小話(一年は組中心)
土井先生の『今日はおしまい!』の一言で色めき立つ同級生たちを、ほほえましく見回す。
バイトに行かなきゃと急ぐきり丸と、手伝うというしんべヱ。
今日は保健委員会があると眉を下げる乱太郎に、俺も委員会だ、と心なしか浮かない表情の金吾。兵太夫と虎若が二人を慰める。
喜三太はナメクジの壺を撫でていて、三治郎は大きく伸びをしている。
箒を持った団蔵がぶつぶつ言いながらごみを集め、伊助は使用した机を早速拭いている。今日は彼らの掃除当番なのだ。
我らが頼れる学級委員長、と言われるのはとても嬉しい。
自分で言うのは何だが、実戦経験が豊富で人がいい一年は組の級長をするのはとても光栄なことなのだ。
このバラエティーに富んだは組の連中は、個性がかなり強い。
人当たりの良い事でカムフラージュしてはいるが、きり丸を筆頭として人間不信が何人いることか。
そのなかで勝ち取った信頼がいかに尊いかを、自分は知っている。
いつぞや、い組の安藤先生から金吾が編入してきた際に、い組に来ないかと誘われたことがあった。
い組は成績優秀者が集まる組で、は組は成績振るわず落ちこぼれだから、単に成績の良かった私をい組に編入させて組の人数のバランスを取るという名目であったが、隣にいたきり丸が自分に身構えたので、すぐさまその場で断った。
きり丸は幼少期の経験で人を安易に信用しない。
入学したすぐは、めげずに話しかけていた乱太郎としんべヱとしか会話をしなかったほどだ。
それでも入学してから初夏にかけての実践実習や、乱太郎からの巻き込まれ事故で級友に少しずつ心を開きかけていた時に、この話だ。
安藤先生空気読めよと心の中で怒りながらも、『冗談は面白くないです。』とバッサリやったのがよかったのか、それから宿題やら課題やらで自分を頼ってくれるようになったので、認められたようでとても安心した。
土井先生や山田先生からも「よくやった」と褒められた。
あの先生方ですら、きり丸の人間不信には手を焼いていたのだ。
一年は組の級長となってからは、全体を見回すように心がけている。
「庄左ヱ門、今日は時間ある?」
三治郎の言葉に我に返る。
「あるよ。」
出された宿題を何とかしないといけないので、このまま図書室に行かなければいけないと思っていたところだ。
「宿題一緒にやろう?」
恥ずかしそうに言う三治郎の言葉に笑って応える。その後ろから「ぼくも!」とみんな手を上げる。
「んもー!いいなぁ!わたし、今日委員会あるからできないよー!」
落ち込んだままの乱太郎と金吾には「委員会が遅くなったら、夕飯の後声かけてよ」と言づける。きっとその時にきり丸としんべヱも一緒に来るだろう。
金吾は「体育委員会で落ちなかったら来る・・・」とこちらは早々に諦めモードだ。
体育委員会委員長の六年生、六年ろ組の七松小平太先輩はとても気持ちのよい、サッパリした性格の持ち主ではあるが、ついたあだ名は“暴君”だ。
委員会のメンバーをマラソン、塹壕掘り、バレー等で引っ張りまわし、性格には難ありだが優秀と名高い四年い組の平滝夜叉丸先輩さえふらふらにさせる程の体力お化けなのだ。
『戦忍は花形だ!』を豪語しており、できなければできるまでやる方針で、マラソンで山々を巡って落ちる下級生に、できなかったからもう一回!と笑顔で言うらしい。
つくづく、体育委員会じゃなくてよかったと思うが、金吾はとてもかの先輩を大変慕っている。“暴君”とは言われるが、付いて行きたくなるようなカリスマがあるらしい。
「金吾、体育委員会大変なの?」
伊助が心配そうにつぶやく。金吾は大変だけど、楽しいと笑う。
「裏裏裏裏山までのマラソンを行ったり来たりするんだ。どこまで行くかは七松先輩次第だなぁ。僕は体力もたなくて滝夜叉丸先輩に毎回、回収されるんだけど・・・」
「えーあの先輩なんかぐだぐだ言ってて話長くない?」
「いやいや。普段聞くと面倒だけど、体育委員会ではあれはとてもありがたい。」
「なんで?」
「その間、休憩できる。二年の時友先輩が教えてくれた。決して止めないようにって。」
あはははは!と笑う団蔵と三治郎に金吾は「冗談なんかじゃなく!」と赤い顔で頬を掻いた。
「じゃあ、委員会に行く組、アルバイト組は、夕食後で僕の部屋においでね。お茶用意して待ってる。」
「「「はーい‼」」」
「何も予定がない組は今から宿題!今日は図書室を考えていたけど、あそこは私語厳禁だから、掃除をちゃっちゃっと終わらせてここでしよう!」
「「「さーんせーい!」」」
「あるかりせーい!」
みんな実際には気づいていないけれど、は組は『特化型』の集まりなのだ。
何かしら突出しているものがあり、それを伸ばすためのクラスであることは間違いない。
