二章
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「っは、」
ようやく顔に被せられていた布が取られ新鮮な空気が肺に広がる。転がされた地面は湿っていてその黴臭さに眉根を寄せたが誰のものか分からない腕に抱きかかえられ宙に浮かされているよりは随分ましだった。さあ、ここはどこだ。
縄で縛られた体を何とか動かし自分を攫った集団を睨み上げるも暗がりでその姿が確認できない。どうする、考えろ。一体何故、何の目的で私は連れて来られたのか。
部屋の両脇で揺らめく松明に緊張ばかりが煽られる。浅い呼吸の中脱出の糸口を必死で探しているとその時様子を窺っていたらしい集団の足音がこちらに近づいた。その一歩ごとに体は強張るが負けじと精一杯の虚勢で唇を固く結ぶ。
「ふっふっふ。娘よ、怯えておるな?」
狭い空間にしわがれた不気味な声が響いた。恐怖で指先が震えてきてみるみる体温も下がっていく。それなのに嫌な汗だけは背中に滲んできて胃の奥の気持ち悪さで戻してしまいそうだった。
しかしにじり寄る人影にもう駄目だと目を瞑りかけた次の瞬間全ての感情が驚きへと塗り変わる。炎に照らされて露わになった顔。それがあまりに親しみのある懐かしの人物のものだったから。
「八方斎……?」
「何と、儂の名を知っているではないか!やはり未来から来たというのは本当らしい。」
うっかり口から滑り落ちた名前に満足そうな反応を見せる忍たま乱太郎お馴染みのキャラクター。特徴的な髪型と顎は幼少の頃テレビで活躍していた彼そのもので一気に肩の力が抜けてしまう。そうか、ここはドクタケ城なのか。無論油断など出来る状況ではないが思いがけぬ場所の特定に一先ず胸を撫で下ろした。
「しかし八方斎様。何故八方斎様の名前を知っているだけで未来から来たという事になるんです?」
「馬鹿もーん!この儂が後世に名を遺す素晴らしい忍者隊首領だからに決まっておる!」
サングラスを掛けたドクタケ忍者隊の一人と思しき人が素朴な疑問をぶつけそれに対してさも当然と言わんばかりに八方斎が吠える。いやそもそも私は異世界人だから八方斎の偉業が後世に遺っていたとしても知る術がないのだけれど。向こうの会話が盛り上がれば盛り上がる程今の状況に似つかわしくないのんびりとした空気が流れ、心の中でツッコミを入れられるくらいに冷静さが取り戻されていく。
再び彼らの意識が移る前にとりあえず頭を整理してみるとしよう。八方斎は私に対して未来から来た、と言っていた。つまりこれは単なる人攫いではなくこちらの出自を知った上で確実に私を狙ったという事になる。そうすると問題なのは彼らの目的よりも情報の出所だ。学園の人間がわざと漏らす筈はないし私も外で自分の身の上について話したりしない。ドクタケが嗅ぎつけるような要素は何処にもなかったように思えるがさてどういう絡繰りなのだろう。
「……あの、今日町に人が多かったのって貴方達の仕業ですか?」
予想に行き詰まり今度は自ら探りを入れてみる事にした。助けを呼ぶ手立てが皆無な今私はドクタケに綻びが生じるのを待つしかない。どの道縛られたままでは逃げる事すら叶わないのだ。相手が警戒心を解き隙を見せてくれるまで回りくどく言葉を掛け続けよう。
「如何にも。目玉商品が目白押しと書かれたちらしを一週間前からせっせとあちこちに配ったのだ。その甲斐あって今日は混雑に混雑を重ねた大混雑。あとは人混みに紛れてお前を攫ってしまえば良い。どうだ、完璧な作戦だろう。」
威厳たっぷりに詳細を教えてくれたが行っている作業は果てしなく地道だ。まあその作戦に引っ掛かりまんまと捕まっているのだから決して馬鹿には出来ない。たった一人の娘を捕獲するのに忍者隊総出でポスティング作業をしていたのかと思うと頭が下がると共に申し訳なさまで芽生えてくる。いつの世も実務をこなしている社員達は皆揃って大変なのだ。お疲れ様です。
「私を攫っても貴女方に得はありませんよ。」
「いいや隠しても無駄だ。お前には未来を変える特別な力があると聞いている。」
一体どうしてそんな話に。八方斎から告げられた身に覚えのない能力に開いた口が塞がらない。噂に尾びれがついているだろうとは考えていたが些かスケールが大き過ぎる。もしや天女や巫女と間違われている可能性もあるのでは。頭の痛くなってくる展開に重苦しいため息が出そうになり慌てて唾を呑み込んだ。
「残念ながら私にそのような力はないですよ。」
「嘘を吐くんじゃあない。忍術学園だけに良い思いはさせんぞ。お前を殿に献上すればきっと大層お喜びになるだろう。ドクタケ城の繁栄も約束され儂の信頼も鰻登り間違いなし。良い事づくめなのだ。」
「はあ……。」
駄目だ完全に私という存在を特別視している。それ程までに力のある女が人の多い町を無防備に歩いている訳がないと常識的な思考を持ち合わせていればすぐに分かりそうなものだが。いやしかし八方斎がそこまで私に価値を見出しているのならむしろ都合が良い。この状況を存分に利用でさせてもらおうじゃないか。
