誰も居なくなったあの子の隣




マティウス市の市長、エザリア・ジュールが率先して提言した人口減少に歯止めをかけるプランは目から鱗の連続だった。
特に目を引いたのは、人工子宮の活用プログラムだ。
遺伝子操作の弊害で不妊になってしまったコーディネーター達の希望の光と持て囃されている。
マティウス市民のみが対象ということで、愛する我が子の誕生を諦めていた夫婦がこぞってマティウス市に移住するという事態が起き、プラントに波紋が広がった。

人工子宮をなぜマティウスだけで運用するのか、不公平ではないのかと記者に問われたエザリア・ジュールは、ひとつも淀み無くこう答えた。

『全ては、人工子宮プログラムと、その中で命を繋ぐ愛し子達を守るための措置である。』と。
問われた質問の回答はこれだけだった。
納得の行かない記者や、人工子宮の恩恵にあやかりたい他市の市長ら、そして最高評議会からの再三に渡り状況説明会を開けとの声が上がった。
マティウス市のみでの人工子宮の実用化について、しかも他のプラントでは運用出来ない理由とは何か、利益の独占が目的か、と連日記者が詰めかける事態に、心底うんざりしたエザリア氏は、マティウス市が記念日としていた式典の後で、公式に演説を行ったのだった。


「わがマティウスの誇り、未来の子どもたちを育む人工子宮『希望』についてだが、先日も話した通り、マティウス市以外の市での運営はしない。
この措置は、これからコーディネーター達の希望となるであろう人工子宮のプログラムと、今その中で命を繋いでいる愛し子たちを数多の悪意から守る為であるとここで宣言する。

我がマティウス市が誇る産院では、素晴らしい技術者らと、私の旧友であるエルスマン氏や、彼が代表を務める財団の医師たちが、24時間体制で子ども達の育成を見守っている。
人工子宮『希望』のプログラムは、ノーマルのプログラムから胎児ひとりひとりに合った調整が分刻みで見直され、その都度修正される非常にデリケートなものだ。
運営には高度なプログラミング技術と医療知識、産科の医療知識と技術、遺伝子工学技術といったオールマイティな人材が必要である。
『希望』に携わる技術者ら、医師らには、日夜小さな命の誕生のために失敗は絶対に許されないプレッシャーと戦ってもらっている。
『希望』の中で育つ子たちの親を代表して礼を言いたい。
困難に立ち向かうあなた方を誇りに思っている。ありがとう。

現段階で、他市への人工子宮の設置の予定は無い。
胎児の成長にあわせて変動するプログラムに対応できるだけのスキルが他市にはなく、またマティウスが先導してそのスキルを教える余裕がないからだ。
『希望』の導入に際し、マティウス市では事前に市民アンケートを行っている。
概ね、人工子宮については、両親への厳しい審査内容も含めて導入の是非に、有権者である市民の73%が賛成との回答を得た。
また、両親の対象となる年齢層の市民からはのべ90%以上の高い賛同を受け、今回のプランを遂行するに至った。

他市でこのプランを遂行する予定がないのは、他市で人工子宮の導入の説明と、投票による是非が問われていないこと、それから反対派からの圧力が要因だ。

市民が望まない『希望』の設置をマティウスが先導するメリットはない。
貴重な人材と、資材、システムを、反対されながらなぜマティウスが先導しなければいけないのだ。

他市が設置を望むのならば、市民に充分な説明責任を果たして賛同を得ることが第一歩だ。
その後は人材の確保と、システム導入の準備、運営のマニュアル作成など、しなければいけないことは山積みである。
それをせずしてマティウスに全部投げられてもこちらも対応しかねる。
マティウス市は、このプランの導入に至るまでのべ2年かけて市民に説明責任を果たしてきた。
メディアで報道されるように、『希望』を独占しているのではとマティウス市を責める前にまずは市民に説明をし、賛同を得るべきだ。

そして、マティウス市民以外からの反対の声は大きい。
命に関係することなので、それは当然だとも思う。
反対派は夫婦の間で子どもが出来なければ夫婦関係を解消し、遺伝子統制の決めたパートナーと子作りをするとの考えだ。
その考えを否定するつもりはないし、議会が推進してもいる。

