二章
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涼しげな顔と噂される自分でも参ってしまう気温の中、地面に汗が落ちて染みを作る様子を遠くの出来事かのようにぼんやり眺めた。夏も下旬に入ったといえど昼間の太陽は尋常ではない。何故私がこの噎せ返るような暑さに耐え忍びながら長い道のりを辿らねばならないのか。理由を作った張本人は今頃部屋でくつろいでいるのかと思うとより一層忌々しさが増した。
ざりざりと土を踏みしめて歩を進めればようやく目的の大きな看板が見えてくる。凡そ忍ぶ気のない存在感で書かれた忍術学園の文字の前で呼吸を整え、慣れた手つきで三度門を叩いた。
回らない頭で小松田くんの相手をするのは少々気が重い。吉野先生がいてくだされば話は早いが望み薄だろう。さっさと学園内に入ってしまうのが吉か、とため息を零せばこちらに向かって走ってくる足音が一つ。あれ、これ小松田くんじゃないな。
「どちら様でしょうか?」
静かに門を開けて出迎えてくれたのは予想していた人物とはまるで違っていて。情けないことに私は一瞬口がきけなかった。
真夏だというのに日焼け一つしていない白い肌。吸い込まれてしまいそうな程大きくて綺麗な瞳。まるで上等な絹を思わせるような艶やかな髪。その全てに心を奪われ足が棒になってしまったみたいに動かない。
「あの……?」
「……あ、ああすまない。山田利吉と申します。少しばかり所用があってここに来たんだが、山田伝蔵はいるかな。」
大丈夫だ声は裏返っていない。自身の緊張を隠して努めて涼やかに笑みを浮かべると彼女は私の顔を見つめて表情を明るくした。
「ふふ、よく似ていらっしゃいますね。」
「そうかな。」
「はい。落ち着いた雰囲気がとても。」
緩やかに目を細める仕草にどきりとする。彼女はすでに私のことを知っていたらしくたったそれだけの事実に舞い上がりそうになる自分がいた。
「初めてお会いしたのに不躾に申し訳ありませんでした。私は新しい事務員のみょうじなまえと申します。山田先生は丁度今お部屋で昼食を取られている最中だと思いますのでご案内しますね。」
「ありがとう、助かるよ。」
深々と頭を下げてくれた彼女は名前までもが美しい。手渡してくれた入門票にサインをしながらつい長い睫毛を盗み見た。
「今日は一段と暑いですね。道中は大変だったでしょう。」
「いや、日頃の任務と比べればどうということはなかったよ。」
「ふふ、すごいなあ。売れっ子忍者さんなんですものね。」
「そんな売れっ子という程では。」
世間話をしつつ長い廊下を二人で進む。包み込んでくれるような柔らかい笑顔に心臓を鷲掴みにされ彼女は一体どこの誰なのだろうと興味が湧いた。
立ち振る舞いが上品なのは生まれが高貴だからだろうか。いやしかし卒のない仕事ぶりは優秀なくノ一を思わせる。どちらにしても平凡な町娘ではないことは何となく察しがついていた。
「こちらです。」
父の部屋の前で彼女が止まり私の思考もそこで遮断される。案内を終えた彼女は「すぐにお茶をお持ちします」と踵を返し私は礼を言う暇もなく一人取り残された。途端に鬱陶しい暑さが体に纏わりついてくる。
「……父上、入りますよ。」
何故か一抹の寂しさに襲われながら障子の向こうに呼び掛ける。どうやら足音で私の訪問には気づいていたらしくすぐに焦りを含んだ了承が返ってきた。家に帰るというごく当たり前の行動にここまで動揺するのも彼ぐらいなものだろう。
迎え入れられる間際ふと廊下の方を振り返る。まだ彼女が戻ってくる気配はなく首筋を伝う汗に不快感が募った。
たった一瞬言葉を交わしただけだというのに胸に詰まるこの感情は何だ。まるで自身の欲が掻き立てられているかのようで思わず小さく首を振る。
色に負けるなど忍者失格。冷静さを欠いては事を仕損じる。まずは見極めなければ。彼女が何者たるかを。今後の私の身の振り方を。深呼吸をして精神統一を図り今度こそ障子に手を掛けた。
「お久し振りです。」
蝉の声はこんなに喧しかっただろうか。彼女がいなくなった廊下はぴたりと風が止み気怠さだけが居座っていた。