一章
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風呂上がり、いつものように縁側に腰かける。最近はここで涼むのが日課になっていた。今日はずっと冷たい雨が降り続いていて、少し肌寒い。
暗い画面のままのスマホを握りながら、ぼーっと雨粒が地面に落ちるのを眺める。自分のいた世界のものを身に着けていると、少しだけ心が落ちついた。嫌なことや悲しいことが多い日は決まって同じような夜を過ごしている。
それにしても今日はいやに疲れた。肩は重いし何だか頭痛までしてきている。寝不足のせいだろうか。
風邪をひくといけないから、部屋に入ろう。立ち上がろうとしたその時だった。
「……潮江くん。」
廊下に立っていたのは本日二度目になる会いたくない人物だった。
これまで偶然鉢合わせて言葉を投げつけられることはあったが、こんな風に会いに来られたのは初めてだ。
どうして、震えた声でそう言えば彼は突然話し始めた。
「お前はどんな術を使っている?」
「え、」
「田村も左門も仙蔵も、今やほとんどの忍たまがお前に取り込まれてしまった。何か特別な術を使っているんだろう。」
まるで私が間者であると決まっているかのような物言いだった。何を言われているのかわからず、上手く息ができない。
「騙されやすい下級生から外堀を埋めて上級生や先生方の警戒心を解く、上手いもんだな。」
吐き捨てるように彼は嘲笑った。
頭がぐらぐらと揺れるようである。ああ、この人にとって私は悪者でしかないのだ。どれほど努力をしても彼の中で位置づけは決まってしまっていて、それを捻じ曲げることなどできないのだ。ただそれだけがわかった。
これまで彼の言うことに、私は極力反論しなかった。勿論口を挟ませてもらえなかっただけということもあるが、彼の言葉がその通りだと思ったからである。
私は何の役にも立てないし学園にとって異質で無価値な存在だ。彼の言っていることは正しくだからこそ胸が裂けそうなほど痛かった。
しかしたった今彼の言葉はもはや正論ではなくなってしまった。この二週間、私が忍たまの子達と過ごす姿を見てそう感じたのであれば、それはもう問題があるのは私の方ではない。
この時私はいつもより疲れていた。連日の寝不足と今日の出来事が重なって疲労は頂点に達しており、自分の感情に我慢がきかなかった。普段なら抑えられるはずの苛立ちを何故だか止めることができない。これがいけなかった。
「それは、私が傷つかないと思って言ってるの?」
潮江くんが目を見開く。これまで自分を見ると震えていただけのはずの私が反論してきて、面食らっているようだった。
「ああ違うか。傷つけようと思ってやってるんだもんね。」
明らかに動揺を見せている彼がひどく滑稽に見えた。しかし潮江くんは目的を思い出したようで次の態勢を取る。
「はは、それがお前の本性か。ついに尻尾を掴んだぞ。おい、みんな見てみろ!これがこいつの本当の姿だ!」
潮江くんの大きな声に何事かと違う長屋からも忍たま達がやって来る。
成る程、彼はこれを狙っていたわけだ。
ふう、と深く息を吐く。何だか頭は冴えていた。
「見られたってかまわない。ねえ、貴方気づいてる?言ってること支離滅裂なの。」
これまでの蓄積だろうか。言葉が溢れて止まらない。蓋をしていた感情がどんどん押し寄せて溺れてしまいそうだった。
「俺のどこが支離滅裂だというんだ。適当なことを抜かして混乱させようとしているな。その手には乗らん。」
「わからないなら教えてあげましょうか。」
そう、ずっと引っかかっていたことだ。彼を悪い人だと思いたくなくて目を逸らしてきたが、今さら私の口は止まってくれそうになかった。