だが、子どもが欲しいと考える夫婦の選択肢の一つとして、今回のプランはあっても良いのではないかと私自身が思い至った。

マティウス市では、深刻な離婚問題がある。
夫婦の離婚率は他市よりも実に30%以上と高い。
互いに納得したとはいえ、愛するパートナーとではなく、遺伝子統制の相手との間にできた子どもを愛せない親もいて、養子縁組にする事例が増えてもいる。
子ども達はもちろん国の宝であるので養子縁組先に困る事はないが、やはり両親のあり方を考えれば看過できない問題だ。
子どもを設けた両親は、『実子だがどう接していいかわからない、遺伝子統制の相手は子育てに非積極的である。』や、『夫婦関係は解消せず、自分ではない人とパートナーが設けた子どもを養子縁組したが、子どもから親と思われない』や、『嫉妬からパートナーの実子に当たってしまう、子どもは悪くないのに』との声も以前から上がっていた。
家庭環境が複雑化していることは否めない。
遺伝子統制の相手よりも、互いに愛し愛された人の子どもを育てたいのだとの悲痛な叫びもある。
違う方面からも多くの声を聞いている。
先の大戦で結婚間近だった愛するパートナーを亡くした女性が、戦争で負った傷のせいで子どもを生むことができないと医師から通達された事例だ。
彼女は、パートナーから委ねられた権利を使って、もう居ない愛する人との忘れ形見が欲しいのだと涙ながらに訴えた。
それだけが生きる希望で、最後の藁にすがる思いでマティウスに来たのだと。

私には無視することなど到底出来なかった。

愛する人との間に子どもが欲しい。
これは人間としてあたりまえの感情ではないのか。

大切な命のことであるから、私たちの責任は重く、親に課す制約はもちろん厳しいが、当事者が自分たちに合う、納得のいく選択ができればと考えている。
人工子宮での子作りを強制することは絶対にない。
あくまでも、数多ある選択肢の1つとして希望者は慎重に、真剣に考えてほしい。

マティウス市民であれば、保険適応があるので、費用も一般的な妊娠・出産の費用と同じ設定であり、連日報道されるような莫大な利益は望んでいない。
その代わり、子どもを望む親は抽選で選ばれ、医師団との面接、カウンセリングを受け、その後も様々な制約をクリアした者が対象となる。

他市で導入する予定がない理由はまだある。
連日、今『希望』の中で育っている子どもたちを殺そうと、テロ紛いの人工子宮のプログラム書き換えや、ナチュラル回帰の過激な連中の『悔い改めろ』との脅迫文が爆弾付きで送られて来るからだ。

マティウス市は我が息子イザークが守るプラントの一つ。
ナチュラルや、どこかの派閥が、爆弾や、プログラムテロや、ミサイルや核を撃って攻撃してきたとしても、必ずザフトの方々がプラントの未来の愛し子たちを守るために戦ってくれると信じている。

既に人工子宮の中で育つ子の第1世代は、臨月まであと少しというところまでやっと漕ぎ着けた。
第1世代の子たちは全員で14人。
皆元気で、健康に何ら不安は無く、技術者が歌を歌うと人工子宮の中で笑う可愛い、いい子たちばかりだ。

私の手にはプラントの未来の愛し子たちの命が委ねられている。

隙を見せて今確実に育っている命を奪われたくはないし、他市に『希望』を設置したところで、この止まない攻撃に対応出来るとも思えない。
大切な幼い命を身勝手な大人に殺される訳にはいかないのだ。

我々は、新しい命に対して責任がある。親に制約を設けたのに、我々が失敗することなど万に一つもあってはならない。
『子どもがほしいという欲望の為に人工子宮など、倫理的ではない』とラクス・クライン最高評議会議長率いる“クライン派”から謂れの無い酷い内容の抗議文や、脅迫文が連日送られてきてはいるが、屈するつもりはない。