自分には突出しているものがないのに、このクラスに入れたのは、きっと一年生が9人で綺麗に分けられる人数だったからだと思っている。
最初から喜三太と金吾がいたらい組になっていたかもしれない。でも、今はこの幸運を逃すことはできない。
この11人が、自分の帰るところであり、守るべき場所だ。
『僕のなわばり』
だからこんな風になることはとても許せない。
夕飯前の鐘の音が鳴ったかと思えば、四年生の先輩が慌てて保健室に駆け込むのが見えた。その腕の中には、自分たちと同じ一年生の制服が見える。
通り過ぎたのが一瞬だったのでよく見えなかったが、嫌な予感がして隣にいた伊助を見ると、伊助は顔を真っ青にして震えていた。
「庄、庄ちゃんッ、」
「伊助?」
「今の、金吾だった・・・!」
涙を溜めた瞳で僕の袖を握る伊助のその一言に頭が真っ白になる。
「なんて・・・?」
「・・・前髪が金色だった!そんな一年生は他にいないはずだよ!」
パニックになりかけている伊助を落ち着かせるべく一つ呼吸を置く。
誰かが攫われたり、ドクタケと遭遇した時によくやる癖だ。
僕らは乱太郎がいないとき、パニックに陥りやすい。
誰か一人が冷静に戻れたらそれに巻き込まれるように皆落ち着きを取り戻すことを知ってからは、一番最初に冷静になるように心がけている。
「伊助。今から夕飯で、皆に会うよね。」
「・・・うん。」
「上級生の間で、このことが既に話題に上がっているかもしれない。でもそうなると皆に間違った情報がいく可能性がある。だから、伊助は先に皆と合流して。」
「庄ちゃんは・・・?」
「僕は今から保健室に行って話を聞いてくる。金吾と思しき一年生を連れていたのは四年生の制服を着ていた。運ばれていたのが金吾だったら、きっとその四年生は、平滝夜叉丸先輩だ。」
「体育委員会の先輩に直で聞くんだね。」
「そう。乱太郎もいるし、あの狭い空間には組の皆は入れない。土井先生から何か伝えられるだろうけど、きっとそれは全てが終わった後だ。」
「庄ちゃん。」
「叩くなら今じゃないと。伊助に頼みたいのは皆が食堂にいる間、上級生が何を言っても信じないことと、食べ終わったら僕の長屋で待ってることを伝えてほしいんだ。」
「・・・わかった。」
「あと、僕と乱太郎の分のおにぎりをおばちゃんに頼んでほしい。」
「いいよ。」
「頼んだ。」
涙を袖で拭って伊助は食堂に走り出した。
一呼吸おいてから自分も保健室に走り出した。
*******
廊下で殺気立った様子の学級委員会委員長の先輩である五年い組の尾浜勘右衛門先輩とすれ違う。
学園長先生の庵の方向に行くのを見て、何かあると気付き、方向転換する。
しばらく後を付けたが追いつけなかったので、学園長先生の庵へ急ぐ。
学園長先生の庵には色々な教科の先生方が冷えた目で足早に入って行くのが見えた。
辺りを殺気が充満しているところへ、山田先生が慌てて庵に入って行く。
これは大事だ。
直ぐ様取って返して保健室へ向かう。
冷や汗が額を伝うのを、乱暴に拭った。大丈夫、金吾は大丈夫だと自分に言い聞かせる。
辿り着いた保健室の扉を許可なく開けると、ぐったりした金吾と、彼の治療にあたっている六年は組の保健委員会委員長の善法寺伊作先輩、彼の補佐をしている乱太郎と目があった。
先輩と乱太郎の近くにあるタライには血まみれの布が大量に溜められている。
「ふ、っうッ、庄左ヱ門、」
乱太郎が泣きながら僕を見上げて、ヒク、としゃくりあげた。
金吾からは手を放さない所を見ると、止血しているようだ。
乱太郎の目元は真っ赤だ。
乱太郎はとても優しい。級友がこんなことになって胸を痛めているのが解る。
不安そうな彼に小さく頷いて、金吾を見遣った。
金吾の体は2人の保健委員に抑えられていてももピクリとも動かない。
横を向いた金吾の額から流れる汗の粒を見て自然と眉間に皺が寄る。顔が青白く、うめき声が無いのが逆に怖い。
状態はかなり深刻だ。
「薬で眠らせているだけだよ。安心していい。来るかな、とは思ったけど流石はトラブル続きの一年は組の級長。とても耳が早いね。」
保健委員会委員長である六年は組の善法寺伊作先輩は、こちらに目を向けずに金吾の肩に包帯を巻きながらそう言った。圧迫するためだろう。
乱太郎は片手で金吾の額の汗を優しく拭った。
質問が許されているようだったので、答える。
「仔細を聞きに来ました。金吾は大丈夫でしょうか。」
「・・・油断はできないけれど、急いでくれた平のお陰で、重症化は防げそうだ。受けた傷は何針か縫う予定で、全治1か月というところかな。そこは本人次第かな。
今、新野先生が治療道具を煮沸消毒するためにお湯を食堂に取りに行かれている。そこ、閉めてくれるかい?」