「貴方前に私が水を汲めなかった時言ってくれたよね、水一つ汲めない奴に食堂の手伝いなんてできないって。それってもうあの時にはわかってたんじゃないの?私がこの時代の人間じゃないってこと。」
先程より余裕がなくなった顔は図星であることを告げているようだった。
ああやはり。私の思い過ごしであってほしかったというのに。
「あの時すでに気づいていたのならこれまでの暴言は全部言いがかりじゃない。」
どす黒い何かが腹の底から迫り上がってくる。まるで自分じゃないみたいだ。
「確かに貴方の言ってたことは正しいよ。私は非力だし何の取り柄もない。貴方に嫌われていることで学園は変な雰囲気になっているし年下の子達にまで迷惑かけてる。」
立ち上がって真っ直ぐに彼を見据える。雨が激しくなったような気がした。
「でも、絶対に貴方ほど卑怯な人間じゃない!」
彼の眼がカッと光った。
「何だと!」
すごい勢いで胸ぐらを掴まれる。立花くんの制止する声が聞こえたような気がしたが、もはや自分の形振りなどどうでも良かった。
「ほら今も同じ。腕力で自分に敵うはずがない相手に必要以上に力を見せつけて恐怖を植えつける。そうやって支配した気になっているんでしょう。」
「この、」
「感情だけで押さえつけられて黙っていられるほど良い子でもないし大人でもないの、私は。」
潮江くんは私にとって不利な状況を作り出したかったのだろうが、今や追い詰められているのは彼の方だった。
「潮江くん、貴方ずっと駄々をこねているように見える。小さな子どもが泣き叫んでるみたい。」
「うるさい、」
「私が嘘をついていないことに気づいているのにわざわざ暴言を吐きに会いに来て、わざと遠ざけるように仕向けて。」
「黙れ……。」
「一体何にそんなに怯えているの?」
「黙れ黙れ黙れ!」
拳が振りあがる。落ちてくるであろう衝撃に思わず目を瞑ったが、いつまでたっても痛みは感じない。
「……?なに、」
違和感を覚え目を開けると、潮江くんは一点を見つめて固まっていた。その視線の先は、私の右腕にあった。
あ、まずい。咄嗟に後ろに隠そうとしたがもはや遅かった。
「っ返して!」
潮江くんは胸ぐらを掴んだまま私の持っていたスマホを取り上げた。最悪の展開である。
「お前、最近ずっとこれを持っていただろう。」
「もしかして毎日覗きに来てたの?随分悪趣味だね。」
「は、そんなことが言える立場か。」
彼がスマホを持つ手に力を込める。今にも壊れてしまいそうだ。途端に汗が滲んできた。
「これで何をする気だ。」
「何もしない。」
「嘘をつけ!何かよからぬことを企んでいるんだろう。」
「違う!これに害がないことは荷物検査で証明されてるじゃない!」
「使い方がわからぬ人間がいくら調べても何も出てくるはずがない。」
ああ、まただ。やはり彼の言っていることは矛盾している。
私が未来人であろうとなかろうと、彼にとってはどうでも良いのだ。私が悪者であれば何だって。
「返して、大事なものなの。」
先程よりも弱々しくなった声に、彼は心底愉快そうに顔を歪ませた。
「やはり、余程使える武器なのだろうな。」
「だから違うって、」
「しかしお前の企てもここまでだ。俺が終わらせてやる。」
嫌な予感というものは何故か当たるもので、にやりと笑った彼は豪雨の中へと思い切りそれを放り投げた。
まるでスローモーションのようだった。
宙へと舞った私の宝物は、そのまま地面へと叩きつけられた。
雨で地面が濡れているにも拘わらず、画面は粉々に割れてしまっている。自分の体温がなくなるのがわかった。
たった一つの家族との繋がりだった。写真を見られなくなってからも持っているだけで気分が落ち着いた。
私が確かにあの世界に生きていたことを証明してくれる、最後の支えだった。
それが今、目の前で形を失くし冷たい雨に打たれている。
その瞬間、何かが弾けた。