合宿
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目を覚ますと病室だった。頭がボーッとしてうまく動かない。体が怠い。私どうしたんだっけ。
「!起きたか。ちょ、先生呼んで、いやナースコールか。」
隣にはなぜか焦った様子の瀬呂くん。他には誰もいなかった。わざわざお見舞いに来てくれたのだろうか。段々と意識がはっきりしてくる。
「今何日?」
ようやく思考が機能し始めた。私が目を覚ましたことを報告してくれようとする手を、彼の服の裾を掴んで止める。彼は私の剣幕にたじろぎながら丸一日寝ていたことを教えてくれた。
「……爆豪くんは。」
私の問いかけに視線を泳がせる瀬呂くん。もうそれだけで十分だった。爆豪くんは攫われてしまった。丸一日たっても戻ってきてない。私たちは敗けてしまった。言葉を交わさなくてもはっきりとわかった。まるで強く殴られたように頭がガンガン痛む。
「……私のせいだ。」
「違う。」
ポツリと呟くとすぐに返ってきたのは否定の言葉。違わない。違わないよだって。
「私、爆豪くんの手、掴めなかった……!」
膝の力が抜けて、届くはずの手が空を切った。彼は私の方に手を伸ばしてくれていたのに。あの時確かに救けを求める目をしてたのに。
「わ、私が踏ん張ってたら……!さらわれなかった!助けられてた!……っまた、掴めなかった……!」
どれだけ体が痛んでも、あの場面で失敗は絶対に許されない。爆豪くんにもきっと失望されただろう。
いつだって助けたいと思うものには手が届かない。焦凍くんの時も、今も。助けを求める手を掴めない。いつだって自分が弱くて情けなくて、ほしいものに届かない。幼い頃からまるで成長してないじゃないか。
「こ、こんなんじゃ、っこんなんじゃヒーローになんてなれない!目標見つけたいとか言って、頑張った気になって!結局何も変わってない!」
「みょうじ落ち着け。まだ起きたばっかで混乱してんだ。」
「違うよ!何で責めないの、私のせいだよ……!」
瀬呂くんが私の腕を掴む。どうしてこんな時まで優しくするの。私にそんな価値ないのに。
ヒーローになることを義務とされてきたから。ずっとそういう思想を植え続けられてきたから。自分の気持ちにも自信が持てない。体育祭のあとの思いも、本当は私の気持ちじゃないのかもしれない。無意識に刷り込まれたものなのかもしれない。
だって結局何も守れてない。強くなりたいとか本気でやりたいとか。全部嘘だったとしても全然不思議じゃない。変わった気になってみんなの真似事をしたところで役立たずの私はそのままだ。瀬呂くんにだって見放されても仕方がないのに目の前の彼は視線をまっすぐ向けて逸らしてくれない。
「こんな目的もなくて中途半端で!肝心な時に何の役にも立たなくて!」
「みょうじ。」
「友達一人も守れないような奴が誰のことも救えるわけ……!」
「みょうじ。」
肩を掴まれ言葉を遮られる。思わず押し黙るといつもより真剣な顔の瀬呂くんと目が合った。そんな顔しないで。もう情けない自分を見られたくなかった。私は私を諦めたいのに彼はそれを許してくれない。もういっそのことお前のせいだって罵倒してくれた方が気が楽なのに。
「もう答え出てんじゃん。」
「は……。」
「大事なモンの手掴めないってこんだけ後悔してんなら、もう答えわかってんじゃねーの。」
何を言われてるのだろう。頭が回らない。答えなんて、そんなのもう誰にも迷惑かけないようにヒーローを諦めるしかないのに。嫌な感情ばかりが次から次へと浮かんでくる。
「USJで相澤先生や梅雨ちゃんを助けた時も、合宿で走り回ってた時も、みょうじの意志じゃなかったか?少しでも親父さんの顔がちらついたか?ヒーローならこうするべき、とか考えて動いてたか?」
