一章
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自室に戻って鞄を確認してみたが特に変わった様子はなかった。筆記用具・スマホ・崩し字辞典・電子辞書・ファイル・ノート。全ての物がきちんと揃って入っていた。
ありがたいことにかろうじて充電も残っている。勿論電波などはないが写真は見ることができるようだ。それが何よりの救いだった。
「……あれ、これも一緒に入ってたんだ。」
私が研究していたお姫様の日記。てっきり書庫に置いてきてしまったと思っていた。
そういえばこの日記も今いるくらいの時代のものなんじゃないかな。まあここは物語の世界だから、現実世界と繋がりはないだろうけど。
何となく日記をめくってみると、最後のページに見覚えのない和歌が添えられていた。
誰が世にながらへて見る書きとめし あとは消えせぬ形見なれども
「あれ、こんなの前はなかったような……。」
これ、なんだっけ。なんとなく覚えのある歌だな。えーと、確か。
「あ、紫式部?」
そうだ彼女の辞世の句だ、大学一年の時に講義でやったやつ。覚えていた自分を褒めたい。
どうしてこれが書かれてあるんだろう。前は確かに白紙だったはずのページだ。もしかして、この世界に来てしまったことと何か関係があるのだろうか。
次から次へと起こる不思議な体験の中でも、一際これには不気味さを感じた。自分のいた世界にここでの出来事が侵食しているような感覚だった。
頭を悩ませることが多すぎてため息を吐く。駄目だ駄目だ。しっかりしなければ。気分転換に散歩でもしようかな。
頬を叩いて気合を入れ直していると廊下から何やら騒がしい足音が聞こえてきた。
「失礼します!中に入ってもよろしいでしょうか!」
元気のいい子どもの声だ。
「ええと、どなたでしょうか。」
思わず聞き返すと今度はたくさんの声が揃って返ってきた。
『一年は組のよい子達で~す!!!!』
自分でよい子というスタイル。いいな、見習っていこう。
「ふふ、どうぞ。あ、ここだと狭いのでそちらの縁側の方に私が行きます。」
そういって障子を開けるとたくさんの目がくりくりと私を覗いていた。
「はじめまして。私はみょうじなまえといいます。」
彼らに目線を合わせてそう言えば、幼い男の子達は堰を切ったように一斉にしゃべり始めた。
「はじめまして!ナメクジさんは好きですかあ?」
「未来から来たって本当ですか!?」
「お姉さんは何歳ですか?」
「美味しいものは好きですか?」
「どうしてお姫さまと同じ顔なんですか?」
「一緒に遊んでもらえませんか?」
お、おお……。どうしよう。何から答えればいいのやら。突然の聖徳太子クエストにどうしたものかと思っていたら、少年達の後ろから若い男性が現れた。一体どこに隠れていたのか全然わからなかったが、昨日学園長室にいた人だった。
あの時は気づかなかったけど、この人も昔アニメで見たことがある。名前は確か土井先生だ。
「こらこら、お姉さんが困っているだろう。一人ずつにしなさい。……どうもすみません。」
「あ、いえ。」
彼の言葉にはーいと元気に返事をしたあと少年達は一人ずつ自己紹介を始めた。
「僕は一年は組の学級委員長、黒木庄左ヱ門です。」
この子は知ってる、昔アニメで見たことある。
「よろしくお願いします。」
「!はい、こちらこそ。」
にこりと返せば嬉しそうに笑った。な、なんて可愛いの。
「僕は山村喜三太です。ナメクジさんは好きですか?」
「よろしくお願いします。ナメクジさんは……好きかどうか考えたことなかったから、今度良さを教えてくれると嬉しいです。」
「はい!もちろんです!」
喜三太くんも知ってるな。庄左ヱ門君と合わせて準レギュラーってイメージだ。
「加藤団蔵です!家は馬借をしています。」
「馬借か、大事なお仕事ですね。」
「はい!立派な馬借になることが僕の夢です。」
「それは素敵な夢ですね。」
「ありがとうございます!」
忍者になることが目的じゃない子もいるのか。それにしても馬借ってことは馬の扱いが上手い子なのかな。
「皆本金吾です。剣豪になるために日々鍛錬しています。」
「かっこいいですね。今度見せてもらってもいいでしょうか?」
「お安い御用です。」
ふふ、少し緊張しているのかな。顔が赤い。
「夢前三治郎です!走るのとからくりが得意です。」
「からくり?」
「はい!僕一人じゃなくて兵太夫と一緒に作ってるんです。」
「兵太夫くん?」
はーいと綺麗な顔をした男の子が前に出てきた。
「僕が笹山兵太夫でーす。僕達の部屋からくり屋敷になってるので今度ご案内しますね。」
「お、お手柔らかに……。」
悪戯っぽく笑った彼に若干嫌な予感を覚えながら約束を交わす。どんな部屋になっているのかちょっと怖い。
「僕、福富しんべヱです~。美味しいものは好きですか?」
お馴染みのキャラだ!と心の中で少しテンションが上がってしまう。