後ろ手で保健室の扉を閉め、金吾のそばには寄らずに入口付近で静かに正座していた四年生の隣に座す。
「今、皆本君の容態と、事の詳細を五年い組の尾浜勘右衛門が学園長先生に報告に行っているし、今夜六年生に招集がかった。僕ら保健委員は今、皆本君の肩の傷の圧迫して止血しているところ。何があったかは・・・」
僕とは目を合わせなかった伊作先輩は、隣の四年生の先輩をチラリと見た。
「善法寺先輩、私から説明いたします。」
普段からは想像ができないほどに静かな滝夜叉丸先輩は、僕の顔をじっと見たあと、スっと頭を下げた。
「金吾を守れず申し訳なかった。」
「どういうことでしょうか。」
眉間に寄った皺はそのまま、表情は変えずに間髪入れず質問する。
常日頃から自分は優秀だと宣うこの人が全面的に謝るということは、何かしらの落ち度があったのだろう。だが、仔細が見えない。
「体育委員会活動中に、金吾が山賊と出くわしたのだ。その山賊が忍上がりの者たちだったので、執拗に追い掛け回された。私が見つけた時は刀を振り上げられて袈裟懸けに斬られそうになった時だった。すぐさま応戦し、事なきを得たが、それまでに受けた傷が深く・・・。
金吾の肩からの出血が多かったので、私は危ないと判断し、学園へ取って返した。
マラソンの途中で金吾から目を離したのは私の落ち度だ。お前の級友を傷つけてしまった。申し訳なかった。」
常になく謝る滝夜叉丸先輩に、いやそうじゃないだろと思う。
金吾の話では、この先輩はとても面倒見がいいのだ。体育委員会に属する下級生三人をとても良く見ていてくれて、可能な限り庇護してくれている。できなかったのならば、できなかった理由があるはずだ。
「滝夜叉丸先輩も、もしかして山賊に追い掛けられたのではないですか?」
問いかけると、滝夜叉丸先輩は驚いた表情をされた。
「前にいる山賊から下級生を守ろうとして学園に引き返せと命じた。でも、三年の次屋先輩が明後日の方向に走り出したから、金吾と二年の時友先輩が次屋先輩を追って一緒に学園とは反対に行ってしまったのでしょう。
先輩、僕らの足は大人よりとても歩幅が短いので、余程の策がなければ大人と走るとすぐ追いつかれてしまうんです。
時友先輩も次屋先輩も、ずっと体育委員会だったから逃げられた。だけど金吾は一番体が小さいこともあって標的にされたのでしょうね。」
「・・・その通りだ。」
驚いた顔で僕の目を見たあと、滝夜叉丸先輩は痛みを堪えた表情をした。
滝夜叉丸先輩が拳を握ると同時に身動ぎした金吾の気配に慌てて目をやる様子に、金吾は体育委員会で大切にされていることが分かる。
「滝夜叉丸先輩も、忍上がりの山賊と応戦して、金吾を見つけてくれたんですね。あとの先輩方はどうしたんですか?大丈夫でしょうか。」
「四郎兵衛と、三之助は野営に慣れている。あの二人は今、以前喜八郎が作った安全な場所に隠れている。
2人とも傷はあったが、軽傷だったので、命の危険があった金吾を優先させた。今はその場所へ喜八郎と、五年生の先輩方が向かっている筈だ。私は金吾の治療が済み次第、先生方への説明の補足に回ることになっている。」
「体育委員会委員長の七松先輩は。」
「私と一緒に戻られて、すぐ学園長先生へ仔細を報告しに行った。終われば学園長先生から何かしらの指示が出るだろう。」
「六年生に招集がかかっているから、今夜あたりその山賊を先生方と叩きに行くと思うよ。」
「伊作先輩も、ですか・・・?」
不安そうな乱太郎の一言に、善法寺先輩が笑う。
「僕は『金吾を見といて』と小平太から言われているけれど、どうだろうね。僕たちの可愛い後輩がこんな目にあったんだ。命令がなくても行きたいよ。ねぇ平。山賊は何人くらいいたの?」
「二十人以上はいたように思います。私と七松先輩と対峙していた者達と、別部隊が居ました。」
「よりにもよって、体育委員会の子に手を出すとか。」
「我々は学園の敷地を毎日マラソンしておりますが、それを分かっている連中だったのでしょう。正確な人数を叫びながら追い回されましたから。一番年下の後輩を付け狙うなど、とても許せません。奴らは私と対峙したときに、コイツは止めておけ厄介だ、弱い奴を狙え、とそう言ったのです。」
「平、」
「金吾や、四郎兵衛はまだ幼い。どうしたって大人には敵わないこともある。
七松先輩と相見えた者も直ぐに撤退したそうです。忍術学園の下級生を人質にしたかったのでしょう。嬲りものにするためか、はたまた違う目的かは分かりませんが、余りに卑怯で、吐き気がする。」
滝夜叉丸先輩は、少しずつ金吾に寄っていき、金吾の頭を震えた手で優しく撫でた。
「なのに、先輩逃げられなくてごめんなさいなんて、この子が言うから・・・」