何でいきなりお父さんの話。彼が何を言おうとしてるのか。なんで今そんな話をするのか。全然わからない。けれどなぜだか視線を逸らすことができず、じっと見つめ合う。
「ち、がう……。ちがう。私はただ、助けなきゃって、勝手に、体が、うご、いて。」
うまく言葉が出てこない。改めて自分の無能さを思い出すとどうしようもなく腹が立った。勝手に体が動いたって、助けようと飛び出したって、私が成せたことなんて一つもない。結局消太くんは大怪我をしたし爆豪くんだって攫われてしまった。あまりの情けなさに吐き気がする。
「だろ?そんじゃもうみょうじは立派なヒーローだよ。俺は誰より素質があると思ってるけどね。」
瀬呂くんはいつもみたいに優しく頭を撫でる。けれどずっと大切にしてきたはずの温かさを今日は受け入れることができなかった。だってそんなことをしてもらえる資格、私にはない。
どうせ無理だったんだ。私には元から何もなかった。空っぽだった。ヒーローになれる素質なんて、自分にあるとは到底思えない。
どうしてだろう。瀬呂くんの言葉が響かない。いつも私の行く道を明るく照らしてくれるはずの彼の言葉に、今は拒否反応すら出ている。もう何も聞きたくない。何もしゃべりたくない。いっそ耳を塞いでしまいたいのに彼は私を逃がしてはくれない。
「みょうじ、今ちゃんと言って。思ってること。今何考えてるか。」
「そ、んなの。わかるでしょ。私、消えてなくなりたい。なにもできない。……なにも、できなかった……!」
こんな瀬呂くんは初めてだ。いつだって境界線を見極めて踏み込んでこなかった彼が、今は入ってきてほしくないところにズカズカと入ってくる。もうやめてほしいのに、心を掴んだまま離してくれない。
瀬呂くんはまだ私の気持ちを聞いてくれようとする。その真剣な瞳にすべてを見透かされるのが怖かった。駄目な自分をもう見ないでほしかった。
「んなことねーよ。ずっと施設にいた俺なんかよりよっぽど人のためになることできたって。」
人のため。そうだろうか。円場くんはガスでぐったりしてた。私がもう少し早く敵を倒せていたらああはならなかったかもしれない。爆豪くんは私が火傷なんて負ってなかったら助け出せた。全部弱い私のせいだ。
「でも、何もない、私。どうなりたいのかも、全然。だって結局、ガスの被害、あんまり止められなくて。ばくご、くんも。」
「みょうじがいなかったらもっとひでえことになってたよ。つかそんなボロボロで友達の心配してることがもう答えだわ。」
「え、」
彼はしっかりと私を見据えて、諭すように続けた。私はやっぱり彼の言いたいことがわからない。いつだって私よりも私のことを知ってる瀬呂くん。何か私の気づいてない気持ちに気づいているのだろうか。今の私に光があるとでもいうのだろうか。縋れるものがあるなら、私はそれに縋ってもいいのだろうか。
自分のことがわからない。喉から手が出るほど知りたかった答えを、目の前の彼は以前から知ってたかのように話す。
「みょうじは、ちゃんと強くなりたいのよ。みんな守れるように、強くなりてーの。わかる?」
「でも、」
「ずっと親父さんの言うこと聞いてきてさ、自分の気持ち信じられなかったりすんのも分かるよ。本当に自分の気持ちなのかってさ。親父さんの感情入ってんじゃないのかって疑いたくなる気持ちも分かる。」
私の言葉を先回りする瀬呂くん。彼の言ってることが信じられなかった。強くなりたいなんて漠然としたもの、それが私の答えなのだろうか。そんな気持ちは前から持っていたような気がするけど。結局何のために強くなりたいかはあやふやなままだ。
「そんでもさ、俺とかA組のやつらからしたらどー見てもヒーロー馬鹿よ。助けたいと思ったら無理やり突っ込んでいくし、助けるためなら自分の体二の次だしさ。ほんっとーに毎回毎回寿命縮むわ!」
