二章
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「失礼いたします。お茶をお持ちしました。」
二人分の湯呑みが乗ったお盆を部屋の前まで運ぶと談笑している声が中から聞こえた。山田先生と息子さん、仲が良いんだな。親子水入らずを邪魔するわけにはいかないし私はすぐにお暇しよう。
そう思いながら障子を開けたにも拘らず私を見るなり二人がおいでと手招きする。何故だかお茶を置いただけでは帰してもらえそうにない雰囲気に首を傾げながらも大人しくそれに従った。
「あの、何か……?」
湯呑みを手渡しながら呼ばれた真意を問うと山田先生は困ったように眉を下げて笑った。
「ああ、申し訳ない。息子と二人だとどうにも平行線で話が進まなくてね。みょうじさんさえ良ければ間に入って頂きたいのですが如何かな。」
「ええと、時間もありますし私は構いませんが……。」
ちらりと彼の隣を窺えば端正な顔で微笑まれる。うーん確かにこれは心を奪われるのもわかる気がする。くのたまの子達の噂に違わぬその美貌。これ程の暑さだというのに汗一つかいていない眉目秀麗な青年は全く隙のない空気を纏って私の対面に座っていた。目元がとても、お父さんに似ている。
「それではお邪魔させて頂いて。」
「ええ是非。利吉とはもう挨拶はされましたかな。」
会話に加わるために改めて姿勢を正すと山田先生はお茶を一口啜った。
「先程済ませました。……もう少し話したいと思っていたから丁度良かった。」
彼からの質問に答えたのは私ではなくほんのりはにかんだ麗しの君。近寄り難い印象を受けていたこともあり快く歓迎されていることに多少驚いてしまう。
「私もお話ししたいと思っていたので嬉しいです。今日は何用でこちらに……っていうのはお伺いしてもいいんでしょうか。」
「ああ父を連れ戻しにね。夏休みも終盤だというのにまだ帰らないから母がかんかんで。」
「一年は組は人数も多いですし何かとお忙しそうですもんね。」
「それにしたって帰らなさすぎるよ。母の堪忍袋の緒が切れたおかげで私がこうして迎えに来なくちゃならない。」
「ふふ。」
意外と軽快な会話が続いて初対面の人と接する緊張はほぐれてきた。しかしそんな私たちのラリーをじっと黙って聞いていたお方が一人。困惑にも似た渋い顔で楽しげな息子に苦言を呈する。
「……利吉、お前いつからみょうじさんにそんな口きくようになったんだ。さっき会ったばかりなんだろう。」
「「え?」」
「彼女はお前さんより年上だぞ。」
「「えっ。」」
二人分の声が重なりお互い勘違いをしていたことを知る。ちょっと待って完全に年上だとばかり。彼の方に視線をやると私以上に信じられないといった瞳でこちらを見つめている。
「し、失礼しました……ちなみにおいくつかというのは……。」
「ああいえこちらこそ。今年で二十二になります。」
「二十二!?」
「こら失礼だろう。」
「あ、も、申し訳ありません。」
動揺を隠せず山田先生に咎められてる彼は人間味があってちょっと可愛い。ここに来たばかりの頃勘ちゃんに年齢聞かれたの思い出すなあ。あの時も全員絶句してしまって気まずい空気が流れていた。
「あの、私は気にしませんから特段敬語でなくても……。」
「いえ!そういうわけにはいきません。改めてとんだご無礼を働いてしまい申し訳ありませんでした。私の方が四つも下ですのでみょうじさんはどうぞ気兼ねなくお話しください。」
「え、ええと。」
まだ彼は二十歳になってなかったのかと若干ショックを受けつつどうしようかと山田先生に助けを求める。すると彼は息子をよろしくといった様子でうんうんと深く頷きもう一口お茶を啜った。成る程。
「じゃあ、利吉くんって呼ばせてもらってもいい?」
二人が許してくれるのならお言葉に甘えさせて頂こう。私がこくりと頷けば彼の表情がみるみる明るくなり危うく眩しさで目が潰れそうになった。
「勿論です。私はなまえさんと呼ばせて頂いても構いませんか。」
「あ、はい、あの……うん。」
随分歯切れの悪い返事に自分ながら苦笑してしまう。名前呼び、大丈夫だっただろうか。山田先生がいらっしゃるから山田くんと呼ぶのは些かおかしい気がして利吉くんを選んだんだけれど。まさか彼まで下の名前を提案してくるとは予想外だった。意外と親しくなるのが早い質なのかもしれない。どうしようか。
いや、幾ら何でも警戒しすぎだ。雁字搦めになっている頭に大丈夫だと言い聞かせて息を吐く。
うん、きっと問題ない。不用意に近づきさえしなければきっと。そもそも会う機会すら少ない相手。万が一にも彼の心が動くことはない、はず。
「なまえさん?」
名前を呼ばれて我に返る。ほんの数秒思考を巡らせていただけのはずだがこちらを覗きこむ彼の目は気遣わしげだった。
「……ごめん、ちょっと暑くてぼーっとしちゃった。」
「今日は特に蒸しますからね。きちんと水分を摂っておかないと……ってなまえさんの分がないじゃないですか。」
「あ、すぐ出てくつもりだったから……。」
「それでは私が淹れてきますね。」
「え、だ、大丈夫だよ座ってて。」
颯爽と立ち上がる利吉くんを慌てて止める。何だかさっきよりも随分人懐こくなってるように見えるけど年上との付き合いの方が得意なんだろうか。
「二人のお茶もなくなってるしまた注いでくるよ。ついでに自分の分も淹れちゃうから利吉くんはここにいて。」
「ですが……。」
「お客様をおもてなしするのも事務員の仕事だから、ね?」
「……はい。」
渋々首を縦に振った利吉くんは素直で良い子だ。恐らく愛されて育ったのだろうなと彼の背景を感じ取り隣で目を細めている山田先生の偉大さが身に沁みた。
「それでは一度失礼しますね。」
空の湯飲みとお盆を持ち上げ蒸し暑い廊下へと踏み出した。痛いくらいの陽射しに思わずぐっと眉を寄せると私のいなくなった部屋が騒がしくなる。
「いやはやみょうじさんが嫁に来てくれたら安泰なんだがなあ。お前さん借りてきた猫みたいだったじゃないか!」
「ちょ、父上!聞こえますって!」
真っ赤になって怒ってる姿が容易に想像できてくすりと笑みが零れた。やっぱりあの親子仲良いなあ。そんなぼんやりとした考えばかりを浮かべて意識的に思考を止める。
うっすら赤みを差した頬だとか何かを期待しているような目だとか。普段周りには見せないだろう人懐こさだとか。お願いだから気づかないままでいさせて。
私の名前を呼ぶ利吉くんの声が耳に残って離れない。熱を孕んだ彼の視線は鉛になって胸の奥へと消えていった。
これは自惚れなどではない。私はもう持ち物を増やすわけにはいかないのだ。大事な思い出も消したくない感情も。どうか、これ以上は。
全て取り上げられてしまうのなら最初から掴もうとしなければ良い。喉の奥に詰まった言葉を決して外に出すことのないよう、固く唇を噛んで蓋をした。