震える手を引っ込めて、大きく息を吐いた滝夜叉丸先輩は、再び僕を見据えた。
「相手が相手だからきっと、一年生は学園にいる事を求められる。は組の級長として、腹に据えかねるかとは思うが、この件は我々上級生に一任させてほしい。そして、今夜は金吾の側にいてほしい。頼む、この通りだ。」
土下座しながら歯を食いしばる滝夜叉丸先輩を見て、乱太郎は目を驚いて目を大きくした。この人のこういうところはとてもズルい。
だが僕は自分の縄張りを、帰る所を荒らされたのだ。相応のケジメは付けさせてもらう。
「分かりました。でも僕は、は組の級長なので、先輩方に直接お願いに参ります。」
滝夜叉丸先輩は苦く笑ったあと、「承知した」と頷いた。
*******
教室に戻ると、伊助が青い顔のまま乱きりしん以外の全員を集めていた。
「庄左ヱ門、どうだった?」
何でもない風で聞いているが、三治郎の語尾に不安が滲む。
なめくじの壺を抱えたままガタガタ震える喜三太に、伊助が寄り添った。
喜三太は金吾の同室だ。金吾に何かあれば彼は一人になってしまう。
兵太夫が眉間に皺を寄せ、団蔵と虎若が腕を組んで僕に強い視線を投げた。
後ろ手で襖を閉めて、一旦呼吸を落ち着かせる。
は組のバランサーであるきり丸としんべヱはまだ居ない。
いつの間にかは組の精神的主柱になっている乱太郎は保健委員会で不在だ。
伊助も自分も居るが、一つ間違うと大事になりかねない。
今いるメンバーは、一度火が付くと舵取りが難しい。
「金吾が、体育委員会の活動中に、大人の抜け忍に肩を刀で斬られた。全治1ヶ月だそうだ。今は保健室で善法寺先輩が診ていてくれている。
保健室に入る前までは危ない状況だったらしいけど、金吾自身が頑張ってることと、体育委員会の滝夜叉丸先輩が急いで金吾を保健室に連れていくことを優先してくれたおかげで、何とか命の危険はなく、大丈夫みたいだ。これから新野先生の本格的な治療が始まる。」
誤解を招く物言いをすれば直ぐに外に敵討ちに出ていこうとするメンバーだ。報告は簡潔に、そしてまずは金吾が安全だということを伝える。
「抜け忍達は、体育委員会が学園の敷地内を行ったり来たりするのを知っていた。その中でも体の小さな金吾を執拗に狙ったらしい。
今夜、六年生の先輩方と、一部の先生方が山賊と化した抜け忍たちを討伐しに行く。」
「庄左、俺たちも行こう。」
間髪入れずにぶっこんでくれやがった団蔵に首を横に振る。
「滝夜叉丸先輩から頭を下げて懇願された。僕たち一年生は今夜、外に出してはもらえない。土井先生や山田先生が金吾の仇をとるなら、僕らは足手まといになるだろう。」
「納得できない。」
厳しい目で話すのは虎若だ。
「は組のことは、は組で敵を討つべきだ。」
一点を見つめて吐き捨てるように言った虎若に、背筋が冷える。
皆が納得するような落とし所を見つけるのが難しい。
団蔵も虎若も兵太夫も、は組では急進派だ。彼らが強く主張するときは、今のように仲間が害を被った時だ。
だから穏健派の伊助や三治郎は反論が出来ない。いつもなら宥めて、止めてくれるしんべヱと乱太郎もいない。
ならば級長として自分にできることはひとつだ。
「解るよ。」
驚いたように僕を見上げる伊助と喜三太に頷くことで安心感を与える。
「は組のことは、は組で解決したい。僕もそう思う。」
「じゃあ、」
団蔵の言葉に、静かに首を横に振る。
「でも僕らが出ていって、この中の誰かが死んでしまうかもしれないのを、僕は看過できない。」
伊助が喜三太の着物をぎゅっと握りしめた。
「右肩から背中にかけて、金吾はざっくりやられていた。善法寺伊作先輩と乱太郎が止血していて。範囲が少し広かったから、止血は一人では間に合わなかったんだろうと思う。
タライには金吾の血まみれの服と包帯と布が、たくさん入れられていたよ。伊作先輩の話では、あと少し遅かったら血が足りなかったかもしれないって。
滝夜叉丸先輩が急いでくれたから、金吾はなんとか治療が間に合った。ああいうことに慣れている治療のエキスパートの六年生がいたから止血もスムーズだった。でも僕らは?」
一人ひとりの顔を見ながら歯を食いしばる。
「皆で学園を抜け出して、元でもプロの忍を相手に、先輩方の足手まといになって、誰かがもし、金吾と同じように斬られたら。」
誰かの喉からヒュッと音がした。
「どうやって学園へ帰るの?学園に帰ったところで、誰が治療してくれるの?新野先生も今晩は六年生とご一緒するだろうと伺っている。
伊作先輩は、保健室に居るように通達があったみたいだけれど、先程本人から"叩きにいきたい"と聞いた。
六年生の先輩がそう決められたのなら、学園には残らないと思う。
