二章
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「結局収穫ありませんでしたね。せっかく来て頂いたのに申し訳ない。」
「そんな!利吉くんが謝ることじゃないよ。少なくともあそこの山寺じゃないってことがわかったわけだし。」
「そう言っていただけるとありがたいですが……。」
心なしか肩を落としてしまっている利吉くんに慌てて首を振る。確かにお目当ての山寺ではなかったが少しでも実地調査が進んだというのはこちらにしてみれば充分すぎる収穫だ。元々夏休みは図書室に籠もるしかないと思っていた訳で、寧ろ進捗としては満点だろう。彼には感謝してもしきれない。
「もうそろそろ学園ですね。時間が経つのは本当に早い。」
利吉くんの視線の先には真っ赤な夕焼け。もう何分もしないうちに陽が落ちるだろう空はどこか寂し気でそれが彼の横顔の美しさを一層際立たせているように思えた。
「わざわざ送ってもらっちゃってごめんね。」
「いえ、これくらいさせてください。もう陽も暮れるというのに女性を一人で帰すわけにはいきませんから。」
「……うん、ありがとう。」
名残惜しそうに歩幅を縮める彼に胸が苦しくなる。一人の学園に帰るのは寂しいと、口には出さずとも私もそう思っているはずなのにどうしたって引き留めるわけにはいかない。大人になるというのはこれ程までに悲しいものだっただろうか。
辺りが暗くなり始めた頃ようやく忍術学園へと辿り着く。一息ついて利吉くんを見送ろうと顔を上げれば物欲しげな彼と目が合い途端に体温が下がった気がした。これはまずい、と頭の中で警鐘が鳴る。
「それじゃあ気をつけて。今日は本当にありがとうね。」
内心焦りながらも昨日と同じ笑みを浮かべる。そうしていつも通りその背中を送り出すつもりだった。けれど。
「……なまえさん。」
いつもと違っていたのは別れの挨拶の為にひらひらと揺れる私の手を、一回り大きな彼の手が捕らえてしまったこと。
「もう少しだけここに居たいというのは、我儘でしょうか。」
熱っぽい瞳でじっと見つめられて息が詰まる。言葉を発せば泣いてしまいそうで私は何も言えずに俯いた。
「なまえさん、もし許されると言うなら私は……その、貴方のことを……。」
駄目、それ以上は。耳を塞ぎたくなる衝動に駆られたその時ひやりとした空気が横切った。驚いて視線を遣ると利吉くんも似たような表情で固まっている。
「おや、なまえさんと利吉さん。こんなところでどうされたんです?」
ずっと待ち焦がれていた声が夜に響いた。利吉くんがいよいよ核心を突くと思われた瞬間気配も音もなく現れたその人。立花くんはいつもの微笑を保って私のすぐ傍に立っていた。
「……立花くん。新学期にはまだ早いと思うが君こそどうしたんだい。」
「少し調べ物があって早めに家を発ちました。なまえさんを一人にしておくのも忍びなかったですし。」
立花くんの手が私の肩に置かれてほんの一瞬利吉くんの眉が寄る。一触即発の雰囲気が漂い先程とはまた別の冷や汗が背中に滲んだ。
「利吉さんは何用でここに?」
「ああ、私は今日なまえさんのお供をして山寺調査に行っていてね。残念ながら収穫はなしだが二人きりで過ごせて良い休息になったよ。」
「それは何よりです。明日も早いでしょうから後は私に任せてお引き取りを。くれぐれも道中気をつけてくださいね。」
「生憎今は私も夏休みなんだ。幾ら優秀と言えどこの広い学園に君一人じゃ心許ないだろう。明日の朝も訪ねてくることにするよ。」
「いえ、利吉さんの手を煩わせる訳にはいきませんから。」
正直怖い。二人とも笑顔を貼りつけてにこやかに会話を繰り広げてはいるが目の奥は全く笑っていない。本来ならきっとここは私が仲裁するべき場面。しかし口を挟める隙などあるはずもなく不穏なやり取りを黙って見ていることしかできなかった。
「まあ今日のところはお暇するよ。なまえさんも君に預けていれば安心だろうし。」
「預けるも何もなまえさんは誰のものでもありませんよ。」
利吉くんからその一言を受けた立花くんは特段声を低くした。怒気を孕んでいるようにすら感じる彼の鋭い視線にさすがの利吉くんも一瞬たじろぐ。
「……これは失礼した。」
「こちらこそ不躾な言い方をしてしまい申し訳ありません。」
深々と頭を下げる立花くんはもう怒っているようには見えなくて。とりあえず喧嘩が始まらなかったことに胸を撫で下ろす。
「それじゃあ本当に僕はこれで。なまえさん、また近い内に会いに来ます。」
「あ、うん。気をつけてね。」
別れを告げるが早いか利吉くんは一瞬で夜の闇に消えた。呆気に取られていた私はぼんやりと彼がいたはずの地面に視線を落とし、改めてとんでもない現場に遭遇したのかもしれないと今しがた起こった事を咀嚼した。殴り合いにならなかったのが本当に奇跡。
「……なまえさん。」
名前を呼ばれて振り向けば先程とは全く別物の笑顔で立花くんが迎えてくれる。嗚呼、いつもの彼だ。二週間とちょっとしか経っていないはずなのに随分と久しぶりな気がして油断すれば泣いてしまいそうだった。
「おかえり、立花くん。」
ぐっと唇を噛んで一番伝えたかったことを口にする。すると彼は緩やかに目を細め優しく私の髪を撫でた。
「只今帰りました。なまえさんも今日はお疲れでしょうから早く中に入って休みましょう。」
「うん。」
自分の体力のなさを見越して山寺への出発前に鍋物を作っておいた事を教えると立花くんは顔を綻ばせた。お互い道中で汗をかいているのもあり食事の前にお風呂に入ることになる。
「じゃあ支度が出来たら食堂に集合ね。」
「はい。あ、なまえさん。」
「うん?」
一度自室に戻ろうとすれば不意に立花くんに呼び止められる。何か用事だろうか。不思議に思って首を傾げると彼は一歩私に近づいた。
「出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした。」
困ったみたいに眉を下げる彼はどうやら先程のことを気にしているようで。その真面目さに思わずくすりと笑みが零れる。
こんな思い早く捨てなくてはならないのに。立花くんの一言に満たされてしまう自分がどうしようもなく情けなかった。
「ううん、いいの。……帰ってきてくれてありがとう。」
喜びと寂しさが綯い交ぜになって心に淡い染みを作る。貴方の隣に居られることがこんなにも嬉しいだなんて。許されるはずのない気持ちをぐしゃりと握り潰して自室に続く廊下を暗闇の中一人歩いた。