運命のグラス (長編11頁)★オススメ
今週も“Bianchi”で荒北は旨い夕食を取っていた。
目の前に、山盛りの鶏唐が置かれる。
「うおっ!すげぇ。いいんスかこんなに貰って」
荒北は目を輝かせ、レモンとフォークを構える。
「いつもの倍の量にしたよ。サービスサービス」
マスターは上機嫌だ。
「んめぇ!相変わらず……手ェ出すな新開!」
「いてっ!」
新開は手の甲をフォークで刺された。
「オメーはいつも賄いで食ってんだろーが」
「目の前で食われるとつい……」
「実はねぇ、荒北くん」
マスターはニコニコ顔で話し始める。
「君のおかげでお客が増えてるんだよ」
「ふぁ?」
荒北はモグモグしながら聞き返す。
「最近君目当ての女性客も増えてきてるんだ」
「ぶほっ!!」
荒北は鶏唐を吹き出して咳き込んだ。
「この前の平日なんかね、『え~!荒北くん来てないんですか~じゃあ帰りま~す』って5人組とかね。ははは困ったよ」
荒北は目を丸くして声も出ない。
「荒北くんもここでバイトする気はないかい?」
「えええ!?」
「考えといてくれるかな。返事はいつでもいいよ」
マスターはそう言って厨房へ消えて行った。
「……」
荒北は放心状態だった。
とりあえずビールを口にして心を落ち着かせる。
オレ目当ての女性客が?
マジで?
普通なら喜ぶ場面なのだろうが、荒北の心は複雑だった。
しかもここでバイトを?
……いやいやいや。
ない。
それはない。
今の立場、環境がガラリと変わってしまう。
荒北はパニックを起こしかけていて、せっかくの鶏唐も喉を通らない。
新開……そうだ。新開の意見を聞こう。
荒北は新開の方を向いた。
新開は真顔で荒北を見ていた。
……ど、どういう意味の表情なのかわかんねぇ……。
オレはどうしたらいいんだ。
荒北は冷や汗がドッと吹き出してきた。
「し、新……」
「靖友」
「はい」
新開は真顔で話しかける。
「靖友は……女性客の中に気に入った娘、いるの?」
「は……ハァ?」
な、何の話?
今聞くこと?ソレ。
「そ、そんなのいるワケ……」
「オレには正直に言ってよ」
新開は真顔のまま荒北にズイッと顔を寄せる。
「正直って……まぁ、正直言うと……」
「正直言うと?」
新開の真顔が睨み顔に変わる。
荒北はたじろぎながら答えた。
「正直……飲み屋に入り浸るような女はオレぁ、嫌いなんだ」
それは本音だった。
酒臭く、香水臭く、チャラチャラして、大声で騒ぐ、酒場で見掛ける女共なんかに荒北は全く興味を持てなかった。
荒北がこの店に通う理由はただひとつ。
新開に会いたいからだ。
もちろん、ここまでの本音は言える筈も無いが。
新開は、荒北の言葉を聞いて急にホッとしたような笑顔になった。
「そう……そうか。はは、良かった」
新開は詰め寄っていたが、荒北から離れた。
その「良かった」がどういう意味なのか荒北にはわからない。
「心配しなくたって、オマエの客に手ェ出したりなんかしねーよオレぁ」
「そんな意味で言ったんじゃないよ」
「じゃあどういう意味だよ」
「靖友」
「あ?」
新開は荒北の正面に立ち、真剣な表情で言った。
「もし、彼女が出来たら、オレにはすぐに報告してくれるか?」
「……ハァ?」
何を言ってんだコイツはさっきから。
「なんでそんなこと報告……」
「約束してくれよ靖友」
「てか、彼女なんか出来ねーって」
「わかんないだろ、そんなの」
「なんでそんなこと知りたがんだヨ」
「靖友のこと、何でも知っておきたいんだ」
「は……」
オレのこと何でも知りたいって?
ハッ!
オレの本心知ったらオマエぶったまげんぜ!
いくら親友でもなぁ、言えることと言えねーことってあんだよ!
そうこうしているうちに客が入ってきて、この話はうやむやになった。
……なんでこんな話になっちまったんだ?
なんかズレてないか?
荒北は腑に落ちないまま、すっかり冷めてしまった鶏唐に手を付け始めた。