「ご、ごめんなさい。」
怒られてるような気持ちになって思わず謝る。彼の静かな声が、段々と冷静さを取り戻してくれているようだった。彼の言葉が上手く入って来なくても、先ほどまでの拒否反応はない気がした。
「……まあお小言は置いといて。だからちゃんとあるよ。みょうじがなりたい自分。気づいてないだけでさ。少なくとも、親父さん関係なく俺はみょうじがヒーローになりたいように見えるよ。みょうじならこれまで取り零した手をちゃんと、全部掴めるようになる。」
「取り零した手……。」
ずっと泣いていた幼い焦凍くんの手。私に歩み寄ろうとしてくれた爆豪くんの控えめな手。そうだちゃんと掴みたかった。私は二人を確かに助けたかった。
言われてみれば単純なことだ。掴むことができないと嘆かなくていいように、必ず掴めるように強くなる。道は険しくてもシンプルなこと。難しく考えすぎて、自分の失態ばかりが目について、何も見えなくなっていた。すっと光が差した気がした。
もう誰の手も逃がしたくない。だから一つも零さないように強くなる。それがきっと私の望む力。
いまだに誰のことも助けられなくて、どうしようもなく後悔している。力が抜けて自分の手が空を切ったあの瞬間が嫌でも蘇ってくる。それでも。だからこそ今、私はヒーローを目指すことをやめちゃいけないんだ。絶望して諦めるのは今じゃない。まだ掴める手がそこにある。自分ができることを放棄したまま逃げたらそれこそ一生悔やみ続ける。今度こそ、助けるんだ。
「なっても、いいのかな。ヒーロー。みんなの、隣に。」
「ん、いてほしい。」
落ち着いてきた私の頭を瀬呂くんがポンポンと撫でる。今度はちゃんといつもみたいな温かい感情が流れ込んできた。
「みょうじなまえは、絶対いいヒーローになるよ。瀬呂くんの保証付き。」
優しい笑顔で包み込んでくれる瀬呂くん。彼の穏やかな顔が誰かと重なる。その時不意に記憶が蘇ってきた。幼い日の記憶。恐らく私の最初の記憶。
『お父さんはすごく強いね!』
『そうかい?』
『私も強くなったら、お父さんとお母さんを守れるかなぁ。』
『きっと守れるよ。その気持ちを忘れさえしなければ。』
忘れかけていた父の本当の笑顔。膝の上で最愛の父を見上げる自分。じわりと視界が滲んでいった。
「あ、りが、とう。」
決して人目が触れるところで泣いてはいけないと、飲み込んできたもの。それが堰を切ったように溢れ出してくる。
こんなに唐突に思い出すなんて思ってもなかった。ずっと忘れていた私の原点。人を守りたいと初めて口にした日。ちゃんとあった、ヒーローになりたい自分。
「……ちゃんと泣けるんじゃん。自分の意志で。」
瀬呂くんは涙を拭き取るように私の頬をそっと撫でた。声を押し殺す癖が抜けない私に、彼は安心させるよう両手を握る。
「大丈夫。俺しかいない。」
嗚咽が漏れる。瀬呂くんの胸に飛び込んだ私を、彼は優しく受け止めてくれた。
「わた、私、もっと、言うべきだった……!自分のことちゃんと、意思を、伝えるべきだった!」
「うん。」
「おと、さんと!もっと、話がした、かった……!」
どんなに願ってももう叶わないけれど。瀬呂くんの胸は温かくて、聞こえる心臓の音に安心した。
いつから私たち親子は変わってしまったのだろう。どうして父との穏やかな時間を忘れるほど歪んでいってしまったのだろう。これは父の問題でもあり、私の勇気が足りなかったせいでもある。けれどもう答え合わせができることは二度とない。ずっと心の奥底にしまっておいた悲しみが、今になって止まらなくなる。
「せ、ろくん。」
「うん。」
「おとう、さん。もう、いない、ね。」
「……ん、そーね。」
消え入りそうな声で口に出して初めて、父が死んだことを受け入れた気がした。