくりと目を覚ました。ぼんやりとした頭で辺りを見回すが、やはり見知った空間ではなかった。
「また知らない場所……。」
「おや、起きましたか。」
「え?」
突然の聞き覚えのない声に振り向くと、忍装束のようなものを着た男性が仏のように微笑んでいた。
「ご自分のことがお分かりになりますか。」
「え、あ、はい。」
「それはよかったです。ここがどこだかお分かりですか?」
「いえ……。」
「ここは忍術学園です。私は校医の新野と申します。」
「はあ。」
「体調が問題ないようでしたら学園長がお呼びですので、ご案内いたしますよ。」
「学園長……?」
どうやらここは学校らしい。
先ほどから曖昧な返事しかできておらずいささか申し訳なさを覚える。依然わからないことは山積みで混乱が続いていたが、目の前の優しそうな男性とのやり取りのおかげで段々と頭ははっきりとしてきた。恐らく自分は焼け野原から助けてもらったのだろう。
「あの、私は一体……。」
「詳しいことは学園長室にご案内してからということです。参りましょうか。」
質問を制され移動を促される。物腰は柔らかいが有無を言わさぬ圧が感じられる。仕方がないので黙ってついて行くことにした。
「失礼致します。姫様が目を覚まされましたのでご案内に上がりました。」
姫様?
はて姫らしき人などいただろうかと首をかしげながら校医に続いて部屋に入る。
「ご苦労じゃった新野先生。さて、ご気分はいかがですかな。そこにお座りになってください。」
部屋の中には黒い忍者のような恰好をした人達が大勢いた。みんな鋭い目つきをしていて緊張した雰囲気が漂っている。
「えっと、気分はだいぶ良くなりました。助けて頂いてありがとうございます……。」
ただならぬ空気に気圧されながら恐る恐る口を開く。刺さる視線はあまり気持ちの良いものではない。
あれ、このおじいさんどこかで見たことがあるような気がする。どこだっただろう。
何か懐かしいような遠い記憶を呼び起こすような、不思議な感覚に気を取られているとおもむろに質問が飛んできた。
「単刀直入にお聞きします。貴方は何故あの場所に一人無傷で立っておられたのでしょうか。」
「な、何故と言われましても……。」
そんなことは私が教えてほしい。
「私にもよくわからないです。気づいたらあそこにいて……。そもそもあの場所は一体何なのでしょうか。」
それは彼らにとって思いがけない問いかけだったらしい。周りの大人たちが顔を見合わせてひそひそと話し始めた。
「何、とはどういう意味でしょう。あそこは貴方様のいた城ではないですか。」
「え?」
私はあの場所に行ったことなどない。目の前の老人との会話がどうにも噛み合わず、疑問ばかりが増えていく。
もしかして、さっき姫と呼ばれていたのも私のことだったのだろうか。いやしかし私は姫ではない。そもそも、外国ならともかく現代の日本に姫などいるのだろうか。
この部屋の人たちはみんな忍者のような格好をしているが、ここって忍者屋敷なのか。ということは京都の太秦?
それにしては妙に雰囲気が重苦しい。一体どういうことなのだろう。
「まだ目覚めたばかりで混乱されているようですな。」
無理矢理思考の海から引き戻される。この老人、笑っているように見えるが目は全く笑っていない。
「あの城では女子どもまで皆焼けてしまったと報告を受けておるのです。にも拘らず姫君があそこに傷一つなくおられた。生きているはずのない姫君が。これは儂らを混乱させるための間者の仕業ではないかと言う者もおるのですよ。おわかりかな。」
これは現実だ。
直感的にそう思った。忍者村のお芝居でもなければ度の過ぎた悪ふざけでもない。ここにいる人はみんな、本気で私を疑っている目をしている。事態の深刻さに気づき途端に汗が滲んだ。
ここは恐らく私のいた時代じゃない。もっと昔、まだ城が焼かれるような戦をしているのだから江戸より前だ。忍者は確か室町以降にいたはずだから、今は室町後期か戦国時代。
老人の言うことから予想するとどこかの城のお姫様がきっと私と似ているんだ。さっきの焼け焦げた場所はそのお姫様の城で、みんな死んだと思っていたところに無傷の私が現れた。なるほど、怪しさは満点である。
冷静に考えろ。何故自分がタイムスリップしてしまったのかはこの際どうでもいい。敵ではないと納得してもらえなければ殺される。
今私は絶体絶命の窮地にいるのだ。
「やはりこの娘、怪しいのではないですか?」
口を閉ざした私に痺れを切らしたらしく、顔がてかてかの男性が刺々しく言い放った。
「これ、姫君の可能性もあるというのに失礼じゃろう。」
「お言葉ですが学園長、姫君がこんなに肌を見せる衣服を身に着けているでしょうかね。言動も格好も妙な感じですよ。やはり間者と見るのが妥当でしょう。」
「私もそう思います。第一城がなくなってしまう程火の手が上がっていたのにかすり傷一つないなんておかしな話じゃないですか。」
メガネをかけた男性が続ける。まずい流れだ。
「これこれ、落ち着くのじゃ。まずは姫様の話を十分に聞いてから……。」
「ヘムヘム!」