つまりは、金吾に細心の注意を払いながら術後の経過を診ている乱太郎しかいなくなる。
そんな中で、僕らが傷を負って保健室に駆け込んでしまったら、乱太郎に取り返しのつかない傷を負わせてしまう。・・・級友を、救えなかった、ていう。」
「し、庄左ヱ門!」
堪らなくなった伊助が叫ぶ。喜三太は「そんなの嫌だよぉ」と泣き出してしまった。
「上手くことが運べばそれに越したことはないけれど、今回の敵はあからさまに弱い者を狙う。きっと僕らが行けば、標的にされる。僕だって、金吾の敵を討ちたい。でも相手は元でもプロの忍で、僕らは対抗する術をこの短時間では持てない。それに、金吾の仇討ちをして下さる先生や先輩方の邪魔にはなれない。なりたくないよ。」
虎若と団蔵が唇を噛み締めて俯く。
とりあえずは立ち止まってくれそうだ。
「でも金吾はは組の一員だから、先生や先輩頼みというのも気が引けるよね。」
外を見ながら兵太夫が小声でそう発した。
「んじゃ、先輩方に頼みに行こうぜ!」
ここに居ないハズの声が聞こえて、ガラっと戸が開いた。
しんべヱが泣きながら転がり込む。
「みぃんなぁー!ぼくときり丸がアルバイトしていたら土井先生が来て、忍術学園の生徒はならず者に狙われて危ないから帰るようにって言われたの!金吾が大変な目にあったんだってきいて!皆が無事でよかったあぁぁっ!」
おーいおいと泣くしんべヱの涙を、先程まで泣いていた喜三太がぐずりながら拭く。
「おかげで商売あがったりだ!腑に落ちないまま帰ってきたら皆がカチコミの話してるからビビったぜ!」
「・・・きり丸、カチコミて。」
三治郎が苦く笑う。
「・・・きり丸、先輩方に頼りきってもいいんだろうか。」
僕はきり丸の目を見つめてそう言うと、きり丸はため息を吐きながら両手を軽く上げた。
「いいよ。だって俺達よくポカやらかすけど、先生も先輩方も『何で相談しない!』って、いつも怒るじゃん。
今回は、先生や先輩方に全員で頼みにいって、皆さんが無事に帰って来られたら、全員でお礼を言いに行くの。今日は先輩方に借りをたくさん作るから、今度皆で夕飯作ったりしようぜ!感謝の仕方なんて色々あるだろ?
んで、先輩方から受けた恩は、俺らが上級生になった時に後輩に返済すんの。金吾も含めて、だ。俺、借りたまんまは嫌なんだ。
だから今日は、1人でどうにかなりそうな乱太郎を落ち着けるべく皆で保健室に泊まりこんで、俺の内職を手伝う!完璧だ!」
「きり丸!」
伊助が苦笑しながらツッコむ。
「だぁって、障子張りののアルバイト切り上げてきたんだもぉん。」
はぁ~と全員が脱力した。本当、きり丸には敵わないや。
「僕はきり丸の意見に賛成だよ。」
「僕も!」
伊助が言うと三治郎が頷き、しんべヱが元気に手をあげる。
「しょーがないかー。」
「先輩方に頼みに行くの、すごい緊張するなぁ」
苦笑しながら肯定する兵太夫と、潮江先輩を思い浮かべたであろう団蔵が顔を青くした。
「乱太郎に無茶は掛けられないよな。」
虎若も頬を掻きながらそう口にした。
「うぅ、誰かが傷付いてしまうのはやだぁ。」
泣きながら言う喜三太の背をしんべヱが撫でる。
「んじゃ、これで決まりってことで!庄左ヱ門、」
「じゃあ一年は組はこれから学園長先生の庵に行こう!」
さーんせー!あるかりせいー!
*******
「粗方の方針は決まったな。陣頭指揮は六年い組の潮江文次郎に任せる。今回は、六年生と五年生の合同任務とする。先生方は彼らのサポートをしっかり行うように。」
学園長先生の鋭い瞳に、六年い組の潮江文次郎はしっかりと頷く。
隣の同室である立花仙蔵を見ると此方も目を伏せて承諾した。
「学園長先生」
「どうかしたか、六年ろ組七松小平太。」
「私に、金吾を傷付けた相手の始末を任せて貰いたい。」
「小平太!」
文次郎が慌てて声をかけるも、静かに燃える男は、拳をぐっと握った。
そこに待ったをかけたのは、一年は組教科担当の土井半助だ。
「小平太、それは私の仕事だよ。」
にこにこ笑ってはいるが、土井の目は笑っていない。瞳孔が開いている。
「私の大事な生徒に、あんな傷を負わせたんだから。」
ね、山田先生。と人懐っこい笑顔なのに空恐ろしい空気を醸しだすこの男に、山田伝蔵は頭を抱えた。
保健室で治療される金吾と、泣きながら治療をする乱太郎を保健室上の天井で見ていたのだ。
普段が温厚な土井半助がぶちキレる理由としてはもう十分すぎるほどだった。
金吾の怪我は酷い怪我だった。
切れ味がよい刀なら、命はなかったであろうが、錆びた剣はそれはそれで危険だ。
戦場における治療を多くこなしている六年は組の保健委員会委員長の善法寺伊作は、傷口についた細かい金属片を取りながら『がんばれ、がんばってくれ』と苦い声かけを何度も行い、金吾の肩の治療には手を焼いていた。
