二章
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父上がようやく重い腰を上げ帰り支度を始めた。待っている間手持ち無沙汰な私を見兼ねて彼女が話し相手になってくれている。食堂で二人大福を食べながら信じ難い彼女の身の上にじっと耳を傾けていた。
「ではその山寺を見つけた時がなまえさんの帰る時だと……。」
「うん、多分ね。」
あまりに現実離れした突飛な話だが彼女が嘘をつくはずもない。少々驚きはしたものの異世界人となればなまえさんの纏う独特な雰囲気や美しい所作にも納得がいった。彼女が誰で何を思って生きてきたのか。その一端に触れることができて私は嬉しささえ覚えていた。
しかし勝手に顔を綻ばせていたのも束の間。より詳しく現状を聞くにつれ嬉しさは別の衝撃へと変わる。
なまえさんがこの世界からいなくなってしまう。たった今こうして言葉を交わしている彼女との今生の別れが私の知らぬ間に訪れようとしていた。そんな、まだ出会ったばかりだというのに。ぐらりと天地が揺れるようで気分は奈落の底へと沈んでいく。
「いつ帰っちゃうかわからないから、今日利吉くんに会えて良かった。」
「っ。」
私の胸の内を知ってか知らずか、彼女は太陽のような輝かしさでふわりと目を細めた。その微笑み一つで地獄は天国に。纏わりついていた重たさから浮上し体は宙に浮いてる気さえする。食堂はこんなに暑かっただろうか。
「……私も、お会いできて良かったです。」
「ふふ、ありがとう。」
顔の赤さを悟られないように出来るだけ短く答える。同じ言葉を受け取っていても彼女の鼓動は変わらないらしく自分だけが動揺しているのがひどく滑稽に思えた。
「なまえさんは、その……心に決めた方などはいらっしゃるんでしょうか。」
「え?」
ここで引きたくない、と思ってしまった。どうせすぐに別れてしまうのだからと諦めることは幾らでもできたはずなのに。彼女の大人びた対応が、少し遠くを見ているような寂しげな瞳が。このまま帰してはいけないと熱に浮かされた私を突き動かす。
「心に決めた人?」
「ええあの、ご結婚や恋人など……。」
格好悪くも言い淀むと彼女は少しも焦ることなく笑った。ああやはり意識しているのは私だけか。
「それ久し振りに聞かれたなあ。ご期待に沿える答えじゃないかもだけどそういう人はいません。」
「そ、そうですか。」
むしろいなくて万々歳ですとは口が裂けても言えまい。あからさまに喜んでしまった自分を制す為熱くなった顔を懸命に冷ます。彼女と気持ちを通わせられる可能性がまだ私にもあったのだと判明し心の中で祝杯を上げた。
「ここでいますって言えたら格好つくんだけどね。」
「いえそんな。いないからといってどうということでは。」
お恥ずかしいと頬を掻く彼女に慌てて首を振る。立ち入ったことを聞いてしまっただろうか。なまえさんから不躾なやつだと思われていないか途端に不安になって言い訳を探した。
「おおここにいたか利吉。そろそろ出るぞ。」
信頼をどう回復させようかと考えあぐねていると父上が風呂敷を背負って食堂に入ってきた。なまえさんは「門まで送ります」と立ち上がって何やら包みを持ってくる。
「中身はおにぎりなので道中で召し上がってください。お二人なら大丈夫でしょうけど、どうかお気をつけて。」
「すまないなみょうじさん。ありがたく頂いていきます。」
父上が包みを受け取り懐に入れる。おにぎりといえど彼女の手料理には変わりなく私の胸は上機嫌に弾んだ。
すっかり橙に染まった空の下三人で忍術学園の門を出る。もうすぐ暗くなるからか彼女の顔は不安げでそれが名残惜しさを一層強めた。
「……あの、また会いに来てもよろしいでしょうか。」
堪らず次の約束を持ち出すと彼女はきょとんと目を丸めた。これほど積極的に詰め寄ってはさすがに気持ちが暴かれてしまいそうだ。思わず口を突いて出た言葉に内心ひやりとしたが彼女は柔らかい笑みを浮かべて頷いてくれた。
「うん。みんな帰っちゃって明日から一人だから。お話しできると嬉しい。」
寂しそうに曇っていた彼女の表情がほんのりと明るくなる。夕陽の差す真っ白な肌に触れたくなる衝動をなけなしの理性で抑えつけた。今日会ったばかりだというのにこの人を守りたいという気持ちがどんどん膨れ上がっていく。
「それではまた伺います。」
「うん、ありがとう。気をつけて。」
父上と共に会釈して母上の待つ家へと歩き始める。度々後ろを見ると彼女はずっと手を振り続けてくれていて、一人残していくことにどうしようもなく胸が痛んだ。
明日も、笑っていてくれるだろうか。彼女のことばかりが気になって父との会話に身が入らない。
きっとすぐに会いに行こう。そう心に誓って夜の闇の中家路を辿った。