我がマティウス市の産院を、研究所だの、人間工場だのと、大きな声で謗られるのは大変な屈辱だ。
我が子に会いたい親がいる家庭の手伝いをするのがマティウス市の市長である私の考えだ。
14人の子どもたちの中で望まれない子どもなど、誰一人としていない。
皆親に望まれた家庭で、あの子たちが生まれてくるのを今か今かと、指折り数えて待っている。
生まれてくる子ども達は、皆幸せになるために生まれてくるのだ!
人体廃棄だとか、マインドコントロールだとか、過度なコーディネートだとか、クローンがいるだとか、そんな存在など一人だって居やしない!
この人工子宮は、コーディネートの第一人者であるヒビキ教授がプラントの未来を見据えて作り上げたものが大元になっている。
その成功例がラクス嬢の隣にフリーダムのパイロットとして立っているではないか!
これから生まれるマティウスの子どもたちが『間違った存在である』と声高に言うのなら、ラクス嬢、貴女の隣の男も間違った存在ではないか!?
しかもその男は、貴女が最も嫌う、過剰なコーディネートを受けて生まれていて、多くのザフト兵を殺したストライクのパイロットだったことは、この前の報道で明らかになったことだ!
ザフト兵を殺したその男にはザフトの白を与えて寵愛し、まだ生まれてもいないマティウスの子どもたちは罪深いとするその頭の中身が知りたいところだ。
知ったところで、私とは永遠に分かりあえないとは思うがな!

人工子宮のプログラムと理論は確立し、今や普通妊娠で生まれてくる子どもと同じだけの数値を見込んでいる。
14人の子どもたちの誰一人として欠けることなく、人工子宮からの誕生を待つことがこれからの正念場だ。
私たちは一丸となってこのプランの成功を、あらゆる方面から努力をしながら、彼らが産まれてくるその時を迎えたいと思っている。
クローンだとか、人体強化だとか、そういう存在がいるという仮説のもと今すぐ研究所を閉じろ、『希望』はそのままエンジンを切れ、と話す神経が私には心底理解できない。
あの子たちは死んでも良いのだという、遠回しな議長の言葉は不快でしかない。
何度でも私は声を上げよう。
我がマティウス市が持つ産院は、工場でも研究所でもない。子どもが欲しいが諦めていた夫婦の最後の砦である、“産院”だ!
私の産院が何者かに襲撃されれば、私は真っ先にラクス・クラインや、クライン派を疑う。

報復も、辞さない。

マティウス市だけ不公平だ?
不公平で結構よ。かわいい子どもたちの命を守るためなら、私は鬼にだってなってやるわ!』


マティウス市民は、エザリア氏の演説を聞いて驚いた。
いつもは優雅なエザリア氏の言葉が実に刺々しく苛烈である事もそうだが、クライン派の為に人工子宮を他市に置かないと宣言するとは思ってなかったからである。
他の市でも『希望』と名付けられた人工子宮を望む声は大きかった。
その内に他の市でもこの人工子宮の導入が成されるものだと勝手に思っていたのだ。
市民は思った。“また”ラクス・クラインが原因かと。
最高評議会議長である彼女の支持率は7か月前から急降下している。
"プラントを守る最高の女神"や"プラントの聖女"と言われた平和への功績のほとんどが、彼女自身の力ではなく元婚約者であるアスラン・ザラ氏が、死に物狂いで繋ぎ止めた結果であることがプラント中に知れ渡ったからだった。

C.E70年に起きた大戦の後、彼女はプラントではなくオーブに恋人と一緒に住み着き、2度目の核がプラントに迫った折りにプラント市民を落ち着かせたのは彼女ではなくデュランダル議長のラクス、ミーア・キャンベル嬢だった。
戦場に訪問して兵士を慰めていたのも彼女。姿形はラクス議長と同じだったが、親しみやすく本当に平和を願い活動していた。
アスラン・ザラ氏はブレイク・ザ・ワールドの時も、先の2度に渡る大戦も、ラクス軍として戦場に居た。
そしてプラントに降り注ぐ連合の集中砲火からプラントを守りきったのだ。

『父上のようにプラントを守ることで、俺は父上にほめられたかったのかもしれない。
父上が守ったように、今度は俺がプラントを守りたい。もう、それしかないんだ』

ずっと空を見上げながらベンチで誰もいない席に向かって話し続けるアスラン・ザラ氏は空虚に満ちていた。

ほめられるどころか、プラント市民から罵倒を受けて銃殺刑になりかけ、オーブに亡命するしか、なかったのに。

アスラン・ザラ氏の近況の映像がネットで流れると、その衰弱した体と何も映さない瞳に、市民は大変なショックを受けた。
自分たちの、犯した罪がそこに居たからだった。


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