運命のグラス (長編11頁)★オススメ
翌週。
bar“Bianchi”
店の入口前に荒北は立っていた。
……来ちまった。
新開は週末だけここでバイトしていると言っていた。
ここは互いの大学のちょうど中間地点ぐらいで、来ようと思えば来れる位置なので困る。
今は18時半。
呑むにはちょっと早いが、空いている時間だろうから新開とゆっくり話せるかもしれない。
先週はごった返していて慌ただしかったし、東堂もいた。
ろくに話せなかったのだ。
「め、飯食いに来ただけだし!」
荒北は誰も聞いていないのに前言い訳をした。
思い切ってドアを開ける。
コロンコロン。
「いらっしゃ……?」
カウンターの中に新開とマスターがいた。
仕込みの最中のようだ。
客はまだ誰もいない。
「靖友!」
新開が笑顔全開で迎えてくれた。
店内は薄暗いのに、その笑顔は輝いていた。
うっ。眩しい。畜生。
荒北は遠慮がちにカウンターへ座る。
「嬉しいよ!こんなにすぐ会えて!」
……嬉しいとか気持ちをそんな素直に表現すんじゃねーよ。こっちが照れンだよ。
荒北は目を逸らして言った。
「飯食いに来たんだ。この前のピザ、旨かったからァ……」
それを聞いてマスターは喜んだ。
「確か荒北くんだったね!そうかい。そんなに気に入ってくれたかい。あ、そうだ。これはメニューには無いんだけどね、賄いで作った親子丼が好評でねぇ。食べるかい?」
「お、いいっスねぇ。是非」
マスターはニコニコ顔で厨房へ入って行った。
ふと新開を見ると、まだ溢れる笑顔をこちらに向けている。
「なにニヤケてんだよ」
「だってすげー嬉しいもん。来てくれて」
「あっそ」
「なんか呑む?」
「えっと……んじゃビール。軽いのがいいな」
「ミラーライトはどう?瓶ラッパ飲みのやつ」
「いいね。それ頼むわ」
新開もマスターも歓迎してくれて、荒北はホッとした。
「この店は……知り合いかなんかで?」
荒北は親子丼を食べながら新開に聞いた。
マスターの作る飯は確かに旨い。
「いや?バイト情報誌で見て来たんだ。別にbarで働くつもりはなかったんだけどさ、パラパラめくってたら“Bianchi”って目に入って」
「マスターってロードファンとか?」
「いや全く関係ない。ビアンキって、ヨーロッパのクラシック歌手の名前なんだって。俺そーゆーの全然わかんないし」
「ふーん」
そういえば確かに店内のBGMにはオペラみたいな曲が流れている。
これがビアンキか。
「サーヴェロって店は無かったのかよ」
「ははっ。そりゃ探せば日本のどこかにはあるかもしんないけどさ。……オレはビアンキが良かったんだ」
──ドキッとした。
別に新開はそんなつもりで言ったわけではないだろう。
当然だ。
しかし、ビアンキを選んだということを、まるで自分を選んでくれたように妄想してしまった。
ヤベェ。
オレ今顔赤くなってる。
しかしここはbarだ。
店内は薄暗い。
荒北は助かったと思った。
その後も新開と他愛もない雑談を交わし、暫くすると客がぼちぼち増えてきた。
今日はたくさん新開と会話出来た。
荒北は満足だった。
思い切って来て良かった。
飯も旨かったし。
「そろそろ帰るわ」
荒北は席を立ち、財布をポケットから出しながら言った。
新開はそれを見て慌てて荒北の前へ来た。
「えっ、もう帰っちゃうのか?」
「飯食ったし。旨かったヨ。いくら?」
「靖友」
「ん?」
「また来週も来てくれる?」
「は?」
新開はすがるような目で荒北の顔を覗き込んだ。
「正直言うとさ。女性客達の相手すんのって結構しんどいんだ。マスターには内緒だけど。だから靖友がいてくれると助かるんだよね。会話も振りやすいし、癒されるし……」
「……」
荒北はポカンと口を開けた。
新開からそんな訴えを聞くとは思わなかったからだ。
「ドリンクいつもサービスするからさ。頼むよ」
必死な表情を見て、どうやら本心らしいとわかる。
「あ、ああ。わかったよ。じゃまた来週も顔出すわ」
「やった。ありがとう靖友!来週楽しみにしてる」
新開は安堵の表情を見せた。
荒北はボーッと考えながら帰り道を歩いていた。
もう店に行くつもりは当分無かったのだが、予想外に来週も行く約束をしてしまった。
……ん?
新開のあの言い方だと毎週来いって意味か?
毎週末?
……ま、いっか。
思いがけず毎週新開に会える大義名分が出来たのだ。
荒北は心躍りドキドキしていた。