一章
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寝られない。
先程から何度も寝返りを打っているが、一向に眠れる気配がない。体は疲れているはずなのに、処理できないほどの情報が頭で渦巻いて私を寝かせてくれないのだ。
もういっそのこと起き出してしまおう。布団を綺麗に畳んだあと、壁に体重を預けぼんやりと障子を見つめた。隙間から差し込む月明かりが、少しだけ夜の寂しさを緩和してくれる。
「……雨、降ってたのにな。」
静寂に耐え切れずぽつりと零した。今日の降水確率はずっと九十パーセントだったはずだ。晴天を告げているような綺麗な月の光は、別の世界に来てしまったことを象徴しているように思えた。
小さい頃から歴史が好きだった。勉強をしていく度に過去の暮らしや文化が鮮明に浮かび上がり、まるでその時代に訪れたかのような感覚に心が躍った。
しかし今はそれこそが悩みの種となってしまった。
元々戦のある時代がいかに恐ろしいかはよく知っていることだ。あまりに残虐な拷問・処刑方法、不完全な医療知識、飢餓。想像しただけで身が震えるような知識ばかりが頭に浮かんできて私を恐怖へと追いやる。
加えて自分は独りぼっちだ。優しくしてくれる人もいたが、元の世界での私を知る人間はここには誰もいないのである。気が遠くなるような孤独は私の不安をさらに増幅させていた。
怖くて寂しい。温かい家族を思い出して余計に胸が苦しくなった。襲い掛かる理不尽な現実に負けたくなくて、泣くことだけはしなかった。意地になっていたのかもしれない。
段々と外が明るくなってきた。いつの間にか差し込む光は朝日に変わっており、なんだか無性にお腹が空いてきてしまう。昨晩はとても食べられそうになかったので食事を断ってしまったのだ。
「起きてますか?朝御飯をお持ちしましたよ。」
ふいに女の人の声が聞こえた。回らない頭で返事をすると静かに障子が開いた。
「おはようございます。昨日は寝られましたか?」
おばあさんがにっこりと微笑んで部屋に朝御飯を運んでくれる。シナ先生以外にも女の先生がいたのか。
「おはようございます。実はあまり眠れてなくて……。」
「あらあら、それは大変。まあ無理もないわね。まだ慣れないでしょうが食事はしっかり取ってくださいね。」
「ありがとうございます。頂きます。」
おばあさんにシナ先生について聞いてみたところ、なんと本人だった。シナ先生はおばあさんの姿と若い女性の姿を使い分けているらしい。
「昨日も言いましたが、わからないことは何でも聞いてくださいね。学園長がお呼びですから朝御飯が終わったら学園長室に来てください。場所はわかりますか?」
「はい。昨日皆さんが集まっていたところですよね?」
「ええ。急ぐ必要はありませんからね。」
それでは、とシナ先生は部屋から出て行ってしまった。気を遣われているのかまだ疑われているのかはわからないが、一人の時間を用意してくれるのはありがたいことだった。
何はともあれご飯を食べよう。ただでさえ寝不足なのだから栄養を摂らないとまた倒れてしまう。
「いただきます。」
誰もいない部屋で静かに呟く。
一口啜ったお味噌汁はほっとする味わいで、冷めきってしまっていたお腹をじんわりと温めてくれた。漬物、かぼちゃの煮物、白ご飯と次々に箸をつけていく。どれもあまりに美味しいものだから、堰を切ったかのように食欲が湧き出てきた。
どんな時でもお腹は空く。優しい味を噛みしめながら、自分がここで生きていることを実感していた。
手早く食事を済ませ、私は学園長室に向かった。
「失礼します。」
中に声をかけると了承の返事が聞こえた。呼吸を整えて気合を入れなおし、障子に手を掛ける。
「すまんの、朝早くに呼び出して。」
「いえ。食事まで用意して頂いてありがとうございます。」
一礼すると座るように促されたため大人しく従う。昨日尋問されていた部屋とは思えないほど穏やかな空気が流れていた。
「さて、さっそく本題に入ろう。お主の処遇についてじゃがの。」
「え。」
まさか一晩で心変わりしたのだろうか。確かに自分は要注意人物ではあるのでいつ追い出されても仕方がないのだが。
「ああ、違う違う。お主が学園におることは変わらんよ。儂が言いたいのはここでの生活についてじゃ。」
不安が顔に出ていたらしく学園長は慌てて訂正してくれた。
「働かざる者食うべからず。お主にはこの学園で事務員として働いてもらう。」
「事務員、ですか。」
「そうじゃ。それと食堂の手伝いもしてほしいのじゃよ。何しろ生徒の人数が多くてのう。人手が足りておらん。良いかの。」
「はい。お役に立てることがあるなら何でもします。」
良かった。無料で置いてもらうより心が楽だ。料理は得意な方だし少しでも役に立てる場があるならありがたい。
「そして、お主には一つ課題を与える。」
「課題?」
「うむ。お主がここで働くとなるとそれを良く思わない輩も出るじゃろう。お主の出す食べ物を口にしなかったり、嫌な思いをすることも多いかもしれん。」
「それは、覚悟しております。」
「ほほう、頼もしいの。そこでじゃ。お主への課題というのは、自らの行動によって学園全体の信頼を勝ち取ることじゃ。」
「……信頼。」
「そうじゃ。自分を疑っている人間を信用させるというのは容易いことではないかもしれん。しかし負の感情とも真摯に向き合い、不穏な空気を忍術学園からなくすこと。これがお主を学園に置く条件とする。」
私にできるだろうか。いや、できるかではない。やるしかないのだ。今の私が恩を返せるとしたら、その条件をクリアすることくらいなのだから。
「わかりました。色々とご親切にしていただいてありがとうございます。何とお礼を言っていいか……。」
「気にすることはない。こちらも制約を課しておるわけじゃしの。課題が達成されるまでは見張りをつけたりと不便をかけるかもしれんがどうか気を悪くせんでおくれ。」
「構いません。皆さんに受け入れてもらえるよう、努力します。」
「ほっほ、良い目をしておる。今日一日はゆっくり過ごしなさい。まだ学園内のことも分からんじゃろうから好きに見て回るとよい。仕事は明日からじゃ。」
「ありがとうございます。そうさせて頂きます。」
「それとな、」
学園長はごそごそと何かを取り出して目の前に置いた。
「お主の荷物じゃ。昨日調べさせてもろうた。よくわからん物ばかりじゃったが危険ではないようじゃからお返ししよう。」
「ありがとうございます!大事な物も入っていたので助かります。」
一日ぶりに戻ってきた鞄を私はしっかりと抱きかかえた。正直もう返って来ないだろうと諦めていたので思いがけず嬉しい。学園長は本当に慈悲深い人だ。
その後食事の時間など学園内のシステムの説明を軽く受けて、私は学園長室を後にした。今日一日は自由にしていいとのことだったので、とりあえず自室に戻って荷物を確認することにしよう。