体育祭
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その日の夜、お風呂でさっぱりしたあと母に電話をかけた。確かめなければという気持ちの中、1番に浮かんだのが母だった。
「もしもし?」
「あ、お母さん。今大丈夫?」
「ええ、平気よ。体育祭すごかったわね。」
「あ、ああ、ありがとう。えっと……あの、お母さん。お父さんって、その、どんな人だった?」
「どうしたの急に。」
どう考えても脈絡のない会話に驚いている。そりゃそうだ。今日のビッグイベントガン無視だもんね。それでも今、私にとって重要な質問。
「いや、何て言うか……。お母さんから見てお父さんってどんな人だったのか気になって。」
「うーんそうねえ。優しくて勤勉で、ヒーローそのものみたいな人だったけど。」
戸惑いながらも、言葉を選ぶように思い出しながら答えてくれる。
「やっぱりそうだよね……。」
「ただ、ずっと満足できない人でもあったと思うわ。」
意外な言葉。母の口からそんなふうに父のことを聞くのは初めてだった。
「満足?」
「そう。どれだけ努力してもトップ3には入れなくて。それがずっと悔しかったみたい。」
「初めて知った……。」
より高い成績に固執している、というのはエンデヴァーさんと同じだ。父にそんな闘志があったことを私は知らなかった。
「そういうこと口には出さない人だったからね。たくさんの人に支持されても、愛されても、本人にとっては十分じゃなかった。だから私は、あなたがとても……心配だった。」
「え。」
母は、父の異様さに気づいていたのだろうか。
「あの人がなまえのこと、ずっと自分の分身みたいに扱ってるように見えたから。期待をかけすぎてるのを知ってたのに、お母さんずっと見て見ぬふりしてた。……私もあの人が怖かったのかしら。本当にごめんなさい。」
初めて聞くことばかりで混乱する。父が死んで半年以上。母もやっと話せるようになってきたということだろうか。
この家はずっと父が仕切ってきて、私たちは父のお陰で生活ができていた。今だってそうだ。だから母も逆らうような態度をとれなかったのだろう。
母は私も怖かったと言った。私が優しいはずの父に無意識に怯えていたことを知っていたのだ。やはり今日気づいてしまったことは思い過ごしではなかった。ずしりと胸が重くなった気がした。
次の日、私はお昼過ぎに目が覚めた。昨日はものすごく個性を使ってしまったし、疲れがたまっていたのだろう。ごはんどうしようか。散策がてらこの辺のカフェ開拓しようかな。
身支度をしているとスマホに通知。誰だろう。画面を開くと相手はあまりに意外な人だった。
この季節になるとお昼はもう暑い。走って来たこともあって少し汗ばんでいる。
「ご、ごめん遅くなった。」
「お、」
焦凍くんに呼び出され、指定された公園に急いだ。先にベンチに座っていた彼の顔は以前よりもずっと穏やで、どこかほっとしている自分がいた。
「お待たせしました……。」
「いや、こっちこそ急に悪ぃ。」
沈黙。全てがそんなに簡単に片付くというわけにはいかなくて、どこか気まずい空気が流れる。
「……座るか?」
「あ、うん。お隣失礼します……。」
再び沈黙。焦凍くんは何か言いたいことがあるようで、切り出し方を迷っているように見えた。
今日は少し暑かったけれど、木陰の下のベンチのため涼しい。私に気を遣ってくれたのだろうか。
「お母さんに、会ってきた。」
「!」
「今まで会いに行かなかったこと、びっくりするくらい簡単に許してくれた。俺が自分のやりたいように進むことも、応援してくれた。」
ぽつりぽつりと語り始める。これほど饒舌な彼はいつぶりだろう。
何一つ悪いことをしていなかったはずの彼が許してもらえたとほっとした表情を見せる。底抜けに優しいところは変わってない。胸がぎゅっと痛んだ。
「なまえのことも、清算しなきゃと思った。だから呼んだ。」
なまえ、と言った。焦凍くんの口から私の名前が零れた。何だかそれだけで泣きそうになる。
「なまえ、悪かった。なまえは何も悪くないのに、ちょっと恨んでた。親父さんの葬式の時も入学してからも、ずっとよくねえ態度とってた。ごめん。」
やっぱり優しい。焦凍くんは何も悪くないのに。胸がつかえて、上手く言葉が出てこない。
「なまえ?」
何も話さない私を心配そうに見つめる。もう泣かないように必死だ。
「ちがう。」
「お。」
「ちがうよ。ごめん、ごめんなさい。焦凍くんは何も悪くない。私が、約束守れなくて。」
ようやく言えた謝罪。こんなに時間がかかってしまうなんて。責められても仕方ないのに、焦凍くんは私に向かって首を振る。
「クソ親父が会わせないようにしてたことくらい、俺もわかる。なまえのせいじゃない。」
「ううん、本当に、違うの。」
エンデヴァーさんは毎年父に年賀状をくれてた。そこには焦凍くんの姿もあった。父の葬式にも焦凍くんを連れてきていた。体育祭で会った時も私を彼から遠ざけるような発言は一度もしなかった。それなのに何故私たちは10年も会えなかったのか。答えにはとっくに気づいていた。
「多分、エンデヴァーさんじゃ、ないの。」
「……どういう意味だ。」
焦凍くんの怪訝な視線が突き刺さる。
「エンデヴァーさんは多分、遠ざけてない。それでも、何度お願いしても駄目だったのは、きっとお父さんのせい。」
「なんでだ。」
焦凍くんは訳が分からないと言った顔をしている。当然だ。私だってずっと気づかないまま今になった。
「わかんない。わかんないけど、焦凍くんのこと話すと、いつもお父さん怖い目をしてた。」
父はもういない。本当は何を考えていたのか知る術はない。けれど。
「これは、想像でしかないけど。お父さんはヒーローの負の部分を見せたくなかったんだと思う。ヒーローは憧れの輝かしい職業だって私に刷り込みたかった。」
だから遠ざけた。ヒーローは困っている人を救うものなのに、ヒーローを目指しているはずの私は一番身近な友達の手すら掴めなかった。ヒーローに虐げられている子どもを、父は見殺しにした。
「あとは多分、怖かったのかな。」
「怖かった?」
「私もお父さんのこと、お母さんとちゃんと話したの。そしたら、私と焦凍くんが協力して自分たちに歯向かってくるのが怖かったんじゃないかって。」
二人で手を取り合うことさえ許してくれなかったのは、私たちが孤独である方が都合がよかったからだ。
体育祭のあと目をそらし続けてきた父の行動を一つずつ思い出し、たくさんの可能性を考えた。最終的には必ず同じ結論にたどり着いた。
私は父に管理されていた。夢も感情も行動も。どれだけ否定したくても、恐らくそれが真実だ。
「……なるほどな。」
「それでも結局会いに行けなかったのは私が弱かったから。本当にごめんなさい。」
「いや、それができねえことは俺が一番わかってる。」
だからもう謝るな、と頭を撫でられた。いつの間にこんなに背が伸びていたんだろう。10年の月日を、今初めて実感した気がした。
涼しい風が頬を掠める。彼の目に私が映っていることが、嬉しかった。
「緑谷くんの言葉さ、効いたよね。」
「……ああ。かなり効いた。」
「あんな風に救ってもらえることもあるんだね。」
「なまえも、救われたのか。」
「うん。おかげで焦凍くんと仲直りもできたし、今度お礼に行かないと。」
「じゃあ、俺も行く。」
二人で顔を見合わせて笑う。この穏やかな空気をどれ程待ち望んでいただろう。
緑谷くんは間違いなく私たちのヒーローだ。
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