成長しきった大人と、成長がある子どもの体では治療の仕方がちがう。
伊作は清潔な水で金吾の肩を洗い、これまた清潔な布で拭いて、それを3回以上繰り返してようやっと保健室に来た新野が煮沸消毒した針と糸で縫い始めた。
消毒に使うアルコールに金吾が痛みでのたうち回るのを、乱太郎が泣きながら一生懸命に抑えた。
『金吾、大丈夫だよ!治るからね、大丈夫だからね』と何度も何度も声を掛けながら。
伊作も金吾が暴れないように腕を握っていた。
その腕には金吾が付けたひっかき傷や噛み痕が多く重なっていった。
金吾は痛みで錯乱しながら父親の名を何度も呼びながら泣き叫んだ。
父はここにいるぞ、と金吾を安心させたかったが、それは出来ない。彼の父親は遠方におり、他の生徒と違ってすぐに駆けつけることはできない。
大抵の修羅場に多く身を置いたが、伝蔵自身も、もう二度と見たくない光景だった。
「土井先生。殺気をしまってくださいよ。」
一年い組の安藤夏之丞が溜息を吐きながら土井を諫めた。
「諜報にやった五年ろ組の鉢屋三郎によれば、奴らは全員で二十三名。うち十人が別の班だ。今日は奴らは報復を警戒して一塊になっておる。ならば期待に応えてやろうではないか。のう?」
普段とは違う雰囲気の学園長に、全員が頷く。
「小平太。そなたが腹に据えかねるのはよくわかる。が、相手は元とはいえプロじゃ。やれるか?」
「やります。」
「うむ、主なら遜色なかろう。だが、土井先生の気持ちも汲むかの。小平太のサポートには土井先生が付く。最初に全員蹴散らしてあげなさい。」
畏まって頷く二人に、山賊が少しばかり気の毒になったのは六年ろ組の中在家長次だ。
だが、自分の一番下の後輩が同じ目に遭わされたらと考えると、妥当だなと考え直した。
後輩は可愛い。守ってしかるべきだ。
特に一年は組のよい子たちは、自分たち上級生に信頼を寄せてくれている。裏切りが日常のこの戦国の世の中で、これほどありがたいことはないのだ。
陣頭指揮を任された文次郎が頭を抱えているが、木の葉がすれる梢の音さえも味方につける先生方だ。文次郎が考える以上に動いてくださる。
問題は、六年きってのキレ者であり、後輩をこよなく愛する六年は組の善法寺伊作がどう出るかだな。
トントン、と学園長先生の庵の障子が叩かれ、「六年は組の善法寺伊作です」と声がする。
「入りなさい」
学園長先生が許可を出すと、伊作と、伊作の後ろに一年は組のよい子たちが勢ぞろいしていた。
驚いて目をぱちくりさせる土井先生と小平太の殺気が一瞬で消える。
「お前たち、どうしたんだ?」
誰何する声は、先ほどと同一人物とは思えないほど穏やかだ。安藤先生がやれやれ、といった具合で溜息を再びついた。
は組の中から学級委員長の黒木庄左ヱ門が一歩前に出た。
それと同時に、は組全員が庄左ヱ門の後ろに一列になって座わり、庄左ヱ門が座って頭を下げると、皆一斉に頭を下げた。
「一年は組が、先生、先輩方にお願いに上がりました」
全員が息をのむ。当たり前だ。
この子たちは今まで数々の修羅場をくぐってきた。今回も同行するとなると大変な骨が折れるだろう。
「この度は、金吾を傷つけたならず者たちを成敗しにいくのだと伺いました。」
五年い組の実技担当である木下鉄丸はどう動くか思案した。
自分の生徒である尾浜勘右衛門は既に体育委員会の下級生二人を、四年い組の綾部喜八郎が作った塹壕へ迎えに行っており不在だ。
鉢屋は既に帰ってきているが、捕まえた山賊から情報を聞き出すべく学級委員長委員会御用達のある場所へ行っている。学園長先生がよく“お使い”で使用する部屋だ。
五年生のうち、動けるのはあと三人。
一人はこの後、散り散りになる山賊を一人残さず捕縛するために、動物を仕込んでいる最中だろう。六年生はならず者の討伐に参加する。
さて、十一人の一年生をどうするか。
黒木庄左ヱ門は続ける。
「僕らも、できればそのならず者たちを成敗しに行きたい。
ですが、今回敵に相まみえた折、ならず者たちは弱い方を追い掛け回すというのを聞きました。金吾が斬られてしまったのは、七松先輩から逃げてきた輩だということも。」
七松小平太の手からギリ、と酷い音が鳴るのを『そうだよな』と全員がやるせない気持ちで見つめる。自分を相手にはせず、一番年下の後輩を付け狙うその手口は卑怯の一言だ。反吐が出る。
たが手の音以外はいたって普段通りなのが、この七松小平太という男の怖いところだ。
「僕らがいけば、僕らは標的になる。だから先輩や先生方にお願いに上がりました。」
頭を下げたまま、黒木庄左ヱ門はこれでもかと声を張り上げた。
「先輩、先生方。恥を忍んでお願いします!