目の前の老人が二人を制しようとしたところに謎の鳴き声が響いた。突然お盆を持って現れたのは頭巾を被った犬のような生き物。その姿を見て私は驚愕した。
「忍たま乱太郎だ……。」
「なんじゃと?」
思わず口から零れた呟きは周りにはよく聞こえなかったようだ。危ない。
そう、目の前にお茶を運んできてくれたのは幼い頃見ていたアニメのキャラクターだった。老人の既視感の正体はこれか。合点がいくと同時に私は愕然とした。
タイムスリップしたという事実だけでも理解しがたいというのに、ここが忍たまの世界なら私はどうすればいいのだ。元の時代どころか、現実の世界に戻れるかもわからない。
「まあ、お茶でも飲みながら、貴方のことについてゆっくりお聞かせください。」
学園長の言葉にはっと意識が引き戻される。そうだ、落ち込むのは後だ。何にせよこの状況を切り抜けなければ私に明日はない。
ふう、と深く息を吐き真っ直ぐ向き直る。
ここはもう、正直に話すしかない。ここが忍者の学校なら、プロの中で素人の私が嘘をつき続けられるわけがない。
落ち着け、きっと大丈夫だ。
「皆さんの仰る通り、私は姫ではありません。」
「やはり!学園長、早くこの者を縛り上げなければ、」
「まあ待て。」
途端に近づいて来る教師陣に身構えたが、その手が届く前に学園長が止めてくれた。
「どうぞ続けてください。」
思いのほか穏やかな口調に小さく息を吐く。
「ありがとうございます。……あの、私は異世界から来たのだと思います。」
「何を馬鹿なことを!」
「話は最後まで聞かんか!……すまない、続けて。」
「はい。私は元いた世界で学問として歴史を嗜んでおりました。普通の人よりもこの国の歴史には詳しいと自負しております。その中で戦が繰り返され、争いが絶えなかった時代があります。」
「ほう。」
「その時代の状況が先程見た風景や皆さんの仰っている話と酷似しているのです。今この場所は私のいた時代の四、五百年前の世界ではないかと思います。」
その場の誰もが目を丸くしたのがわかった。
「未来から来た、と言っておるのかな?」
「はい。」
「嘘です!捕まりたくないばかりにこの娘は嘘をついている!そんなことがあるはずがない!」
怖い顔の男性が立ち上がり声を荒げた。学園長は依然私を見つめている。
「確かにお主は見たことがない恰好をしておるし、お主の持っていた荷物も何やらわからんものばかりじゃった。未来から来たとなれば説明がつくのう。」
「荷物?」
「おお、そうじゃ。お主が倒れておったすぐ近くに落ちてあったものでな。ほらこれじゃ。」
学園長が取り出したのは紛れもなく私の鞄だった。やはり書庫からそのまま時空を超えてしまったらしい。
「すまんがしばらくこれは預かっておいても良いかの。」
「あ、はい。好きに調べて頂いて構いません。」
見られて困る物もないし、未来人だという判断材料になるのならむしろ好都合だ。
「お主が未来から来たというのは信じよう。では、あの城の姫君と其方が瓜二つということはどう説明する?」
「それは……わかりません。気づいたらあの場所に立っていたので……。でも、これが偶然だとは私も思えないので、顔が似ていることには何か理由があるのかもしれません。」
「ほう。」
「それが何かは、わからないですけど……。」
「そうか。」
学園長はくるりと後ろを向き、うーむと何やら唸ったあともう一度こちらに向き直った。その目はもう先程の鋭いものではなかった。
「お主の言うことを信じよう。時代が違えば身寄りもあるまい。しばらく学園に留まることを許可する!」
「え、良いんですか……?」
もっと責め立てられると思っていた為拍子抜けだ。
「学園長!本気ですか!?」
「未来から来たなどという世迷言を信じると!?」
「うるさーい!この子は嘘をついておらん!」
当然とも言える抗議の声をぴしゃりと跳ね除け、今度は孫を見るかのような眼差しで問われた。
「お主、名は何という?」
「みょうじなまえと申します。」
「良い名じゃの。儂はこの学校の学園長、大川平次渦正じゃ。さ、緊張して疲れたじゃろ。シナ先生、新野先生、空き部屋に案内してやってくれ。」
「え、ええ。わかりました。」
え、もう出て行っていいの?正直こんなに簡単に信じてもらえるとは思っていなかった。戸惑いながら言われるがまま先生方について行こうとすると、学園長に呼び止められた。
「最後に聞いてもいいかの。お主は、そのような突飛なことを何故正直に話そうと思った?」
「それは……。」
全員の視線が自分に集まる。
「私の時代には、戦はありません。ここがもし争いを当たり前とする世界での尋問の場であるなら、素人の私に嘘をつき続けることは到底できないと判断しました。それに、」
「それに?」
「……例え私を捕まえる為であったとしても、あの場から助けてくれた人達に嘘はつきたくありませんでした。」
「!そうか、よくわかった。怖がらせてすまんかったの、行きなさい。」
「ありがとうございます。失礼します。」
一礼をしてその場を後にした。私が退出したあと何やらその部屋が騒がしくなったので、恐らく揉めているのだと思う。
学園長は信じてくれたようだけど、私は許されたわけではないのだ。肝に銘じておかなければ。