どうせ私が普通の人間だという事はいずればれてしまうのだ。ならばその時殺される前に何か策を打って出よう。
「……分かりました。私も自分の身が可愛いですし逆らう事は致しません。貴方達の繁栄に協力させて頂きます。」
「おお、話の分かる娘よ。」
「ですがその代わりもう少し丁重に扱って頂けませんか?この力は私の体調に大いに左右されるものなのです。劣悪な環境では本来の能力を発揮できません。」
「む、何だと?」
柔順な振りをして大変困った様子で眉を下げれば八方斎が唸り始める。思惑通りいけばこれで部屋の移動が叶う筈。更に待遇の改善を望み城の中を行き来出来るよう仕向けられたら付け入る隙は大いにある。一縷の勝算に掛け懇願を滲ませた瞳で彼を見上げる。すると八方斎はしばしの沈黙の後「よし」と呟いた。
「腕以外の縄は解いてやろう。後は殿と相談した末明朝決める。」
「はっ!」
私の想像とは裏腹に彼は手堅い選択を取った。命令を下されたドクタケ忍者が即座に私の体に巻かれた縄を解き重たい鉄格子にしっかりと鍵を掛ける。
うーん、今日はどうしてもこの陰気な一室で夜を明かすことになりそうだ。多少体の自由がきくようになったとはいえここから脱出するにはまだまだ先が長い。物語の中で悪役として描かれる彼らが簡単にこちらの要求を呑んでくれる訳もなく私は自分の甘さに歯噛みするしかなかった。
やはりそう上手くはいかないか。短絡的に見えても忍者隊の首領。八方斎を出し抜くにはもう少し時間が掛かりそうだ。
「ではまた明日来る。地上には見張りがいる故逃げ出すことはできんぞ。ふっふっふ。」
登場時と同じように不気味な笑みを浮かべて階段を上っていく八方斎。その発言からこの牢屋が地下にあるという事が判明してしまっているのだが軽々しく城内の地形を漏らして大丈夫なのだろうか。
薄暗い空間で一人灯り用の炎を見つめながらどうしたものかと眉間を押さえる。自身を攫った集団が思いの外呑気だったという事には感謝しかないがそれでも心は焦るばかりだ。
黙っていなくなった私をきっときり丸くんもおばちゃんも探してくれてる。忍術学園のみんなにもまた迷惑を掛けてしまう。町で人混みを避けきれなかった己の情けなさと防犯意識の低さに落ち込むなという方が無理な話。彼らの手を煩わせる前に何とか自力で脱出出来やしないかと身の程知らずな考えが浮かんでは消えた。
「……鍵、壊せないかな。」
足元に転がっていた石で錠前を叩いてみるも派手な音がしてこちらの手が痺れただけ。これでは鍵が開くより先に不審な動きに気づかれてしまう。嗚呼もう諦めて寝るしかないのか。
その後もあらゆる策を試したが一向に牢屋から出られる気配はない。町でかなり歩いていた蓄積もあって疲労は限界を迎えていた。ここに来てどのくらいが経過したのかは分からないが体感としてはもう夜中だろうか。早く帰るべき場所に帰らなければと気持ちは逸るが体が言う事を聞いてくれない。何だか立っていられなくなってきてその場にへたり込むと松明の炎が穏やかに揺れた。
地下に閉じ込められこの上なく最悪な状況の筈なのに火があるだけで少し落ち着く。重い瞼を必死で抉じ開け伸びた自分の影をぼんやり眺めた。
忍たまのみんななら、こんな状況すぐに切り抜けられるんだろう。いやそもそも攫われるなんてへましないか。思考が自嘲気味になってきて心細さが肩を叩く。晩御飯を食べ損なっていることに気づけば一気にお腹もすいてきて私は力なく土壁に凭れ掛かった。
やはり仮眠を取って精神の安定を図った方が得策かもしれない。回らぬ頭のままゆっくり体が地面へと傾いていく。明日になれば全て解決していますように。そんな都合の良い願いが胸をよぎったその時、どういう訳か私しかいない筈の部屋に風が吹いた。
見張りの巡回。瞬時にそう判断しふらふらの足に力を入れて立ち上がる。ここで弱っている姿を見せてはいけない。息を潜め階段を下りてくる足音に耳を澄ませていると私の前に姿を現したのは思いがけない四人組だった。
「なまえさん!ですよね?」
「え、っと……?」
この城の忍者隊と同じくサングラスをかけた子供達。年はきり丸くんくらいだろうか。いそいそと懐から鍵のようなものを取り出し手際よく牢屋の扉を開けてくれる。
「早くこっちへ!」
「あ、ありがとう……?」
腕を引かれるまま階段まで連れて行かれてみんなで急いで地上を目指す。何が何だか分からずとりあえずお礼を口にすると彼らは途端に表情を曇らせた。
「感謝なんか、しなくて良いんです。」
「貴方が捕まったのは僕達の所為かもしれないから。」
「え?」
石段を上り切ると泣きそうな顔に容赦なく雨粒が降り掛かる。囚われの身から解放されたのも束の間、私達は全速力で城の外まで走った。