僕ら一年は組の仲間である、皆本金吾の仇を取ってください!」
「「「「「「よろしくお願いします!」」」」」」
同僚と、最高学年の生徒が驚きで目を見開く。
「心得た!」
ニカっと快活に笑った小平太の隣で、六年は組の食満留三郎が頷く。
顔を上げた庄左ヱ門の隣にいた善法寺伊作は、彼の頭を撫でた。
六年い組の立花仙蔵が胸を撫で下ろしているその気持ちが痛いほどわかる。
「今回は相談してくれてとても嬉しいよ。今日はみんなで長屋にいてね。」
善法寺伊作がそう言いながら庄左ヱ門の後ろで泣きそうになっていた山村喜三太の頭を撫でる。山村は涙で赤くなった瞳をぐしぐしと拭う。
良い子たちはまたしても元気に返事をする。
「「「「「「はーい!」」」」」」
「あ、でも!」
止めたのはきり丸だ。何があるのか、と一年は組の子どもたちがきり丸を覗き込む。
「先生も先輩方も、ぜったい!無傷で帰って来てくださいよ!あと、学園長先生!」
「なんじゃ?」
「今日は保健室で皆で寝てもいいっすか?」
「金吾と乱太郎が心配なんです!」
「お願いします!」
「保健委員の邪魔はしないので!」
矢継ぎ早に言われる一年生の言葉に、学園長先生は大きく頷いた。
「よし許可する!」
「それでは、一年は組は学園で待機します。先生、先輩方におかれましては無傷でのご帰還をお待ちしています。皆、」
黒木庄左ヱ門が頭を下げると、は組の良い子たちも一斉に頭をさげた。
「「「「「「お待ちしています!」」」」」
これは怪我できないなと、苦く笑う土井先生を羨ましく思うが、これからが正念場だ。
「お前たちは、保健室に行ってなさい。今日は冷えるから、布団を持っていくのを忘れずにな。」
「保健委員の邪魔にはならないように。」
土井先生と山田先生がそう声をかけると、一年生たちは良い子のお返事をして一斉に走り出した。
「廊下は走らない!」
土井先生が走る子どもたちに声をかけるのはご愛嬌だ。
「さてはて、困ったことになった。今日は怪我を一つもできぬよ。六年生。」
「しっかり務めます!」
潮江文次郎が学園長先生の言葉に食い気味に応えた。
「伊作は行くのか?」
七松小平太が聞くと、善法寺伊作は頷く。
「僕も混ぜてよ。」
笑う伊作に、六年生の大半が「はぁ」とため息をついた。忍術学園始まって以来の攻撃特化の武道派な六年生達だ。その中でも不運さえなければ学年随一と名高い男の参戦に、小平太は「私のおかぶを取るなよ伊作」と釘を刺した。
「それでは皆の衆、困ったならず者を成敗しにいく!」
学園長先生の言葉に職員と六年生は瞬間にその場から居なくなったのだった。
********
瞳から零れ落ちる涙を拭きながら、猪野寺乱太郎は級友の汗を震える手でぬぐった。
この部屋に先ほどまで詰めていた善法寺伊作保健委員会委員長は、やはり討伐部隊と合流するために後輩たちに後を任せて忍び装束のまま出て行った。
代わりとなる予定の上級生、三年生の先輩である三反田数馬が来る予定だったのだが、こちらも出て行った先輩方の救護と、後方支援のために先ほど四年生の先輩からも声を掛けられ、二年生の川西左近と一緒に詰所から離れてしまった。
三反田数馬はその存在感の薄さから、隠密行動へ駆り出されがちだ。
川西左近も、二年生と若年ながらもテキパキとした手当てをするので、先生方からも上級生からも重宝されていた。
保健委員会は一年間勤め上げれば医療特化型忍者として認識される。
保健委員はその性質上、他の委員会であれば免除される上級生の忍務に付き合わされる。
全員が全員、年齢や経験に関係なく“現場”に駆り出されるのだ。
現場に駆り出される保健委員は、例え一年生であっても即戦力だ。
この時代は、医療術はとても得難い上に、まずもって勉強ができるところは殆ど無い。
医療技術や知識は、鉄砲の作り方と同じくらいに重宝されるが、常に重圧と責任が付き纏い、怪我や病の症例は星の数ほどあり、十歳を迎えたばかりの子どもでは対応が難しいものが殆どだ。
しかも技術や知識の習得には時間もかかり、術者の気概も必要で、耐え難い状況に何度も曝される。
あの雑渡昆奈門ですら、『怪我や病を治すのは、殺すことなど足元にも及ばず、遥かに難しい』と言わしめる程である。
であるのに、保健委員会に所属している生徒がこんなにのほほんと医療術を苦痛なく習得できるのには理由がある。
これは保健委員会委員長を務めている善法寺伊作の手腕によるものだ。
彼は忍術学園でもNo.1の医療ヲタクなので、東洋医学、薬学、按摩、蘭学と、常日頃からそれとなく下級生へ伝授しており、その影響は計り知れない。
下級生たちは自分が感知しない、知らず知らずの内に善法寺伊作の医療知識を植え付けられ、それらは必ず実践に生きてくる。
実地訓練を行う、また一緒に薬草を取りに行く、あるいは側に付けて治療を手伝わせる、更には歌で覚えさせるという、本を読むだけでは到底補えない事を下級生とこなすことで、全員が平均的に治療が出来るようになったのだ。
