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「将来の夢は何ですか?」
何の変哲もない質問。しかし幼い頃、私はこう聞かれるのが怖かった。
「……ヒーローに、なりたいです。」
私が英雄らしからぬ行動をした時、突然色をなくす父の目が恐ろしかった。
すぐに泣いてしまう、嘘をついて誤魔化す、バツが悪くなると母に助けを求める。そんなとき必ず父は、能面のように黒く塗りつぶされた目をしていた。
張りついた笑顔で、奥底ではまるで笑っていない。その父を見るのが怖くて私は彼の望むままの人間になっていった。
思い出した。ヒーローになりたいかと問われる時はいつも、確かに彼の顔色を窺っていた。
階段を下までおりたけど控え室に行く気にはならなかった。自分の足で支えることができずひんやりとした壁にもたれかかる。近くに人の気配はなく遠くから聞こえてくる歓声だけが廊下に響いている。涙はいつまでたっても止まってくれそうになかった。
ヒーローは泣いてはいけないと、叩き込まれているはずだった。ましてや友達の前でなんて考えられない。
たった一言。緑谷くんのあの言葉が自分と、恐らく彼をひどく揺さぶった。
焦凍くんにとって私は同い年の仲の良い友達だったと思う。同じ境遇の良き理解者。彼にとって珍しい、心を許せる存在。
緑谷くんの今日の言葉は本来私がかけるべきものだっただろう。私がもっと早く伝えられていたら、焦凍くんはきっとあんな風にはならなかった。
でも私はそうしなかった。いや、そうしようと思いつきもしなかった。何故か。その答えは簡単だ。
ずっとずっと見ないようにしていたけれど、認めようとしなかったけれど。私と焦凍くんは"同じ"なのだ。
ヒーローになることを強いられそれ以外の道など初めからなかったかのように細く長いレールの上だけを歩いてきた。いや、歩かされてきた。
そのことに何の疑問も持っていなかった私は、焦凍くんが自分の生い立ちに苦しんで足掻いていることすら本当には理解していなかった。複雑な彼の家庭環境を心配しながらも、どこか遠い夢物語のように感じていた。
けれど父が死んでから、焦凍くんと再び出会ってから、ずっと違和感がまとわりついてくる。厳しいエンデヴァーさんと優しい父は似ても似つかないはずなのに、あの人を見るとどうにも父が思い出される。
あの時エンデヴァーさんの言葉に何故か父が重なった。
当たり前だ。私と焦凍くんが同じだということは、父とエンデヴァーさんもまた同じなのだから。夢物語なんかではない。まとわりついてくる違和感は、恐らく既視感だ。
私と焦凍くんは共に閉鎖的な家庭で育ってきた。私も同じく異常な教育を受けてきた。ヒーローになりたいと思わされてきた。
もうその事実から逃げられはしなかった。
だからこそ"私たち"にとって緑谷くんの言葉は胸に詰まった。小さな頃から自分ではなく人気ヒーローの子どもとしてしか認識されなかった私たちにとっては。
この力が自分のものだという感覚すら薄かった。私自身が、これは父からもらったもので自分の能力ではないと認識していたのだ。目標がなかったのもぼんやりと父の後をなぞっていけばいいと考えていたからだ。
個性婚までしたエンデヴァーさんの最高傑作焦凍くんと、父の個性をそのまま受け継いだ私。周りにもそれが自分の能力だなんて言われたことは1度だってない。さすがヒーローの子どもだと言われながら育ってきた。それが呪いの言葉だとも知らずに。
果たせなかったことを果たすための道具じゃない。優秀な遺伝子を残すための器じゃない。私を見て。僕を見て。私たちには私たちが好きにして良いはずの人生があるのに。あまりに幼くて終ぞ口にすることはなかったけれど、私たちが心の中でずっと叫んでいたSOS。
「君の!力じゃないか!」
こんな形で救われるなんて夢にも思わなかった。ずっとずっと誰かに言って欲しかった言葉。差し伸べて欲しかった優しい手。そんな風に言って欲しかったなんて、言われるまで気づかなかったけれど。
緑谷くんは色んなものをすっ飛ばして焦凍くんの心を捕らえ、ついでに私の手まで無意識に引っ張った。なんかもうすごいとしか言いようがない。いつだか瀬呂くんに言われた言葉が思い出された。
「みょうじが強いのはみょうじが頑張ってるからじゃん?」
涙は未だ止まってくれなくて顔も頭もぐちゃぐちゃだけど、何だか力が抜けてその場にしゃがみこんだ。
「焦凍くん、ごめん……。」
自分の気持ちに気づくのが遅すぎた。きっと私たち二人とも。お互いの支えになれる未来だってあったかもしれないのに。もし緑谷くんが幼なじみだったら、私たちは今も仲良く笑っていただろうか。
父のこと、焦凍くんのこと、私のなりたいヒーローのこと。これから考えるべきことが山のようにある。
頬を撫でた熱風を思い出す。彼も少しだけでも救われただろうか。そうだったらいい。パンクしそうな頭を抱えて、何故だか自然と笑みが零れた。