「美味しいもの、大好きですよ。食堂のお手伝いもさせてもらうことになったから、よろしくお願いします。」
「やった~!お姉さんの料理、僕沢山食べちゃいます!」
「ふふ、ありがとうございます。」
「じゃあ次俺」と手を挙げたのはまたも見覚えのある男の子。
「摂津きり丸です。お金を稼ぎたいならいいアルバイト知ってるんで、気軽に仰ってください。紹介料は頂きますけどね。」
「こら!」
「いてっ。」
「すみません。」
「いえいえ。きり丸くん、よろしくお願いしますね。」
「はい、よろしくお願いします。」
土井先生に叩かれたところを抑えながら元気に返事をしてくれた。八重歯がちらりと見えて可愛い。
「僕、佐武虎若っていいます。立派な鉄砲打ちになれるよう頑張ってます!」
「鉄砲?すごいんですね。」
「はい!今度見てください!」
「勿論です。」
こんな小さい子も鉄砲使ってるんだ。やっぱりどこをとっても時代が違うんだなあ。
鉄砲がもう存在してるってことは、1543年以降ってことか。馬借って単語も出てきたし、やっぱりここ室町時代っぽい。
「猪名寺乱太郎です!絵を描くことと走ることが得意です。よろしくお願いします!」
乱太郎くん、主人公だ。
「よろしくお願いします。私も絵を描くの好きですよ。」
「本当ですか?今度一緒にスケッチしてください!」
「勿論です。楽しみにしてますね。」
乱太郎くんって絵を描くの得意なんだっけ。如何せん記憶が昔のもので忘れてるな。
「最後は僕、二郭伊助です。実家は染物屋をしています。」
「わあ、素敵ですね。」
「ありがとうございます。そしてこちらが……。」
一年は組のよい子たちの自己紹介が一通り終わると、後ろに立っていた先生が私の前に連れてこられた。
「ほら、土井先生も自己紹介してください!」
「わ、わかったから離しなさい。」
コホン、と一つ咳払いをして彼は私を見つめた。
「ええと、この子たちの担任の土井半助と申します。色々不便なことも多いでしょうから気軽に頼ってください。」
「ありがとうございます。そうさせていただきます。」
二人で軽い会釈をして笑い合う。土井先生は私を敵だとは思っていないようだ。それどころか彼の纏っている空気はとても柔らかいもので、その温かい眼差しに私の心は少し安らいでいた。
土井先生の自己紹介が終わると同時に、たくさんの質問が飛んできた。みんなで縁側に腰かけ、私は彼らの疑問に一つずつ答えた。
「それじゃあ、五百年も先の未来から来たってことですか?」
「そうだよ。」
ほえー!とみんなが驚きの声を上げる。自己紹介をしてから一時間ほど経っただろうか。側で聞いていた土井先生が、よい子たちに声をかけた。
「さあみんな、お姉さんもやることがあるんだ。そろそろ別の場所に行かせてあげなさい。」
「ええー!」
「ええーじゃないの。長々とすみません。」
「いえ、とても楽しい時間でした。みんなと仲良くなれて嬉しかったです。勿論、土井先生とも。」
「ああ、いやそんな。」
「あれ?土井先生照れてます?」
「て、照れてない。大人をからかうんじゃない!」
は組の子たちに反論する土井先生の頬は少し赤くなっていて、その慌てぶりに思わず吹き出してしまった。
尊敬と信頼が感じられる素敵な関係だなあ。少し羨ましい。
そういえば、彼らと別れる前に聞いておきたいことがあったのを思い出した。
「あの、一つお尋ねしていいですか?」
「あ、はいなんでしょう。」
「焼け跡から私を助けてくれたのはどなたでしょうか。あの時は意識が朦朧としていて、あまり覚えていなくて……。」
顔もほとんど見えていなかったが、どうしても彼らにはお礼を言いたかった。あの焼け跡から彼らが助け出してくれていなければ、今頃私は野垂れ死んでいただろう。
「ああ、それなら五年ろ組の鉢屋三郎・不破雷蔵・竹谷八左ヱ門です。」
「ありがとうございます。三人にもお礼を言いたいのですが、どこにいるかお分かりになりますか。」
「それなら私がご案内しましょうか。まだこの学園にも慣れておられないでしょうし。」
「え、いいんですか?」
これ以上迷惑をかけてもいいものだろうか。のんびり話を聞いてくれてはいたが、土井先生にも業務があるに違いない。
「勿論です。」
申し訳なさそうな表情を読み取ったのか、土井先生は間髪入れずに快い返事をくれた。
「ありがとうございます。何だかご迷惑をかけてばかりで申し訳ないです。」
「いえ、気にしないでください。この子たちが信じる人を、私が疑う理由はありませんから。」
だから心配しないでください、と言って土井先生は笑った。
その顔を見て私は、なんだか無性に泣きそうになった。怖がらなくていいと言われているようだった。一人でも気兼ねなく頼れる人間がいるようにと、気遣ってくれているのがわかった。
「っ、ありがとうございます。お世話になります。」
出てきてしまいそうな涙を抑え込み、何度目だかわからないお礼を精一杯の笑顔で伝えた。