三反田数馬が保健委員会に入る前までは、歳など関係なく現場に駆り出される保健委員たちは、かなりの負担を強いられていた。
検便の件がそれとなく保健委員会から人を遠ざけていると思われがちだが、伊作が保健委員長になる前までは、保健委員会に属する生徒への風当たりはかなり強かった。
治療が追いつかず級友を死なせてしまった場合や、後遺症が残ったなどと糾弾を受けたり、治療に当たった保健委員本人の努力が認められずに、心の傷が増え、級友の恨みを買い、忍者としてやっていけずに学園を去る者や、集団から孤立してしまい級友を助けられなかった代償として、自らを実践忍務時に囮として死んでしまった者もいる。
先生方すらどうしようもできない程の負の連鎖を断ち切ったのが、この善法寺伊作保健委員会委員長だったのだ。
保健委員会は、伊作の打ち出した方針で大きく様変わりした。
善法寺伊作の類稀な才能は、ここで如何なく発揮されたのだ。
伊作は、個ではなく保健委員会という団体で治療に対応するということ、医療行為を戸惑わないこと、そして何より、保健室に行けば何とかなるという、認識を学園全体に持たせることを徹底して行った。
治療道具がなければ治療出来ないのは自白の明だが、それを分かろうとしない馬鹿が多かった為に、このような負の連鎖が起きた。
伊作が最初に行ったのは、仮に怪我をしたその隣に保健委員がいたとしても、保健室へ行くことを勧めるということを繰り返し保健委員会の下級生に徹底させた。
善法寺伊作保健委員会委員長は、怪我人が保健室に行く代わりに、行けば誰かしらの保健委員が待機していて、安全に治療を受けられるという環境を作り上げたのだ。
最初は慣れない者たちから反発があった。
保健委員はその場での治療を何度も求められたり、出来ないと答えると、役立たずと言われたりもした。
その場合伊作は、下級生たちに『今自分達が怪我を治療したらどうなるのか』を、その都度説明させた。
それでも治療を望む者については、その後の苦情は受け付けないと、自分が望んだことだからと徹底させた事により、そんな馬鹿は次第に居なくなった。誰だって自分の命は惜しいのだ。
乱太郎にとって上級生の忍務のために保健室に常駐させられるのは日常茶飯事であり、大抵のことは伊作や新野がいるため安心して作業ができるが、今日は五年生、六年生の上級生全員と、実技担当の先生方と土井先生がいないという非常事態だ。
しかも目を離せない怪我を負った級友の皆本金吾が額から汗を流しながら痛みと戦っている。
一通り治療の仕方は新野先生や、伊作先輩から聞いているし、このような太刀傷は、六年生の先輩が前に怪我をしたときに治療した事があるので対応できるが、現在保健室にいるのは、皆本金吾だけだ。どうしても不安が付き纏う。
同じ一年生の鶴町伏木蔵は、夜に入りかけの時間ではあるが、使用した包帯の血を落としに井戸まで行っている。
これからのことを考えれば、・・・万が一にも考えたくないが、誰かが包帯を必要としたときに、金吾に使用した包帯を洗わなければ、すぐに替えの包帯がなくなってしまう。
そのための備えを保健委員会としてはしなくてはいけない。
乱太郎は人の状態の変化によく気付けるからと、伏木蔵は洗濯を買って出てくれたのだった。
金吾に何かあれば学園長先生の元まで走らなければならない。
プレッシャーと緊張で背筋に寒気が走って、また出そうになる涙を袖でグシグシ、と擦る。
大丈夫、大丈夫、と言い聞かせながら手ぬぐいで金吾の首元の汗をぬぐった。
トントン、と保健室の戸が叩かれて乱太郎は驚き眉間に皺を寄せた。
外はすっかり暗いし、こんな時間に保健室に来る生徒はケガか病気かの二択だ。
今日は病気の生徒もいないと報告があるし、基本的に下級生は長屋から出てはいけないという学園長先生の命令があるので、訪れる人は限られる。
背中に冷たい汗が落ちるのと、耳鳴りがして心臓が耳の隣にあるような錯覚を覚える。
ぎゅっと握りしめた手ぬぐいで覚悟を決めて応答しようとしたら、「乱太郎?」ときり丸の声がした。
「・・・きりちゃん?」
「おお。入っていーかー?」
音声忍ということも考えられるが、ここは小松田さんのフィールドの中なので、彼がうるさくないということは本人だろうとあたりを付けて戸を引くと、は組の面々が布団と枕を持って佇んでいた。
「乱太郎~!大丈夫だった?」
泣きながら乱太郎にしがみつくしんべヱにホッとして、「金吾が酷い目に遭って。今ようやく落ち着いたんだけど・・・」と金吾の布団を見遣った。
「あれー?は組だースリルー!」
洗濯を終えた伏木蔵が暗闇の中から現れて、団蔵が「ひぇ!」と声を上げる。
「どうしたのー?」
首を傾げる伏木蔵に、乱太郎も「そういえば、どうしたの?今日は一年生は長屋にいないといけないんでしょ?」ときり丸を見た。
「それは僕から説明するね。」
「庄ちゃん、」
涙目で見上げる乱太郎に、庄左ヱ門は安心させるように笑った。
1/1ページ
