二章
設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
酷い夕立のあと少しは涼しくなっただろうかと外に出てみれば門の方に人影が見えた。まさかあの雨の中外出でもしてたのか。気の毒な忍たまもいるもんだと他人事のように考えていたがその姿がはっきりして身が凍った。
「なまえさん……!?」
「あれ、三郎くんこんばんは。」
いやこんばんはじゃなくて。全身ずぶ濡れの彼女は「恥ずかしいとこ見られちゃったな」と至って朗らかに笑っている。ああもうどこから突っ込めばいい。
「門の掃除が終わって箒片づけに用具倉庫向かったところで降ってきちゃって。丁度校庭の真ん中だったから雨宿りできるとこなかったんだよね。」
「風邪引きますよ……。」
保健委員の運の悪さが移ったとしか思えない。夏とはいえ雨に打たれれば冷えるだろうしもう少し自分の体調にも気を遣ってもらいたいものだ。俺なんかが言えたことではないがここは一つ注意しておくべきか。そう思ってもう一度彼女に向き直ったところ俺は硬直して動けなくなった。
「?どうしたの三郎くん。」
首を傾げる仕草も相まってますます熱が上がってくる。しかしどれだけ動揺しようとも今は視線を下にずらすわけにはいかなかった。
最初に気づくべきだったのだがなまえさんは全身ずぶ濡れ。つまり何と形容すればいい。着物が貼り付いてしまっているのだ、体に。そして普段はあまり気にならない膨らみがこれでもかと強調されている。
思わずごくりと唾を吞んだ。やめろ考えるな。鎮まれ煩悩。必死に己と闘って邪な衝動を吹き飛ばす。
「……いえ、とりあえず風呂に入った方がいいです。」
「あ、そうだね。今から行ってくるよ。」
こちらの葛藤など知る由もなくなまえさんは屈託のない笑顔を浮かべている。いやこれ絶対に意識されてない気がしてきたな。厳しい現実を目の当たりにしてはは、と自分自身への苦笑が漏れた。
にこやかに俺に手を振り自室へと着替えを取りに戻る彼女。熱くなった顔でその背を見送りながらこんな風に颯爽と俺の前から消えてしまうのだろうかと嫌でも考えた。
夏休みだというのに何故俺がまだここに留まっているのか。答えは実に簡単だった。
立花先輩より長くなまえさんといたかったから。理由なんてそれしかない。あまりにも幼稚で、どこまでも馬鹿みたいな独占欲だ。
彼女の帰る方法が見つかったと聞かされた時、俺はしばらく指先を動かすことすらできなかった。まるで時間が止まったかのように周りの会話が入らなくなり呼吸さえもしていたかどうかわからない。いつかはいなくなってしまうのだと頭では理解していたはずなのに、まさかこんなに早くその時が訪れようとは。尤も見知らぬ土地で二月を過ごした彼女にとっては決して短い年月ではなかったのかもしれないが。
ぞわりと身の竦むような悪寒に襲われ己の認識の甘さに愕然とした。生きる世界が違う。そのことを俺は真の意味で理解などしていなかったのだ。
近い未来、恐らく彼女はこの手から零れ落ちていく。その前にどうにか、少しでも自分という存在を深く刻みつけたかった。彼女が忙しない日々の中でふと思い出してくれるように。あの人よりももっと鮮明に俺のことを覚えていてくれるように。
「……阿呆か、俺は。」
自嘲交じりに零した言葉を拾ってくれる者はいない。無邪気に笑う彼女を思い浮かべて胸が潰されそうになりながら夜の闇に染まっていく空から目を逸らした。
最早この俺に猶予は残されていないのだ。